時折強い風の音がする。嫌だな。雨がひどくならなければいいけど。
これが全部実験だったら嫌だな。実際そうだったのかもしれない。人体実験。向こうはこちらを使い、こちらはそれにのった。契約書のない契約。新しい環境に適応するためにがんばっているのを支えられたらと思った。居場所を失っているように見えた。使ってもらえる時間を作るために着々と仕事をした。自分の疲れは会えば自然とひっこんだ。「がんばれがんばれ」と大きな背中を小さくポンポンとした夏のことも覚えている。どうなってしまうんだろう、と感じながら、それまで経験したことのない不安と喜びと不気味さを感じながら。結局、実験にはならなかった。人をコントロールなどできないのだから当たり前だ。実験だと思えば少しは楽になるのかなと思っただけ。なるはずなかった。責任をとる必要のない肉体関係が想定されているらしいことを気づいていたけどまさか本当にそんな、というのはきれいごとで、そのまさかのこの人に人のこころなんてあるのだろうかと疑い、いつも不安を打ち消しながら過ごした。これは実験なんだから。最初から契約なんてないのだから。言葉なんて通じないのだから。自分を人間だと思うから苦しい。犬みたいに扱われたので「犬みたい」というと「似たようなもんだ」と言われた。上手に飼い主を愛せないとすぐ次のペットがほしくなっちゃう飼い主と一緒にいるためにはどうしたらいいのか。目的がすでに不毛すぎるが狂い始めたこころはそれに気づけない。言葉で主張したら悪意にとられる。理解が遅くても意地悪と思われる。怖い。ご機嫌でいてもらうために無理を重ねた。でも無理だった。もっとお手軽に利用できる幼くて依存的な相手ができたことにはすぐに気づいた。「○○パートナーです!」の「!」の軽薄さ。うんざりしつつも愛したが何も指摘されたくなかったその人はこちらをコントロールするために言葉を使い始めた。嘘をつかずに隠し事を続けているのだから後ろめたかったのだろう。言葉で言いくるめるのは得意技だ。地道にかけられてきた圧力の正体を見た気がした。やはりハラスメントやDVの構図を持っている人だった。それでも、それでも、と思ってしまう。ここで追い縋ってはならない。とりあえず逃げないと。相当なダメージに機能しにくくなっているこころを感じながらこれまでの言動と出来事を記録した。その人の親兄弟、今の家族に対する態度の幼稚さも裏付けとなった。それでも人間は愚かだ。傷が深くなって回復が遅れるだけなのにそんな人のことを考え続けることで時間を無駄にしてしまう。「実験」とかいって。愚かだ。
ああ、湧き上がる猛烈な怒りをこの風みたいに一気に振りかざせる形にできたらいいのに。怒りを言葉に置き換えられてもそれは鬱の始まり。深まるばかりの悲しみに動けなくなる。いつまでこんな地獄が続くのだろう。
などということをブコウスキーや川井俊夫さんみたいな荒々しさで書けたらいいのに。
雨はやまないらしい。窓を打つ音が聞こえる。風がないと雨音は静かだ鳥が一気に近づいてきて離れた。鋭い鳴き声。
GWは國分功一郎weekと書いたがひとまず今日でひと段落。インスタに何冊か読んだ本をあげた。読むべき本が溜まっている。私が國分さんを知りその運動と思考を追うきっかけとなった東京都小平市の都道328号線建設計画の是非を問う住民投票。あれから10年となるのに合わせ、今日の午後、小平では玉川上水周辺の環境保全を考えるシンポジウム「小平の玉川上水の自然が危ない」が行われるという。市民団体「みどりのつながり市民会議」共同代表で市議でもある水口和恵さんが「住民投票十周年に改めて328号線計画を考える」、麻布大いのちの博物館名誉学芸員の高槻成紀さんが「小平の自然の豊かさと道路による分断の影響」と題して講演すると東京新聞に書いてあった。ここに名前は上がっていないが國分さんも少しお話をされるという。後日配信もされるらしいのでそちらもチェックしたい。
いつも通り眠れないまま朝を迎えてしまった人もいるかもしれない。起き上がれないなら起きたままでという人もいるかもしれない。それでも、それでも、とやっていくのかな、今日も。とりあえず委ねてみようか、というか疲れ切ってそれしかできないかもしれない。どうか今日もご無事で。先のことはわからない。ただそれだけを忘れずに。