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精神分析、本

雪、楽しみは千葉雅也新刊。

昨晩遅くカーテンからのぞいたときにはまだ雪じゃなかったのに朝起きたら真っ白。気温が低すぎないから積もらなそう。これでようやく春かしら。もう春だよね。お花がいっぱい。でも桜の時期にもう一度くらい降るかしら。確定申告があと一歩。これまではただ憂鬱だったけど色々と気づくことの多い作業だった。やり始めたらサクサク進んだ、ような気がしていたがかなりの時間を割いた。まずい。精神分析で生活していくためにはもっとがんばらねば。基本給のない世界だから。東京の電車、もうちょっと雪や風に強くなって。今日は全く問題ないけど。昨年後半は時間感覚が明らかにおかしく雑な作業をしてしまった。今年はみんなのがんばりに支えられて結構がんばってるつもり。何やってても楽しいと思うほうだけどやりたいこと考えたいことはたしかにまだまだ山積み。組織に属している限り役割も引き受けていかないとだし。みんながんばろーね。ひとりしごとだけどひとりの学問じゃないもんね。楽しいといえばもうすぐ千葉雅也さんの新しい本『センスの哲学』(文藝春秋)がでる。とても楽しみ。これまで千葉さんの日本語にどれだけ助けられてきたか。ドロドロしたものをSNSと実際でスプリットしてるどこか気持ち悪い言葉とは全然違う。私が思う普通の思いやりはああいう文章に滲んでいる。千葉さんの小説に出てくる暗さとか揺れとか本当に繊細な色づかいを感じませんか。そしておしゃれ。千葉さんのイベントに行くとそのセンスに学ぶことが多い。言葉の使い方もそのひとつなんだろうなあ。千葉さんの一連の作品とかnoteとか読んでいるとそれだけで相当勉強になる。こういうのも立場曖昧にして小手先で言葉使う人は人の身体や心も適当に使うよな、という学びがあってこそだけどね。がんばってどこか飛び込まなくてもそういう体験なら山ほどするでしょう、きっと。でも美しい日本語に触れたり様々な質をもつ繊細なモノに触れることは意識的にしないと難しいと思う。私は日々いろんな人に実際に深く関わっていく仕事だからそういうものとの出会いに恵まれていると思うし千葉雅也さんの最初の本の頃からずっと追えているのもラッキーだった。あ、私の仕事はそれぞれの人の言葉というものに驚きを持って出会うことが多くてそれはとても繊細だけど力強く鮮やかだったり全くの空虚だったりして私は精神分析のおかげでそれと出会えるようになったと思っているってこと。プロセスを共に過ごすこと。ただそれだけのことだけどただそれだけのことではないことが生じる。そういう地点を目指しているというのもある。意識的にではないけれど。だって起きてしまうでしょう、ここだと、という感じ。起きてしまうことに対してどう自分のこころを動かしていけるかは訓練でどのくらい無意識にチャレンジできるかというかそれを信頼して委ねられるかにかかっている気がする。怖いことだから。フロイトが限界ある自己分析にも関わらずその領野を開いてくれたことに超リスペクト。いかん、普段使わない言葉を適当に使ってしまった。せっかく美しい日本語のことに触れたのに。今日もなにがあってもなくともなんかよくわからなくともそれぞれとりあえずはじめていますか。東京の雪は午前のうちにやむ予報。それでもどうぞ足元にお気をつけて。

作成者: aminooffice

臨床心理士/精神分析家候補生