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『平和をつくる方法 ふつうの人たちのすごい戦略』(柏書房)

鳥の声より洗濯機の音の方が大きい。でもこの音は最後の回転の音。最後一気にがんばってスッと静かになってピーピーと終わりを告げる音がなる。はず。終わりを告げるのはピーピーじゃなかったかもしれない。うん、絶対に違う。音楽だ。毎日聞いているのになんでピーピーと書いてしまうのか。

昨日、瀬谷ルミ子『職業は武装解除』 (朝日新聞出版)について書いた。昨年末、柏書房から出版されたセブリーヌ・オトセールの『平和をつくる方法 ふつうの人たちのすごい戦略』も関連してあげておこう。セブリーヌ・オトセールはコロンビア大学の政治学の教授であり、瀬谷が活動するような現場で参与観察、調査をしてきた研究者である。平和構築に携わる人ということで平和構築者(ピース・ビルダー)という肩書きもある。この本は20年にわたる研究成果をテキストとして活用できる形で示した本である。巻末にはクラスでテキストとして使う場合や読書会のためのガイドもあり、これらは著者のウェブサイトにも資料として載っている。このウェブサイト自体、平和構築のための草の根的活動に貢献している。私たちはそこを通じて想像力を働かせ当事者や現場の支援者や調査者を支援することができるだろう。アウトサイダー主導のトップダウン型ではなくインサイダー主導のボトムアップ型の平和構築が繰り返し強調されるのは瀬谷の本と同じだ。研究成果が詰め込まれているためインパクトのあるエピソードにとどまるより蓄積されるそれらにまとまらない感情のままついていくような読書体験だったが、先述したように巻末にはこの本から何を感じ何を考えたかということを議論するためのガイドがついているのでそれらをヒントに考えを深めていくことができる。柏書房のnoteで試し読みができるのでぜひ。私の印象に残ったのは「まえがき」の反転する書き方と最後の章でそれにまた少し立ち戻る仕方だった。誰にでも動機というのはあるがこの著者もまたそこに育ちの影響が含まれていることをそっと提示する。初期の環境は選べないという実感がより過酷な環境に育つ人たちへの支援を後押しする部分は少なからずあるのだろう。それを実際に行動に移せるかどうかはまた別の話かもしれないがこの著者もまた迷わずそれを選択した印象がある。すごいことだ。

東京は今日も暑くなるらしい。晴れの予報ではあるが洗濯物を干しっぱなしでいくかどうか迷う。うーん。ひとまずみんなの1日が無事にスタートしますように。

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瀬谷ルミ子『職業は武装解除』 (朝日新聞出版)を読んだ。

近所の藤の花が咲いた。桜の老木にいつのまにか巻きつき葉桜になってすぐにそこを居場所として紫色の花を咲かせる。昨年もこの桜と藤のことをここに書いた。週一回通る道にも白い大きな花が屋根や他の木々を覆うように咲いていて驚いた。先週は気づかなかった。藤と同じつる性なのか?一気にこんなになるものだろうか。その道も何年も通っているがそこが花屋になってからはまだそれほど経っていない気がする。いや、意外と時間は過ぎているものだ。地元の小さなカフェだってまだ新しいと思っていたら「え!もうそんなになりますか」「そうなんですよ」と店員さんと話したばかりだ。いや、これも「ばかり」ではない。コーヒーフェスティバルがあるという話も聞いたから秋だろう。薄着でも厚着でもなかった気がする。そのあと、別のあのカフェができて、最近はあのビルの2階に小さな店ができた。実家が被災したため営業開始日が遅れる、という貼り紙を見たのは今年の正月だ。能登半島地震から間もなく4ヶ月。まだまだ厳しい状況が続いていると聞く。先日もその店の人は瓦礫撤去の手伝いのため店を閉めて能登へ帰っていた。

先日、同郷ということでなんとなく読み始めた『職業は武装解除』(朝日文庫)という本がとても勉強になった。もう10年以上前に書かれた本だが知らなかった。瀬谷ルミ子さんというDDRの専門家の体験記だ。DDRとは「兵士の武装解除」(Disarmament)「動員解除」(Demobilization)「社会復帰」(Reintegration)のこと。すでにとても有名な人だったということを後から知った。この本の序盤には生育歴におけるいくつかの出来事や状況が書かれその後の彼女の決意を支える背景を知ることができる。高3のとき、著者はルワンダの難民キャンプの親子の写真を目にして強い衝撃を受ける。彼女は

「私は、努力さえすれば、自分で状況を何とか変えられる社会に生きている、ということだ。私には、彼女らにない選択肢があり、すべては、自分の手の中にある。そして、それを生かすかどうかは、自分次第だ。」

と「ニーズがあるのにやり手がいない分野」にこだわり専門を決め、その後、紛争解決や経済発展のためにDDRの仕事につくことになる。そのプロセスや現場の描写はどれも胸を打つ。状況は過酷だがユーモアさえ感じさせるその語り口は本当の現場の人のそれだった。目を瞑り耳を塞ぎたくなる状況も彼らの言葉を通せば見られるし聞ける。彼女の思考は常に具体的で実践的だ。彼女たちの手を離れても活き続ける支援を想定している人の一貫性と柔軟性、交渉スキルの高さからも学ぶことが多かった。私はKindleで読みながらいくつもの文章をハイライトしたがぜひ多くの人に読んでみてほしい。戦地でも子供と女性の立場は弱い。著者の職業は特殊かもしれないが、そこで対象となるのは人権と言わずともまずは生きのびるということでありそれが当たり前のように可能な国で生きている私たちだからこそできることも読めば自ずと考えさせられる。

「ある十三歳の少女は、一回百二十円で自分の体を売り、八十円の揚げパンを買う、そんな毎日の繰り返しだ。 「数カ月前に始まったばかりの生理が来なくなった。妊娠したんじゃないかって言われたの」そう現実感がなさそうにつぶやいていた。路上で襲われることを心配して、駐車した車の下で寝泊まりしていたある少女は、車が動いたことに気付かずに、命を落とした。」

「私は頭を抱えた。単に彼らに経済的に自立する意思が育たないだけの問題じゃない。加害者が優遇され、もてはやされる風潮が長引くと、「無罪になって恩恵がもらえるなら、加害者になったほうが得だ」という価値観が社会に根付いてしまう。手厚い支援を受ける元子ども兵が新品の制服と文房具を持って学校に通う一方で、一般の貧しい子どもたちは鉛筆ひとつ買えないような状況があった。それを見て育った子どもたちは、将来、争いの芽が再び生じたとき、果たして加害者側に回らず踏みとどまることができるのだろうか。」

著者らは

「最終的には現地の人たちが自ら行うべきもの」という大前提のもと、自分たちがいなくなる存在だということを伝えながら事業の計画を立てる。」「そのため、最初から現地の組織や関係者に最大限参加してもらう仕組みにしている。」「私たちができるのは、現地の人々だけではつくれない選択肢をある程度まで一緒につくることだけだ。その後は身につけたスキルをもとに、選んだ道をどう進んでいくかは、本人たち次第だ。」

という。こう引用してしまえばシンプルだが、この過酷な状況を目の当たりにしながらここまでが自分たちの仕事だと線引きするには相当の経験と勉強が必要だ。これらも事例とともに記述されている。

また、この本には繰り返し「訓練」という言葉が出てくる。警察や軍を訓練して安全を確保する、女性に職業訓練をする、現地NGOや住民の訓練、などなど。訓練と教育を通じて伝わるのはその内容だけではない。

「身寄りのない彼らには、彼らのことを思い、支えてくれる大人が、今までいなかったのだ。初めて、自分たちのことを気にかけてくれる大人の存在を感じ、涙したのだろう。世界の裏側であっても、一人でも自分たちのことを思って行動してくれる人がいるという事実。それがどれだけ彼らの希望になったのか、私には計り知れない。しかし、ほんの一筋の希望の光が、絶望から人を救うということ。そして、その可能性を大いに感じることができた出来事だった。」

瀬谷ルミ子さんは現在、認定NPO法人Reach Alternativesの理事長を務めておられるそうだ。REALsにてアフガニスタン、ケニア、南スーダン、ソマリア、トルコ、シリアで紛争とテロの予防事業、女性を紛争解決の担い手として育成する事業、緊急支援などに携わる(wikipediaより)。REALsのウェブサイトの代表メッセージはこの本に書かれていた著者の思いを端的に表現してる。

「対岸の火事と思っていたテロや紛争が、身近に迫ってから焦っても、できることは限られていること。 壊れた建物は修復できても、失われた命は戻らない。

REALsが目指すのは、有事に劇的な救世主の到来をひたすら待ちわびるのではなく、金を出すか、軍を出すか、非建設的な他者批判をするかの三択に終始するのでもない、新たな選択肢をつくること。命が失われてから嘆くよりも、未然に防ぐ道をつくる。

命を落とした人たちが「また生まれてきたい」と思う社会を築く。紛争地にとっても日本にとっても「自分ごと」であるそんな社会づくりに、一緒に取り組んでください。」

ルワンダの親子の写真との出会いからずっと彼女の活動は一貫している。そのためならなんだってしている。後悔をしたくない、彼女のその強い思いはどこからくるのか。それはこの本にも探せるかもしれないしそれだけではないかもしれない。わからない。彼女自身を含む生き延びた命と数えきれない死から私たちは学ぶことができる。希望を見出すことを教えてくれる一冊だと思った。