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精神分析

日本っぽさ、富永京子さんポッドキャスト

昨晩の月はチェシャ猫の口だった。沈丁花いっぱいの薄暗い遊歩道を歩いていたら少し先を白黒の猫が横切った。いつもの子だ。まだいるかなとさらに暗いところを覗いてみたがもういないみたいだった。遊歩道を離れる道に左折すると月がニッと笑ってた。

毎日1時間程度の勉強は重ねていたがそれもままならないまま日々が過ぎていく。そんなで英語が喋れるようになるはずもないが発表原稿の締切だけは着々と近づいている。日本語でだって書けていない。でも今回のチャレンジはこんな状態で言葉の通じない世界に打って出る(とりあえず自分の意見をいってみる)こと自体に意義があると思っているので私個人は色々なことを学ぶだろう。できなさをいっぱい抱える個人であり続けること、無力であり続けること、そういう隙間いっぱいの個人でいることが精神分析家になるためには必要なんだと思う、候補生生活はそういう日々だった、ということを話そう。とはいえ、私は日本の候補生として何かをいう立場なので「日本の」を強調する場合、多分こういうあり方は全然日本的ではない。どうしよう。日本文化でもっとも素晴らしいのは落語だと私は思っているのだけど落語もいざ説明しようとすると日本っぽくなくない?という場合の日本というのはやっぱりどっかクリーンなイメージなのだろう。クリーンぶってる、というか。色々曖昧にしてなかったことになるまではみないふりを貫くというか、そういうときだけ仲間意識強めるとか。落語にある笑える居心地の悪さとか、ちゃっかりしてるぜこいつというにっくきかわいさはあまり日本人らしくない気がする。

そういえば富永京子さんが夢に出てきた。昨日、帰り道に富永京子さんのポッドキャスト「仕事の合間」を聞いたからかもしれない。おもし論文を紹介してくれたりするのだけど本当におもしろい。あと富永さんはとってもおしゃれでハイブランドのお洋服の話とかもしてくれるのだけどそういうのに全く縁がない私でも聞くのが楽しい。ワクワクする。この前「え?そんなことも知らないで好きとかいってるの?」みたいな人がいたのだけどこの人何か知らないと好きとかいっちゃいけないとか思ってるんだ、とびっくりした。でもたしかに人をそうやってカテゴライズして好き嫌いを言っている人ではあった。「〜っていう相手とは付き合わない」とか。だからいつも同じような人とばかりいるんだなあ。富永さんはそういうところが全くないから逆にそういう人を思い出したのだろう。人柄は社会運動の研究者だからというわけではないだろう。すごくフランクでオープン。言葉の使い方にもすごく注意が払われている。いろんな失敗込みで話してくれるから「わかるー」ってなるし。『みんなの「わがまま」入門』(左右社)に書いていることをそのまま実践できている方なんだな。このポッドキャストとてもおすすめですよ。ちょうどいい長さ(25分くらいかな)なのもそうだし、好きに話している感じなのにメディアに出続けている人でもあるせいか聞き手に対してとても親切。美味しいお菓子のことも話してくれるしワクワク。なんで自分では高級すぎて買わないものだったりするのにこんな楽しく聴けるのかなあといつも思う。

今朝も秩父土産、「栗助」さんの「ほっくり芋」でした。これはさつま芋。シナモンのコーティングがきれいでとてもいい香り。栗のお菓子よりも甘味抑えめ、というか栗と違ってそのまま素材の甘みを活かせるのかな、さつま芋だと。私こういう素材のジャケット持ってる。今日、それにしようかな。シナモンコーデっていうの?それだとサンリオの方になっちゃうか。あのコーデができる服は持ってないな。大学生の頃の服をまだ着られるとはいえやっぱりあの頃の方がスリムだったんだな。なんかどれもきつい感じがする。というかそんな昔の服をいつまでも着るなよ、って感じかしら。ふむ。なんか今日は花粉がいっぱい飛んでる気がする。むずむずする。みなさんもどうぞお気をつけて。マスクマスク。どうぞ良い一日を。

作成者: aminooffice

臨床心理士/精神分析家候補生