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精神分析

鳥、不気味なもの、台湾

かもめがきた。手を振った。手を振るくらいなら餌をくれ、だな、と思いつつ。もう一羽のかもめがきた。口から何か白いものが出ている。釣り針?釣り糸?しばらく変な首の動きや歩き方をしていて苦しいのかなと思ったがそのあと見たら口から何か出してはいるけどもう何事もなかったかのような顔をしていた。顔じゃないか、動きか。とりあえずよかったのか?苦しくなければいいけど。かもめの白は濃くてきれい。SNSで鳥の写真を見るのが好き。時折真っ白な文鳥が羽をシャラーっと広げた姿を見る。透かし見える白がとてもきれいで毎回びっくりする。鳥の目とか魚の目って少し不気味。私は愛でているけど。

フロイトは「不気味なもの」(1919)の中で不気味なものは実は馴染みのあるものとしている。私が月とか鳥の目とかに不気味さを感じると同時にそこに愛着を覚えるのはそういうことなのだと思う。どういうことだよ、ということを説明する気力が今朝はない。疲れている。

台湾の人に『亡霊の地』(陳思宏/三須祐介訳)をお勧めされた。早速Kindleに入れた。評価も高い。その人はその本について発表をするらしい。聞きたかった。フロイトがそうであるように文学と精神分析を切り離すことはできない。これからはそれらを絡めた発表を私もしていけたらいいなと思った。

しかし疲れている。数日ぶりにお酒を飲んだせいかもしれない。台湾の人たちとのおしゃべりは楽しかった。台湾、また行きたい。美味しいし優しいし楽しい。健康な胃腸を持ちたい。どんな疲れていてもこの先に楽しいことがあると自然に思えているのはそこそこ健康なのではないか、と自分を励ましながらがんばろう。できないなりにできないことをやるぞ。鳥ともおしゃべりするぞ。みんなもいいことありますように。