風はある。でも涼しくない。でもまだ暑すぎない。
早朝から料理をしていたので色々いい匂い。今週の常備菜はブロッコリーを茹でたのとひよこ豆のクミン炒めとにんじんのシナモンソテー。素材の味とスパイシーなのと甘めなのの3種。印度カリー子レシピ。シナモンパウダー終わってしまったから買わねば。来週はゴーヤのポリヤルを作りたい。南インドのスパイス炒めのことをポリヤルっていうんだって。ココナッツファインを使うの。あ、そうだ。アンブーレっていうバターで蒸し焼きにするレシピで作ろうと思ってキャベツ買ったのに忘れてた。別の料理に使ってしまったけどまだ余ってるからそれでやるか。こうやって書いておけば忘れないか。
最近、いろんな病気と食事療法の勉強をする機会があったのだけど栄養士さんの仕事ってすごく大事だね。栄養士になれる学科がある大学の学生相談室で働いていたときに実習の大変さとか色々聞いたけど具体的な食事療法のお話はご本人のというよりご家族のという感じだった。糖尿病とかが顕著だと思うけど、自分が当事者になった場合でも絶対にやったほうがいいといわれる治療からどうにかして逃れたいのが人間だと思う。いいとわかっていてもできないことなんてたくさんあるというより、身体にとっていいことが自分を蝕んでいる場合なんてたくさんある。精神分析だって同じ。自分が自分のままでいいと思うのであればそんなもの全く必要ない。でも通常人間はそこで葛藤する、本当にいいのかと。精神分析はそこに無意識を見出した。
昨日、「素朴」という言葉を使いながら素朴っていまや「特別」って意味と近いのでは、と思った。精神分析においていまや「葛藤」が贅沢品であるかのように。精神分析からセクシュアリティが関係なくなっていき、そこで扱われるべき葛藤も人間は失っていくのか。
先日、アンドレ・グリーンがアンナ・フロイトセンターで行ったフロイト生誕記念講演の記録、Green, A. (1995) Has Sexuality Anything To Do With Psychoanalysis? をセミナーで読んだと書いた。より詳細な検討は、グリーンの論文集、Contemporary Psychoanalytic Practice(2025)には1996年のセミナーをもとにしたSexuality in non-neurotic structures: Past and presentに書かれており、こちらのほうが臨床例も詳しい。
この論文は暗黙の対話相手としてフーコーがいるとのこと。フーコー以降、権力や言説の問題として語られるようになったsexualityだが精神分析において固有のthe sexualはどこに行ってしまったのかとグリーンは問う。同時代を生きた彼らはラカンを通じても身近であり、グリーンも哲学を否定することはしない。フーコーがグリーンに言及している文献はほぼないようだがグリーンがフーコーら哲学者に率直に言及している資料はある。フーコーの場合、当然、フロイト、ラカンへの言及は多いので、それを読めばグリーンとの立場の違いも推測はしやすいだろう。グリーンは語られる以前からのものとしてセクシュアリティを語るので、フーコーのように言説としてのセクシュアリティの歴史とは扱っているものが違うのだろう。
今日も明日もだいぶ時間がないがやるべきことが多い。がんばっていきましょー。とりあえず熱中症に気をつけましょうね。

