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精神分析

輪島

2024年元日に能登半島地震が起きて3年目の夏、ようやく輪島へ行った。交通の便や宿泊など観光客を受け入れる余裕があるかどうかを問い合わせつつ、羽咋、七尾、和倉温泉と足を伸ばしてきた。この7月、能登空港が「のと里山ポケモン・ウィズ・ユー空港」に改称し話題だが、今回は羽田から飛行機で輪島に入った。出口ではポケモンたちがたくさん描かれた大きな壁があって写真を撮る列ができていた。少し離れた場所には石川県出身の力士たちの等身大パネルもあった。空港からは「ふるさとタクシー」という乗合タクシーを予約しておいた。乗合といっても客は私たちだけで一人1300円で輪島のホテルまで連れて行ってもらえた。街は一万円札は使えないから今のうちに売店で崩しておいた方がいい、など教えてくれた。もちろんそれは店によるわけだが、運転手さんのちょっとした一言一言は輪島がいまだに深刻な状況であることをたやすく想像させるものだった。少なくとも私よりはかなり高齢に見えるその人は今走っているその道がどのようなものだったかを知っている。隆起したままの凸凹道に揺れなながら言葉少なくなった運転手さんの独り言のような声をきいた。「壊滅的」という呟きも聞こえた。雑草が青々と伸び放題なところもあれば青田もあった。「ここは商店街だった」と商店街の名前も教えてくれたが聞き取れなかった。数軒の家は見えてもどこがどんなまとまりだったのかも想像できなかった。

東日本大震災の後、相馬の仮設住宅に暮らすみなさんのところに向かうワゴン車の中、青々とした草原を「きれい」といってしまったことを思い出した。一緒に動いてくれていた地元のケアマネさんにそこが全部流されてしまったあとだと聞いたときは言葉を失った。

私はその後も何回か東北や熊本や能登の被災地に行っているが、あるときある人に八つ当たりをした。被災地を歩きながら「そっちは立ち入り禁止」と言われた。最初は携帯で調べながら教えてくれるその声に「そうなんだ」と従っていた。危ないのだから調べてくれるのはありがたいことに違いなかった。そのあとも「立ち入り禁止」の看板やマークを何度も目にしながらどうしてこうなる前にこなかったのだろうと思いながら歩いた。ここが変わり果てた景色であることは間違いないのに前を知らないからどんな気持ちにもなれなくて気持ちが重たくなるのだけを感じた。仮設住宅が立ち並ぶ道を歩きながらその人が携帯の画面を見ながらまた「立ち入り禁止」だというのが聞こえた。私は急に腹が立って「なら行かなければいいでしょ。そこまでは行けるしそこには道があったんだよ。」というようなことを言った。私は相馬での自分の無知が腹立たしくて他人にも「きちんと見なよ」ということを求めていたのだと思う。

輪島は思っていたよりずっと近かった。飛行機を使えばタクシーで30分で出られる。メインの入口がまだ使えないホテルの勝手口のような入り口から入り荷物を預けて散歩に出た。お昼までもまだ時間があった。今はほとんど更地となった輪島朝市通り、崩れたままの瓦、傾いた電柱、ボロボロになったブルーシート、足元に気をつけないとぎっくり腰になりそうな段差や大きな亀裂がたくさんあった。壊れた景色を心の中で修復するにはあまりに情報が足りなかったが少しずつそれでいいと思うようになった。またくればいいんだ、そう思える出会いがそのあとにあった。まだそこがあるのであれば何度でもくればいいんだと思うと楽しみになった。

旅に出るとなにげない会話が特別な会話になることが多い。あの運転手さんの絶望したような呟きにも希望が戻りますように。一方で、能登のみなさんが最初に口にするのは熊本の猛暑の心配だったことも忘れない。あの日、能登は雪だった。出会う人みんなが「私たちは着ればよかったけど暑さは・・・」と言うことに私はまたもやなにも言えない気持ちになった。離れた場所で体験を共有している人たちがいることを伝えることくらいはせめてしていけるかな、と思う。

昨晩は雨が降ったらしい。少しだけ涼しい気がしないでもない。今日も良い一日になりますように。