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あれはなんだったんだろう うそもほんとも。 言葉

ペンは剣よりも、焦点を少しずつ、学ぶ

まさにペンは剣よりも強し。別の意味で。暴力よりも暴力的とでもいうのかな。昨日は比較できないものを対比的に書くことはなかったことにする技術であることも学びました。身体を傷つけられずに学べるなら不快さと痛みを引き起こす暴力性はある程度必要ってことかもしれないですね。相手の心も体も弄んで傷つけるような人の表現はそう捉えることは難しいですけど。そうされた人はそういう人の表現に触れるたびに何時間も何日間も苦痛をただ耐える時間を過ごさねばならなかったりするから。いっそのこと、と考える人だっているのはそういう人が黙ることはほとんどないからかもしれません。千葉雅也さんが先日フィルタリングのために「物理的に瞬時に目を閉じる」とツイートしていました。私もやっています。(ミュートしているのに)またか、と思いつつ反射的に目を閉じる、薄く開けて焦点をぼやかしながら画面を閉じるバツ印を探す、また目を閉じる、落ち着くまでその状態に身を委ねる。ペンは剣よりも強し。なのでしょうか。

あっという間に1時間、2時間が過ぎた。まるで何事もなかったかのように家事をし、おしゃべりをしているのは生体防御反応だ。こんな状態になってから長くなってきた。突然の刺激に晒され衝撃を受け続けるなか「まただ」とその衝撃を予測しながら目を開け続けることをするようになった。一方でできるだけ距離をとるようにミュートをした。それでもこのネット社会、軽薄な言葉ほど軽々しく網の目をすり抜けるように現れることがある。瞬間的に目を閉じる。じっと嵐に耐える。そのまま眠ってしまうこともある。生体はうまくできている。生き残るために、適応するために何をするかといえばそこから学ぼうとする。暴露療法のような方法をとりはじめた。恐々目を開ける。焦点を本当に少しずつ合わせながら見てみる。最初は全部は見られない。それでも少し目を開ける時間が増えたことをモチベーションに変える・・みたいな。なんなんでしょう、この努力は。この時間は。と思うでしょう。でも学びは残る。比較できないものを対比的に書くことはなかったことにする技技術なんだなぁ。これが「賢人」の技術かぁ。スプリットされたこころで思考停止のままでいられる技術。自らの被害感と不快感を癒してくれる人は大切よね。遠くへ追いやったそれは今まで通りポイ捨てしてきた対象に処理してもらえばいいのだから。そういうのもテクノロジー。ペンは剣よりも強しをチャットなんちゃらにいれたらこんなお話もできるのかしら。そういうデータならいくらでもあるだろうから。

早い時間にメロンを食べてしまったから寂しい。勝手に一日締め切りを延ばしてしまったものを朝のうちにやらねば。世界には辛いことがたくさん。「癒す」という言葉に対する不快感ってなんなのかしら。今日も学びましょう、と軽々しく言いづらいのはさっき書いたみたいに強い痛みを想定できるから。精神分析もそういう痛みを想定している。本とかでは学べない「知」に向けて友達や家族に支えられてやっていけたらいいけれど。今日も理不尽さにのみこまれつつ生き残る方向でいけたらいいけれど。とりあえずとりあえず、ですね。気のきいたこと何も言えないけどどうぞご無事でお過ごしください。