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精神分析

筍ごはん、硬い身体

今朝は筍ごはん。春。毎年静岡の小動物みたいな筍をいただくのだけど今年は来ないな、と思っていたらアク抜きした筍と筍ごはんのお裾分けをいただいた。正直、こっちの方が嬉しいな。フサフサの小動物みたいな筍もかわいいのだけどたくさんむきむきして小さくなってもそれなりに大きいというか、要するに茹でるのが面倒なのよね。いつも米ぬかもつけてくれるからただ茹でればイイだけなんだけど、と書くとなんでそんなことがめんどくさいのかと思ったりもするけど時間もかかるし米ぬかも結構厄介なところがあるでしょう、と思うのは、やっぱり他の料理より手間だな、と感じてるってことだね。もしかしたらほかにも要因があるのかもしれない。でもせっかく旬のものをいただくのだからはりきれるようになりたいわね。

今日はきれいに晴れそう。空はまだ薄い水色だけど東からの日差しが早速強い。部屋が朝日いっぱい。何が何やらな毎日でかえってぼーっとしてるだけみたいな気分なんだけどどうしたものかしら。この前、またパーソナルトレーナーの先生のところへ行ってみてもらったのだけど自分で柔らかいと思っていた肩甲骨周りが全く感覚がなくてびっくりした。昔みたいにひどい肩こりがないのも単に感覚がなく固まってるからなのか?怖い。そういう人いるらしい。ヨガやってるし、とかいって安心していたけどコロナ前からやってないし。先生に触られればそこに骨や筋肉があるとわかるのだけど自分で動かすことができなくてびっくり。でもそういう体験自体はヨガでたくさんしてきたからいずれ動くだろうとは思える。ヨガやる前の身体がほんと固くてみんなが低い姿勢を取れるなか一人だけ何もしていない人みたいな高い位置にいたりして先生も笑っちゃったりしてちょっと恥ずかしかったけど若い頃と違って全然恥ずかしさよりどうにかせねばという危機感の方が上回っていていつも先生の真前で超真剣にがんばって数年、だいぶ柔らかくなって今は見た目だけはどのポーズもそこそこ上手。全くできないポーズもいくつかあるけど。でもこれらが得意な筋力でごまかした結果の見せかけであることも知っている。先生にはバレているのだよ。はあ。指でちょっと姿勢直されるだけでふらついたりするのだからあーあって自分に対して思う。下手に運動神経がいい方だから使えるところで誤魔化しちゃうんだよね。その結果、今があると。はあ。でもさすがプロは技が多い。色々教えてもらって動いているうちに感覚ではつかめないけど鏡を見ればこんな感じかと動けるようになった。これを「今ここが動いてる」って自分で掴めるようになるためにはまずはどこが動いていないかを意識しようということで器具を購入。テニスボール2個でも代用できるけど2個を正確な位置に置ける気がしない。不器用すぎて。こうやってカシカシうっているときも時々姿勢を意識せねば。あーあ。整形の先生が言っていたことは正しかったんだなあ。いつもそう。人がいうことは大抵正しい。お世話になります。がんばりましょ。今日も良い1日でありますように。