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俳句

石川啄木って

はたらけど はたらけど猶わが生活楽にならざり ぢっと手を見る

石川啄木

ひとしごとして石川啄木のことを書いていたら寝てしまった。寝よう。

起きた。コーヒー&羊羹。昨日は八つ橋をいただいたのでそっちにしようかと思ったけど可愛いオレンジ色っぽい羊羹にした。羊羹って自分では買わないけどいろんな羊羹があるんだね。美味しい。

句会で毎回お題を出すのだけどこの前私が出すことになってなんとなく「啄木忌」にしたの。学生の頃、友達の函館のご実家に遊びに行ったときに友人の父親がドライブに連れて行ってくれてその時に立待岬にある啄木のお墓を教えてくれた。函館を満喫した旅だった。イカもさばいたし。イカ釣り船はすごく酔うからやめときなと言われてやめた。多分そのときのことがどこかで心に残っていたんだと思う。でも実際俳句を作ろうとしたら私啄木のことそれ以外何も知らないのでは、と気づき色々調べてみたわけです。そしてあーこの人は結構ダメな人だなあと思ってしまった。色々あったのはわかる。でも全ての人に色々はある。なぜこうなっちゃうの、ということが多すぎないか、啄木。そして父。女たちのことは彼らの行動を受けてどう行動したかという描写の方が多いのでよくわからないが、啄木に関してはもうちょっと考えて行動しようよ、というエピソードにあんぐりした。樋口一葉と同じで20代で亡くなっていることを思うと若さのせいもあるだろうし才能があり過ぎたからからというのもあるかもしれない。そうかもしれないが、若くても若くなくても才能があってもなくてもそれはそうなるという予測は大抵の人はつくからやらないんだと思うよ、ということをやり過ぎているように思うよ、啄木。でも友達や周りの人に恵まれたみたい。若山牧水が啄木の臨終間際の様子を書いている文章を読んで泣いてしまった。金田一京助もその間際までそばにいたのだものね。看取ってくれる人がいるのはせめてよかったと思うけどそこには父もいたんだよね。そして妻(啄木の母)をなくしたばかりなのに子まで失うとは、という和歌を読んだという。これも若山牧水の文章に書いてあったのかな。調べたばかりなのにどこに何が書いてあったか忘れてしまったけどそういうエピソードを学びました。

だから俳句の歳時記とかで「啄木忌」の例句はこういう感じなんだなあと納得した。

便所より青空見えて啄木忌 寺山修司

うつうつと夜汽車にありぬ啄木忌 藤田湘子

など。

啄木忌は4月13日。その日は盛岡にある啄木記念館は無料だそうです。盛岡を旅したときに行けばよかった。盛岡駅からバスで15分って書いてあったかな。その前に俳句を作りながら啄木をしのぶことにします。

今日は水曜日。なんとなく疲れを自覚しはじめる曜日ですね。みなさんもどうぞご無事で。ご安全に。

写真はこの本より引用。

『情報の歴史21–象形文字から仮想現実まで』

監修:松岡正剛監修

編著:編集工学研究所&イシス編集学校

発行者:編集工学研究所