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精神分析

不確かさと沈黙

ほんと言うだけなら簡単、と私も思われているに違いない。してもいない経験をまるでしたかのようにいうことには相当の注意を払っているつもりだが、経験をするということがどういうことかということも常に問い直される。

ひどく痛むのに「ここだよ」と痕すらみせることができない傷、もはやどこにも起源を見出せない痛み、精神分析は痕跡について特殊な理解を示してきた。一見因果論にみえるかもしれないそれは触れればそうでないとたやすく知ることになる。

これはこうだと決めることはできない。確定した途端にそれが錯覚だったと気づくような不確かさに触れ続ける体験は精神分析に独特のものだろう。どっちにもいけない場所で自分を感じ続けること、精神分析家になる訓練が必然的にもたらすはずのその痛みを十分に生きることであるとしたら「真の」精神分析家などいないのではないか。その懐疑とともにそこにいる以上はともかくも死んではいないということだろう。

饒舌な語り手の前に沈黙し、上書きされ累積する痛みに身を沈めること、判断を保留し、自分に閉じることで開かれること。いずれ、と願うばかりの毎日にもいつか、と思えるようなささやかな出来事が今日もありますように。

作成者: aminooffice

臨床心理士/精神分析家候補生