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精神分析

車山、芥川賞作家たち

麦茶。冷たい。週末に増えた長野のお菓子たちは賞味期限に余裕があるので今朝は食べない。車山高原のお土産。懐かしい場所だ。まだ楽器をやっていた子供の頃、合宿で数回行った。プロになるような子たちが全国から集まるその合宿に私は普段の習い事の延長みたいな感じでついていった。途中から練習には参加せず大人に遊んでもらった。最初からそうするものだと思っていた。だってレベルが違いすぎた。ほかの子どもたちを指導する私の先生は別人のように厳しかったし、いつも合宿で再会していた仲良しは練習になると大人みたいでものすごい厳しい練習にものすごい技術で応えていた。あれはなんだったんだろう。

私はその後も車山が好きで大人になってからも泊まりにいったりしているから良い思い出だったのだとは思う。友達ともずっと文通を続けていた。まだ携帯電話の時代ではなかった。それにしてもプライドがなさすぎたのではないか?落ちこぼれという認識はきちんとしていたが差が歴然としすぎていたせいだろうか。友人を心配しつつ夏休みを満喫していた。元々好きなことしかしたくないし、豊かな緑のなかで遊んだり、川で魚をとったり、ログハウスみたいな建物の涼しいベンチで母親に寄りかかっていつもと違うかわいいグラスでジュースを飲みながら漫画を読むのなんて至福だった。母は私を少し気遣っているようだった。寄りかかった肩越しにそんな空気を感じた。ちょっと申し訳ない気持ちになった。才能がなくて。でも、それより、読み放題に大喜びして適当に読み始めた漫画がレディコミであることに気づいたときが一番焦った。自分にはない才能より自分に内在するセクシュアリティと触れるときの方が人は動かされることを知った、というのは後付けだけどあの焦りは新鮮に思い出せる。Oちゃん、元気かな。みんなまだ子供だった。

先日、新潮社の月刊読書情報誌『波』2024年8月号を近くの本屋さんで入手した。市川沙央による朝比奈秋『サンショウウオの四十九日』の書評を読みながらネットを開いたらちょうど文藝春秋のポッドキャスト『本の話』で「【文學界presents文学への道・号外】第171回芥川賞・朝比奈秋さんの受賞記者会見をノーカット配信!」が流れてきたのできいてみた。

市川沙央と朝比奈秋という作家のことを知らない方にはぜひ検索してその作品を読むことをお勧めしたい。いちかわさおう、あさひなあき、と読む。そのまま読めばそうなのだがなんとなく書いてみたくなる名前だ。1979年生まれと1981年生まれ。第169回、第171回芥川賞受賞者。市川沙央は先天性ミオパチーの当事者でもあり朝比奈秋は消化器内科の医者でもある。

 私はたくさんの本を読むがすぐに忘れてしまう。しかしインパクトの程度は身体感覚で覚えている。市川沙央の芥川賞受賞作『ハンチバッグ』(文藝春秋)を読んだとき、読み終わり立ち上がるついでに別の本や書類をわきによけようとしてそれを何度も落とした。朝比奈秋の今回の受賞作はまだ読んでいない。第36回三島由紀夫賞受賞作『植物少女』(朝日新聞出版)を読んだときはぼんやりしてしばらく動けなかった。

 今回の朝比奈秋受賞作に対する市川沙央の書評「共有してくっつくこと」は微笑ましかった。市川沙央のSNSにはこんなことが書かれていた。ファンの言葉というのは良いものだ。

 朝比奈秋が会見で話していることもすごかった。この難しい世界を自分のこととして書くことができる想像力は誰にでももちうるものではない。それを「ただただ思いつく」のがすごい。「生きている間にしかできないことがある」「一生懸命生きることが命とはなにかということに近づくということ」ということばもシンプルでほんとにそうだなと思った。

 この本のテーマは、とまだまだ書きたいことはあるが準備をして自分の勉強をせねば。夜は疲れてしまっておいしいもののことしか考えられないから難しいことは朝のうちに。今日は雨が降らないといいな。毎日突然降るものとして準備はしているけど。みなさんもどうぞ良い一日をお過ごしください。

作成者: aminooffice

臨床心理士/精神分析家候補生