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精神分析

「適切な」

バンクシーがロンドンの地下鉄で書いた絵を清掃員の人が気づかずに消していたというニュース、バンクシーも計算済みで描いているのですよね、多分。「交通局は、マスクなどの着用を促すメッセージを伝える適切な場所を提供したいとコメント」とニュースにあったけど、これはバンクシーに対してってことかな。バンクシーは「適切な場所」が地下鉄だったのでしょうけど、ねずみがくしゃみしているわけだし。

バンクシーって男性?女性?今「彼」とかくか「彼女」と書くか迷ったけど、それもどっちでもよくしておくことが大事なのかしら。

「適切な」って言葉、私も使うけど使いながらいつも微妙な気持ちになります。そういえば最近はKYって聞かないかも。空気読めないってなに、と思っていたので良いことのような気がします。ところでKYは看護のテキストだと「危険予知」という意味です。危険予知トレーニングは「KYT」。言葉はそれが置かれる文脈や文化でいくつもの意味になるから面白いというか厄介というか・・。

人もそうかもしれません。一例ですが、吉川浩満さんが山本貴光さんとやっている YouTubeチャンネル「哲学の劇場」で東浩紀『哲学の誤配』を「2020年上半期の本」としてあげていました。そこで話されていたことです。彼らと(私も)東浩紀さんはほぼ同年代で、昔からの読者としてその多彩な言論を知っているわけだけど、この『哲学の誤配』は韓国の人が韓国の読者のために東さんにしたインタビューなので、彼がどんな人か知らない人も彼のこれまでの活動をシンプルに追える構成になっていて、それがかえって東浩紀という人の本質を浮かび上がらせるよね、というようなこと(ちょっと違うかもですけど)を話しておられました。

東さんは彼自身が自分はそもそもデリダ研究者で、と自己紹介しなければならないほどその像が断片化してしまっているようで大変そうだな、とただの一読者ですが思います。少なくとも人をそういうふうに捉えてしまうと対話するのは難しいだろうなあと。ちなみに「哲学の誤配」(白)とセットで出たのは『新対話篇』(黒)。彼はゲンロンカフェという対話の場を提供している開業哲学者(他にそんな人いるのかな)で、同じく開業して生活している私はそこにも親近感を感じています(心理士は開業している人はそこそこいます)。

対話はその人の全体から編み出される言葉のやりとりだから、対話相手によってその人の像が変わるとしても、それは決して断片にはなり得ないと思いませんか。奥行きや広がりは生じるとしても。でも、もし、断片化するために人の話を聞くということがあるとしたら、それはその人に対する受け入れ難さがあるからかもしれないな、とも思います。確かに「私の知らないあなた」と出会うことを避けたり、自分がみたいようにしかみない、ということも私たちの日常かもしれない。

言葉も人もそれが置かれる場所、いる場所によってその姿を変えてしまう。でもだから私たちは流動的で、潜在性をもった存在でいられるのかもしれないですね。いつも決まった場所で決まった言葉の範囲内で生活しなさい、それが「適切な」あり方、とか言われたら私は嫌、というか辛いです。

今日も雨ですねえ。足元お気をつけておでかけください。

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曖昧

誰にともなくこれを書く。曖昧な思考、とりあえずの言葉。浮かんだ場面。

あの日、私は足立美術館にいた。もうずいぶん前の話だ。スクールカウンセラーをやめてしばらくした頃だった。駅から無料シャトルバスがあるから、と乗り場に向かったら、満席だから、とバスは私たちをおいていってしまった。このあとはしばらく来ないという。なんともすげない断られ方に少し苛立った私たちは知らないもの同士でタクシーに乗り合わせて美術館へ行った。他愛もない話を少ししたかもしれない。

足立美術館といえばその庭園が大変有名で、実際見事な景色が広がっているが、私はそれほど心動かされなかった。苛立ちが残っていたのかもしれない。

足立美術館は横山大観のコレクションでも有名だ。大観と戦争の関係もあまりに有名だろう。私は大観の作品たちとその説明をみながらとても複雑な気持ちになったし様々な疑問をもった。頭もこころも重たくなった感じがした。その時、別の大観の作品の前で熱心に学芸員(だと思う)から話を聞いている人がいた。ちょっと注意を惹かれたが何ということもなく次の部屋へ向かった。多くの作品に心惹かれ、北大路魯山人の作品に感動して部屋を出たとき、さっきの人とすれ違った。思わず二度見した。向こうもこちらをみた。私たちは思わず大きな声をあげそうになったけどあげなかった。スクールカウンセラーをしていた学校でとてもお世話になった美術の先生だった。見慣れた笑顔がとても嬉しかった。先生は陶芸もやっていてどこかに窯も持っていて我が家にもいただいた小皿がいくつかある。軽やかであったかい先生だった。

それから私たちは年賀状で、今年は〇〇の美術館に行きました、また偶然お会いしたいですね、とか、今年は〇〇でどこにもいくことができませんでした、など、私が学校をやめた日からではなくて、東京から遠く離れた土地で偶然出会った日を起点に挨拶を交わすようになった。いろんな記憶が薄れていきやすい私でもそのときの記憶はとても鮮やかだ。私にとってそこは、日本一の庭園で有名な美術館というよりあの先生に会えた場所としてとても思い出に残る場所になった。

いつか、偶然、どこかで、確かな約束というのも確率の問題。曖昧な未来も悪くない、というかむしろちょっといいのではないか。

窓の外は降りしきる雨。あの日の天気は多分晴れ。だって庭園がきれいに見渡せたから。