昨晩からずっと風の音がすごい。春の嵐はいつまで?東京はもう桜よりもはなみずきよりもつつじの存在感。
根津神社の文京区つつじまつりへ行った。約100種3000株のつつじがあるというつつじ苑。見事だった。根津神社は谷根千散歩のときは寄っているけどこの時期に行ったことがなかったのだろう。こんな華やかな場所があるとは知らなかった。つつじはどうも野生のイメージが強い。私のオフィスから明治神宮や小田急線参宮橋駅に向かう西参道(首都高速4号線の高架下)の植込みは道路側が銀杏、内側がつつじだったのだがあまり整備もされないまま咲く姿が毎年ワイルドで整備すればいいのにと思う一方で好きにやればいいよねと励まされてもいた。昨年からかもっと前からか明治神宮の方からずっと工事が続いており少しずつ甲州街道の方まで整備がされてきてつつじの植込みは全て取り払われ夜も明るく凸凹のないきれいな道路に変わった。先日、ニュースになっていた藤本壮介デザインの真っ白な公共トイレもその一環で作られたのだろうか。街の景色はどんどん変わる。きれいで安全なのも悪くはないが神宮外苑の再開発の見直しのが方が先にすべきことではないだろうか。これについては柏書房のWebマガジンで連載中の西本千尋「まちは言葉でできている」のこちらの記事も参考になる。
つつじの野生味に注意が向くのは目にするのがさつきつつじが多いせいかもしれない。花びらが大きい。こうやって形を整えられたり小さかったりいろんな色だったりその種類の多さを目にするとワイルドさより華やかさが際立つ。つつじとつつじの間を潜りこむように見たのは初めてかもしれない。ふわふわの真っ赤なつつじが作る影まで少し赤い気がした。
根津神社からは先日時間がなくて寄れなかった和菓子屋さんで3種類の柏餅からよもぎもち+つぶあんのを選んで食べながらまた漱石旧居後の猫を愛で、森鴎外記念館へ向かった。今は特別展「鴎外の食」が開催されている。どこかでもらったハガキのおかげで団体料金480円で入れた。私は森茉莉はたくさん読んできたが鴎外はあまり読んでいない。今回は「食」ということで鴎外の子供たち、於菟、茉莉、杏奴、類みんなの文章が読めてよかった。不律も生きていたら父鴎外のことを書いただろうか。それにしても食の話題はどうしてこんなに楽しいのだろう。時代や歴史、国や地域や家によって異なる文化、生活が生き生きと見えてくるのがいいのかもしれない。若いときは夜ごはんをみんなで食べる時間があったから仕事帰りに同僚の家でみんなで飲みながらごはん作ったりそのまま泊まったりして楽しかった。今でも年に一回とかだけどおうちに行けば美味しいものを作ってくれる友達が数人いる。逗子に住んでいる友人のところへいくと山と海に囲まれた街に育った娘さんが色々と案内してくれる。いくたびに大きくなるが数年前、岩場をぴょんぴょんと飛び回りながらおしゃべりを繰り広げる彼女に野生味を感じた。海に落ちやしないかとヒヤヒヤしながらみんなで見守った。近隣の港から上がってきた新鮮な魚を海が見える小さな店で買う。友人の夫がさばいて美味しいものを作ってくれる。きみはいつからいる猫だっけ、など猫に話しかけたり台風のときに家の屋根を壊した大きな木のことを聞いたりする。自然と繋がっている世界だから楽しいのか、食は。生身の人たちと言葉で密に繋がる仕事をしているとその人その人の欲望を知ることになる。それはあまりにそれぞれだけど共にいるために失うもの共にいることでえるものいろんなことに持ち堪えつつやっていくのだろう。
東京は強風が吹き荒れております。せめて雨が降らないといいね。気をつけて過ごしましょう。