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精神分析

意識化とか。

空が明るくならない。雨降るのかな。昨日もほんと数えられるくらいの雨粒にはあたったけど。今日もそのくらいならいいな。それでも「降る」っていうのかな。

この前、山の話をしていて富士山登山のあれこれが出た。私にとって富士山はいろんなとこから眺められる素敵なもので登りたいと思ったことがない。くだりはとても退屈だと聞いた。山で退屈さを感じると興奮と同じくらい危険な気がする。私は低山でも退屈な道だなあと感じると何もないのに転んだりする。どうしてすぐにぼんやりしてしまうのだろう。

昨日、柳樂光隆さんが書いたシャバカとのインタビュー記事を読んでいたらシャバカが自分がやっていることを細やかに言語化していてやっぱりすごいなあ、と思った。新しく何かを始めてもあっという間に深いところにいけるのは結局基礎がしっかりしているからで、それは自分がやっていることを意識化できるから。これ、自分もそうだけど、いろんな人の話を日々聞いていて、それがいかに難しいことかを実感しているのですごいなと思う。没頭できるということでもあるけど。私は没頭が足りないな。たまにできるけど一日中そればかりやっているということがない。そればかりといっても単に一つのことというより一つのことに含まれる多数の手続きを細やかに繰り返していくわけで、これは本当に大変なことだよ。

今年になって英語論文の査読が帰ってきて修正すれば採択してもらえるとのことだったのだけど、私が形式をわかっていなかったので全体の組み直しが必要になったのと、内容についてもかなり本質的な指摘が簡潔に書かれていて、これはものすごく大変だぞとなった。内容を変える必要はないのだけどきちんと答えるべきだなと思って、こんなに削っていいのかな、というくらいシンプルにして、形式もオグデンとか自分がよく読む論文を参考に整えた。それをやるのはとても大変で、なんとかやったけど時間をかけすぎた。というか頭にはあるが手を動かし始めるのが遅かった。慣れていないことほど言われたことをすぐにやったり、何度も何度も見直したりするべきなんだろうけど難しいよーとサボってしまった。手を動かし始めても英語にするプロセスで自分の思考が散ってしまうというか、直せば直すほど何を言いたかったんだっけとなって困った。提出してまた査読結果が返ってきて好意的に評価していただいたけどまた少し形式上のアドバイスをいただいた。本当そうだな、と思って今回はすぐにやってすぐに出した。でも今回も私は自分がやった作業プロセスを意識化できない。無心でやれる作業ではないのに無心みたいな気分にしかならなかった。いかん。シャバカを見習わねば。というか柳樂さんの記事で読むジャズミュージシャンたちはみんなとても丁寧に自分の作業を言語化してくれる。本当に憧れるし、だからこんないい音楽ができるんだなあ、と楽しくなる。まあ、がんばりましょ。

今日は春分の日だよ。昨日はいつも通る道で桜が咲き始めていた。いつもみない鳥もたくさんみた。春だ春だ。いい春にしましょう。

作成者: aminooffice

臨床心理士/精神分析家