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精神分析

山内明美『痛みの〈東北〉論――記憶が歴史に変わるとき』(青土社)

眠い。昨日もお菓子をいっぱい食べた気がする。満足できるお菓子とそうじゃないお菓子があってそれが甘さのせいなのか量のせいなのか味のせいなのか食べるタイミングのせいなのか気分のせいなのか他にも色々複合的な要因のせいなのか自分で全然わからなくてなんかいつも「美味しい!」となっても物足りなさが残ったりする。朝にいただくお菓子は少量でも美味しくて満足と思えるものが多いから時間帯とおなかの空き具合によるのかも。今朝は秩父のお土産「秩父よいとこ」。これは何度かいただいたことがある。白餡と芋餡かな。いい香り。甘ーい。お茶とあいます。今日はほうじ茶。温まる。ここ数日はエアコンいらずで服装の調整だけで過ごせる快適な気温。嬉しい。なんか雨が窓に当たる音がするんよ。いやね。出るまでにやんでほしいけど出るときにこそ降ってそう。そういうものですね。

石原真衣、赤坂憲雄と読んで今度は山内明美。南三陸生まれの研究者。『こども東北学』(よりみちパン!セ)を読んだことがある方も多いかもしれない。私が今回読んだのはこれもSNSで見かけた山内明美『痛みの〈東北〉論――記憶が歴史に変わるとき』(青土社)。今年三月に出たばかりなのね。震災後まもなくいろんな本が出始めて私は本屋でそれらを違和感を持って眺めていた。丸善お茶の水店でそういうコーナーがあったのだったか、少し中身を見ては棚に戻してその表紙をぼんやり眺めて立ち尽くした。なんとも複雑な気持ちになった。いつも私が買うような現代思想の雑誌や本には有名な知識人ばかりが寄稿していた。ほぼ男性。2011年5月、6月に出たそれらはどのくらい被災地の人に届いたのだろう。もちろん被害が少なくともあの日は東京だって異常事態だった。私はお茶の水にいた。自分の体験は何度も語っている。その日に限ってスニーカーを履いておらず、その日に限って上着も十分ではなく、歩いているうちに温まるかと思いきや道は人でいっぱいでノロノロしか歩けなかった。山内明美の新著にも繰り返し書かれる彼女の体験がある。彼女は当日東京で地震にあっているが南三陸の被害状況が流れる中、親と連絡が取れずにいた。どれだけ不安だったことか。あの日、私と同じ部屋で地震を体験した人は親族を失ったとあとから聞いた。皆その人のご実家が東北であることを知っていた。どうかご無事で、と言葉にするのも憚られる映像がテレビに流れ続け、みんなで立ち尽くすようにそれを見ていた。隙間時間にこの本を開き「あれ?ここさっき読んだっけ」と何度か思った。いや、読んでいない。何度も同じことが書かれているんだ、としばらく経ってから気づく。時間が経つにつれて心寄せる先が広がり響きあっていく。福島、奥尻、水俣、石牟礼道子、宮沢賢治、地元の産業、子どもの頃の<三陸世界>、外国人花嫁、アイヌ、森崎和江、確かにこの本は「記憶が歴史に変わるとき」が書かれていた。当事者の体験としてそのプロセスがある部分ではバラバラとした状態を残しながら、別の部分ではすでに整備された道の歴史を辿るように書かれていた。出来事が生々しく目の前を覆い、心を塞ぎ思考停止しそうな状態から何かを立ち上げようとするとき人はそれまでの様々な痛みと共鳴しそれらと繋がろうとするのかもしれない。そんなことを感じさせる本だった。時間がなくなってしまった。鳥たちが高いところで鳴いている。雨が上がりつつあるかもしれない。どうぞよい一日を。