昨晩、静かに降り始めた雨の音が強くなっていた。今はまた少し静か。昨日の昼間は陽射しがあった。少ししか浴びていないはずなのに肌が赤黒くなった。痒いような痛いような。薬を投与&塗布。アントニオ・R・ダマシオは皮膚を単なるタッチセンサーではなく身体最大の内蔵だとした。火傷で人が死ぬのも皮膚が不可欠な内臓だからだという。皮膚が原初的なインターフェイスであることはそれこそ感覚的に理解できる気がする。内と外が繊細につながる場所は自己も心も表れやすい。アトピー性皮膚炎の子どもの親がなぜか育て方を叱られたり、指しゃぶりが睡眠への導入となったり、感覚過敏によって同じ素材しか着られなかったり、人は繊細な部分にも容赦ない。
月曜日に大きめの地震があった。オフィスは高層階なので気持ち悪い感じで揺れた。防災用の多機能ラジオやミニランタンを充電したり懐中電灯の電池を確認したりした。防災グッズの準備に終わりはないが、いざとなったときにささっと使えるかな。シミュレーションはしているが不器用すぎるし不注意すぎるので不安ではある。
つくおきにも終わりがない。つくおかなくても帰ってきて10分とかでできるものはあるしInstagramでレシピを見続ける時間も減らないが洗い物も少なくしておきたいし、なんとなくつくおきは楽だ、ということで最近は好きな料理家のお弁当本を参考にしてメインを作っている。印度カリー子とか飯島奈美とか。一時はお昼もお弁当にしていたけど最近はあまりしない。電子レンジをおけばやる気になるかもだけど食べる時間も定まってないしまあいいかとなる。でも食材いじってる時間は楽しいよね。最近なんでも高くて困るけど。
毎日精神分析をしているといろんな体験を表す概念の奥深さを感じる。この前、週一回の精神分析的心理療法の事例を素材に「甘え」について発表したが、精神分析の場合、それはもっと別の形で現れるように思い、私はまだそれと出会えていない気がする、と話した。「甘え」と言葉にした途端消えるそれは私にとって消失点で立ち現れる感触だが、精神分析の感触でいうと、それはもっといつのまにか豊かな草原に立つような感覚と共に現れそうなジブリ的静けさをイメージする。なんだそりゃという感じだと思うが隔たりがなくなることでできる空間ということ。それでもなんじゃそりゃか。少しずつ言葉にしていこう。
それでは今日も気をつけて出かけましょう。良い一日になりますように。

