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うそもほんとも。

寒い。

ペットに対して優しい夫を「お父さん」と呼ぶけど自分のことを「お母さん」とは言わない人だった。子供のいないその人は女性の怒りや苦しみに共感的で夫はペットにだけは共感できる人だといっていた。もうそのペットはいないけどふたりは一応今も一緒にいる。嘘も本当も色々だ。と昨日も書いた。お互いに積み重ねる水準の違う嘘。生きているか死んでいるかより重要なのは一緒にいた時間の長さなのかもしれない。みなかったことはなかったこと。嘘も知っていたけどこういうのはじめてじゃないから。その人は笑った。そして時間をかけて築いた奇妙なシスターフッド。今日ももろもろなかったことにしてわかりやすく優しさをふりまく人にうんざりしたため息をそっとつきながら。

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あれはなんだったんだろう うそもほんとも。 精神分析

うまくできてる。

書いては消し、ということをわざと繰り返す。ここでそれをすると「間違って」公開してしまう場合があるのでここではなくて。「相手」あることに対しては相当に相当に慎重にならざるをえない。人ってうまくできてる、と思う。それを「支え合い」と呼んでいた時期もあった、といえるほどに移ろいやすい人間関係。「一年あっという間」と感じられるように寿命を短いと思えればこんな苦しみなんて、と思えていいのかもしれない。でもそんな簡単じゃない(これまで何回この文章を使っただろう)。また「あれはなんだったんだろう」の時間がはじまる。

といっても疑問にのみこまれているばかりではない。まるで実験対象のようにされた時間を今度は自分が調査対象にしている。知ることでどうにかしたい。そうでもしないと「間違って」色々してしまいそうだ。人ってうまくできてる。でも直接的に関わりのない誰かを傷つけないためにその理性は必要だ。本当に悲しいことに。こういうのも「ケア」について語るときの困難と通じている。

さて、あれはなんだったんだろう。どうしてあんなことが可能だったのだろう。

たとえば「気持ちいい?」ときかれて頷いてしまうとき、それが全くの嘘の場合、言われればそうかもしれないという場合、そんなことないけど相手を気持ちよくさせたい、あるいは怒らせたくないのでという場合、なんとかの場合なんとかの場合といくらでも答えはあるだろう。嘘にも本当にも色々ある。

精神分析では去勢と倒錯は常に中心となる概念だが、実際の性器とこころの関係は恐ろしく複雑で言葉がそれをどういう形で記述してくれるかがその人の人生を変えたりもする。ましてや実際の接触がある場合、男女の場合だったら非対称性は否認できないものとしてそこにあるし、同性同士の場合でも差異は何気なく気にされつづけそれが言葉や身体の力の使用に影響を与えたりもする。

などなど。もう行かねば。ネバということはないのだけど仕事までにしたいことがあるのだ。自分や相手や見知らぬ誰かの欲望とどう関わるか。答えはひとつではない、と思えることも「ケア」の基盤だろう。あなたがどうにかしてしまいたい相手にも「相手」がいる。だから答えはひとつではありえない。常にそれがすべてではないのだから。人ってうまくできている。本当に苦しく悲しいことに。

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うそもほんとも。 精神分析

進化?

なかなか明るくならない。冬ですね。

「もういい」と苛立ったため息をつかれた。3回でわからないといつもこうなる。「表」では聞き上手おしゃべり上手の懇切丁寧な超いい人なのになんで。あれは伴侶との「生活」のためだから。中途半端な相手のことは好きなときに好きなように使って捨ててしまえばいい。なるほど。「伴侶」のことも似たような扱いに見えるけどそんな分類があったのね。契約って大事だものね。AIっぽいなとずっと思っていたけどどこまでいってもそんな感じだなあ。最後は「中途半端」を愛せないAIの限界をみた。

ナンパの仕方もいつも同じ。言葉、絵文字や記号まで。使う店もいつでも誰にでも。集団だとうまくいかないからひとりの場所へすっと入りこむ。そういうのを求めている人を上手に判別する。もちろん面倒になったらAI的に「適切な」理由をつけて脱出。まだ複雑さには対応できない。失敗ヴァージョンと成功ヴァージョンの両方をみた。「失敗」といっても気にしない。全てはアルゴリズム。運が悪いとこうなる。相手が悪いとこうなる。あるいはこういうときだけ「人間コワイ」となるし、せっかく提供してあげようとした「ケア」を「拒否」されたとかなるし。困ったものね。でもなんにしてもこちらがダメならあちらへ。それだけ。「気持ち」って幻想でしょ。

魚かなんかだと思われてるな、と感じながら魚に失礼だな、と思った。絶対に異なる生物だったと思う、遺伝子的に。あなたはAI、私は魚かなんか。私は一応平均寿命を想定した有限性を生きているのでいろんな気持ちに耐えられるというか生きてるっていうのは一応耐えているってことだと思う。なのでコミュニケーションを有効だと思ってる。そしてものすごく死にたくてもそう簡単に死なない。事故とかであっけなく死ぬことはあるかもしれないけどそれも私にはどうにもできない。そういうのも有限性。あなたの場合は有限というよりこっちは限界、ではあっちの限界へ、そんなわけで基本的に無限が前提。違う世界を生きているのね。同じかと思ってた。

結婚詐欺とかも相手がAIだとわかったら「そっかー、ならしかたないね」って時代がくるのかな。というかそういうことを言えてしまう人は確実に増えていると思う。こういうのって進化?精神分析的にはあらたな防衛の登場とかいったらやっぱり「古い」という矢印の方へ振り分けられるよね。でも人間の寿命を考えたら古いも新しいもという気がする。とりあえず今日も一日。

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あれはなんだったんだろう うそもほんとも。 精神分析

「あれはなんだったんだろう」

ゲンロン友の会のグッズを開封したままリビングのテーブルにおいておいたのをようやくきちんと見た。東浩紀の言葉が書かれた手拭いつき。勢いある。「ゲンロン友の声セレクション」はいくつかすでに読んだものもあるが書き下ろしもある。

久々にみるというか流しているNHK俳句はゲストはピアニストの金子三勇士。なんだか立派な名前だ。選者は星野高士。池内友次郎という俳人がいるのか。おお虚子の次男で音楽家なのか。星野高士からすると?大叔父とかいうのかしら。わからない。

流れ行く大根の葉の早さかな 高浜虚子

に曲をつけたのか。かな?きちんと見ていない割にそっちに引っ張られる。あ、洗濯物ができた。洗濯物ができた、っていう?干してきた。今日は雨が降るんでしょ。乾燥してるから少しありがたい。まだ空に水色が見えるし鳥も元気に鳴いている。雨でも同じ景色は見えるし同じ音は聞こえるか。コーヒーは冷めてしまった。

3日連続「あれはなんだったんだろう」という題で書いた。一緒にいる間は気づかないふりをしていた不安や疑惑。実際の傷のことも書いた。あの日のあれ、あれはなんだったんだろう、といくつかの場面を切り取った。

どうにもならない気持ちをどうにかするために私たちはなんらかのアクションを起こす。

東浩紀はゲンロン友の会特典の手ぬぐいに「対話は時間こそが本質で、心を開くことは最大の贅沢」と書いている。本当にそうだと思う。「なのだけど」と東は続ける。時代のせいなのだろうか。それもあるだろう。

Netflixで「天気の子」やってる。いかん、また注意がそれてしまった。テレビで見るとすぐに注意が逸れてしまう。普段テレビは全く見ないのに。

「僕と彼女だけが知っている」そう。二人だけが知っている。「あの日みたことは全部夢だったんじゃないか。でも夢じゃないんだ」そう。夢じゃない。

だから「あれはなんだったんだろう」と問い続けることになる。夢だって「あの夢はなんだったんだろう」となるだろう。だって夢を見ているのは自分で結局自分の体験と切り離すことはできないのだから。

新聞や雑誌の相談欄をみてげんなりすることがある。「それはモラハラです」「それはセクハラです」というあなたはどなたと思う。こういう投稿欄はそういうものだとわかってはいる。相談してきた人に「寄り添う」ものだ。(「女が女の話を聞く」ことの意義と関連づけて考えている)

あれはなんだったんだろう。そう考え続けること、相手はもう実際の対話相手としてそこにはいない。それでもあのときの違和感、あのときの不安、あのときの恥じらい、あのときの喜び、あのときの悲しみに囚われている自分を否認しない。無理せずにさっぱりできるならいいが、無理してまでもう過ぎたこと、終わったことにしない。実際にあの人がいてもあんなにくっついていても言えなかったことばかりだったではないか。思えば思うほど言葉を使うのが下手になる。不自由になる。涙を堪えることが増える。怒りを溜め込みやすくなる。だから会わない時間こそ重要だった。あれはなんだったんだろう。ただただ大好きだっただけなのに。この年齢からの先なんてそんな長くない。一緒に乗り越えていけるかと思ってた。そんな勘違いもすでに笑えたとしても悲しい気持ちを忘れない。

あれがなんだったのか、答えがほしいわけではない。そんなものはないと知っている。お互いのことだ。外からはわからない。二人のことだ。それでも今の私には私からしか書けない、という以前に私は女が何かを書くときはまずは一方的に主観的に書く必要があると思っている。「ひどいことを言ってきたのはみんな女」とか女が男に相談しながら男との依存関係をうやむやに作っていくあの感じからはとりあえず距離をおきたい。私たちのすれ違いは単に個人的な事情によるものではない。最初からある構造上の問題。それを意識しながら別の誰かや誰かとの話と混ぜこぜにした嘘ほんと話に仕立てながらあなたに感じた「あれはなんだったんだろう」を考えては書く。対話は断たれた、としてもこれも対話なのだろう。あのときのあなたとの。あのときの私たちとの。むしろ逃れようのない。

精神分析は連日カウチで自由連想をおこなう技法だ。「自由」に連想などできないことを思い知りながら徐々に「あれはなんだったんだろう」と出来事を眺める心持ちになる。そこまでがひどく長い。私たちが「あれはなんだったんだろう」と思うとき「あれ」は結構昔のことだったりするように。

対象と距離をとって眺めるということの難しさは投影同一化といわれる現象に最もよく現れる。私たちはすぐに自分と相手との区別をうやむやにする。その上で自分は正しい、間違っていないと言いたがる。「そんなつもりはなかった」という言葉の空虚なこと。ただ裁くのは法の仕事だ。私たちの仕事ではない。

「いい悪いの話はしていない。」「正しい間違っているの話はしていない。」時折そう伝えながら、巻き込まれ区別を失っては取り戻すことを繰り返す。そうこうしているうちに「今こうしている私たちってなんなんだろう」となる。あのときもこのときもこうだった。これってあのときのあれと同じでは、とさらに別の「あのときのあれ」が出てくる。出来事は自分のものだけでもなくあの人とのものだけでもなくさらに別の誰かとのものになる。いくつもの場面が重なりパターンがみえてくる。

私の気持ち、私たちだけの秘密、そういえばあのときのあの人とも。あれはなんだったんだろう、ぼんやり時間をかけていくことが別の地平を開いていく。その体験を知っていれば耐えうることはたくさんある。死なない程度には、ということかもしれないけど。この辺の基準は人それぞれだと思うが精神分析であえていうとしたら「今よりはまし」というものだろう。こういう現実的なところに私は助けられているし、これだったら役に立つ人もいるだろうと思っている。強い思いこみや空想で何かに到達したり切り拓いたりしていける人もいると思うが地道に今の自分を確かめることで、というのも悪くない。よって私は今日も悶々とする。あれはなんだったんだろう、と沈みこみながら。今日のお天気もちょうどそんな感じかな。みんなはどうだろう。元気でいてくださいね。

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うそもほんとも。

長い年月をかけて絶対的に信じられるものを得た気がした。ずっとそばにいつづけることで。これだけは言わない、一方のせいにしないという誓いと共に。どうにでも見えるし結局わからないことだからといって忍耐強く関われればいいが実際には難しい。ただ、本当にどうにもならないことを誰のせいにもしようがない。むしろその事実が苦しくて何年にもわたって苦しみ、行き場のない怒りをぶつけることがあってもその切なさややるせなさを共有することで再び愛しあえた気がした。大抵のことは二人だけのことではない。たまたま出会った私たちがお互いを大切にすること、それが社会的にどんな関係であろうと憎しみや衝動は相手に引き起こされた自分のそれであり変わるべきは自分だ、そう認識することが歴史を捻じ曲げない術のように思えた。

そう思えば、罪人のように扱われるならそれはそうなのだろう。相手にも相手あることを思えばそれ以上言い募ることはできなかった。私たちは二人だけで生きているわけではない。愛情がいつのまにか戦いの言葉で語られるものに変容していたことに気づいてはいた。でも気づかないふりをした。私にはそうではなかったのだからそれに合わせる必要もないはずだった。でも否認を続けた。私が悪いというのならそうなのだろう。本来は一方的ではないはずの、十分なプロセスを経たうえでなされる死刑宣告のような言葉ももう受け入れざるをえない。一度されたら逃れようもない。そう思ってせめてひっそりとと身を隠すように暮らしている人は少なくない。戦うことが全てではない。私が悪いのだ、と思い続けることで保てる部分もある。

悪いのはあなただ。あなたを責めて数時間後には別の場所でわかりやすく「愛」を振り撒いている相手に死にたくなったとしても死なないことが大切だろう。声をあげるなら勝ちにいかねばならない。もしそう思うならなおさらそんな状態で戦うべきではないと私は思う。そもそもこれは戦いなのだろうか。常にそこに戻る。そうやってやり過ごす。時間が一番の薬、昔から語り継がれてそうな優しい言葉を信じて眠れない夜に目を閉じる。まずはそこからかもしれない。

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作り話の先へ

「彼女が言ってることが本当なら」

なんだその前置き。「あなたのいうことが本当なら」と何食わぬ顔で返したら空気が変わった。そのまま続けた。

これは作り話なんだけど、あ、これは本当。え?ああ、本当なのはこれが作り話ってこと。

噛み合わない。もう苛立ってる。チイサーイと心の中で小さく呟く。今夜もSNSで重いだの見切ってやるだの軽薄な調子で呟かれるのを目にするのね。あーだるい。ミュートしとこう。

さて、そろそろ始まる投げやりな雑談。

そのツイート知ってます。その人のこと教えたの私ですから。全然興味なかったの忘れてるね、きっと。曜日決めて食事いかないとどの子とどこ行ったかこんがらがっちゃうくらいだし。私も写真あげておけばよかった。

あなたの友達が心配して連絡くれたんだよ。だから私も心配になっていったのに逆ギレ。この前のあれはすごかった。怖がらせれば黙るよね、人は、ふつう。こういうことももう口に出せないもの。

え?今日もするの?投げやりな雑談に一生懸命つきあったのに。まあいいけど、こんな日もあるから。本当はこれがいちばんやむ原因だけど。わからないよね、そんなこと。いってないもの。

今夜も延々とありがちな作り話。こんなのはパターンになってほしくないがパターンとしていくらでも書ける。小説を書ける人はこれに背景も奥行きも加えて本当の話にできる。いいな。そしたらエンディングも変えられるかな。ありきたりなやりとりに私たちを持ち込みたいな。別の世界にいきたいの。とかいってるうちはだめですよね。やるならまじめにやれ、ときっといわれてしまう。でも私は小説家になれない。だから話を聞きましょう。話されるままに。それがお仕事。書ける人たちを尊敬してる。応援してる。どうぞよろしく。私たちを助けて、こんな作り話から。協力できますように。

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昨晩の分

ネットに強い知り合いが思い通りの展開に喜んでいた。やってること相当ダメだと思うのだけどこういう快楽もあるのかと興味深かった。でも普通にそういうの怖いからやめてと伝えた。だって傷ついてるのにさらに嫌なことされてゲーム的な扱い受けてるんだよ。それは真剣に抵抗すべきでしょ。そこまでされてるのに軽口叩いているみたいで痛々しい。実際ひとりになるとほとんど発狂しそうになるって言ってたではないか。今までのことがあるからそんな簡単に手放せないのはわかるけど。そんな相手を選ばなければ、ということに尽きるけどもう取り消せない。だからといって思春期的なやり方で自分を正当化しつつ欲望だけ叶えたいみたいな心性に振り回されるのはおかしいと伝えた。あなたがそういうことを平気で言える相手でよかった。むかつくんだって。すごくわかるよ。本当に正当に裁かれるといいね。もう少し時間をかけよう。あなたのやり方は効果はあるけどあなた自身も傷つけるからやめとこうね。

いろんなことをネタにして小説にするっていうのはいいと思う。私はできないけどその人はすでに書いているから余裕でしょう。

いいなあ。私はひたすら悶々と苦しんでそれがどうなっていくのか自分で観察していくだけだな。小説にするというのはまた別の作業だものね、わからないけど。まあ、淡々と生きるために普通に寝よう、

と思って寝たばかりだけどもう起きねばな時間になった。昨日も公開しわすれた。あとでまた書くかな。その前に資料作ろう。そういうわけで何も進んでいないの。みんなは元気ですか。そうでもないかな。この前ね、と書きたくなってしまったけど資料資料。とりあえずまたね。

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うそもほんとも。

作り話

全部作り話なんだけど、と本当に作り話をした。そのつもりが全部本当のことと受け取られていた。自分でもそんな気がしてきた。「それ言ったのあなたじゃないですよ。」と会話を再現してくれた。会話分析っていうの?そういうのもしてくれた。「受け手はここで意図的にずらしているか混乱してずれているんです。」でももうそんなのはどうでもよかった。言ったのは絶対私なんだ。そのつもりがなくてもその人がそういうのだからそうなんだ。

こういう余計なことしたがるのは絶対あいつだろうと確かめたらやっぱりそうで驚いた。ほんとにいつも期待を裏切らない。ほんとにほんとに人の気持ちはわからないのに期待に応える力は抜群。身体さえ丈夫なら(これまで怪我や病気はしたことがないそう)このままうまくやっていける。定点観測の場合。それでいい。こっちの人たちにとってはひどくうんざりで鬱々させられるけどそういうのは確かにありだ。大ありだ。もう若くもない。賢い人が賢く生きることにこちらが耐えねばならない。変わるべきはこちらだ。

これはあれだな、カーリングの戦い方だ。と一瞬思ったけどカーリングのことよくわかっていなかった。一石を投じる。勝敗の行方を大きく左右する一石を。というか私は戦ってなどいなかった。勝手に戦闘体勢になって巻き込むのやめてほしい。私が馬鹿で私がとんでもない意地悪で私の言葉はいつもおかしくてあなたを怒らせて当然なのでしょう。最初から愛情と勘違いしてどうにかこうにか一緒に、と願ったところから間違っていたのでしょう。

こちらがどんなに苦しかろうと眠れなかろうと涙が枯れてしまおうとその人には関係ない。責任を取るようなポジションにもいない。育てている人もいない。関わる側にとってもいいとこどりをしやすい。傷つきは相手におまかせして上手に賢く生きている。そんな人でも(だから?)親密な関係を築くことは難しい、ということを人間関係に苦しむ人たちは知ってもいいかもしれない。あなたのように切実に個人との関係を求めなくてもそっちより世界といって活躍できる人たちもいることを。この場合、世界から都合の悪い個人は引き算されているかもしれないけど。そうなりたいんですか?なりたくないです。というやりとりになるかもしれないけど。あり方は自由。関わればいろんなことが起きるだけ。元気が出たり死にたくなったりいろんな風になってしまうだけ。

全部作り話。出来事はそのための道具。そんなことを思いながら時々泣くような夜。(公開し忘れたので朝)。

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うそもほんとも。

通じた。美味しかった

靖国通りから新宿御苑に続く真っ直ぐな道には私が普段接しない文化のお店があり興味深くそっと覗き見しながら歩いた。赤い実をつけたハナミズキが紅葉していた。「児童館のそばのあの道も今きれいだよ」と教えてくれた。長らく通っていない。そうなんだ。すでに紅葉のピークを体験してしまったので新宿御苑の緑がまだ濃く見えた。

下北沢でよく行っていたビルが取り壊された。開発が進む下北沢から親しんでいた店がどんどん消えていく、かといえばそうでもなくたまたまだが私が通っていた店はそこそこ残っている。ただそのビルに入っていた店はビルごとなくなった。トイレもビルの共用のような古い店だったが若い頃に友人が連れていってくれて以来私もいろんな人と一緒に行った。その店が新宿にあった。チェーン店だから別の街にもあるのは知っていた。

「あの真っ直ぐに続く道なら何かあるかな」と大体真っ直ぐな道ばかりの土地で言っても柔らかく受け取ってもらえた。親密な関係ならそれが普通だと思う。通じないことも通じることも一緒に繰り返しながら通じる通じないではなく相手のあり方を受け入れていく。拒否的で高圧的に正確さを求められびくつき頭痛と不眠が続いていた日々がもっともっと遠くにいけばいいね。たくさんの味方や他人の呟きを上手に使って小さな意地悪を続けてしまうその人も身近で本当に想ってくれる誰かにキャパ捌けるようになったらいいね。

とても好きで大切にしたくてもでも自分を失うのも嫌で一生懸命話を聞き観察してきただけなのにそうやってわかられることが自分の悪いところ暴かれてるみたいで嫌だったんだって。自分のほしいものだけほしかったんだって。あなたも大変な時期だったからどこかで気づいていたのに誤魔化しちゃったって言ってたでしょ。でもそれはその人があなたの時間や歴史を大切にしなかった理由にはならない。反省すべきはあなただっていまだに言いたいみたいだけどもう放っておこう。そういう形で利用されるのはやめよう。向こうだって言いたいことがあるなら普通に言ってくればいいだけ。私たちよりはるかに上手に言語化できるはずなんだから。なんか私たちっていつも同じ失敗してる気もするね。でも若い頃に比べたら上手になったんじゃないかな。今度こそ自分の時間と労力を差し出す相手や場所を間違えたくないよね。またやるかもだけどさ。大丈夫、みんなわかってるから。そうなったらまたすぐ集まろう。みんな失敗もしてるけどその分本当にまずいときの対応しってるじゃん。餅は餅屋でどこいくべきかもわかってるじゃん。たしかに。口には出さないが多分同じ修羅場を思い浮かべて笑った。

暑くなってきた。母からもらったばかりの上着を脱いだ。同じくらいの背丈の女子高生が手を繋いで通り過ぎた。この前、母が地元にいる私の高校時代の同級生としたという話を思い出した。彼女にも色々あった。私たちなんとか生きてきたね。大通りを渡ってしまえば人通りはほとんどなくなる。「この道の向こうのドイツ料理いったよね」「あーいったいった!」25年前のことが通じた。久しぶりに行ったその店も美味しかった。

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うそもほんとも。

東京は晴れ。

鳥が賑やか。さっき空のうすーい水色とピンクがきれいで写真を撮ろうと携帯電話を探しに戻ったつもりが別のことをして忘れたことに今気づいた。そんなことばかりだけど今日も起きられた。

茶色くて重そうな押して入るドアに見えたのに前に立ったらスーッと横に開いて自動ドアなのかとびっくりした。デザインとあわないー。電車が遅れてしまったので友人はすでに席で待っていた。私にはちょうどいいカフェラテを出してくれるお店だった。二人で話すのははじめてだった。いろんな話をした。「あれでよかったのか」。悩んで苦しんでその後に生じるであろう様々な可能性を考え抜いて出した答えの不確かなこと。論理的に考えてそれはそうすべきだった。でも私たちの立場は弱い。圧倒的に公に対して力を持つ人に捲し立てるように言われれば自分の言葉は呑み込まざるを得ない。あとは離れること。選択肢はそれしかなくなる。離れ方すら気をつけねばならない。こういう状況には絶望しかないがそれでもやっていくしかない。

どうにかして暴露したくなるときほど逆にもう関わらないという選択をしたほうがいい場合もある。当然戦わねばならない場合もあるけど。

その人がどんなに信頼を集めていたとしても「実はいい人」であったとしてもそんなのはあなたが傷ついたことをなかったことにする理由にならない。

だってその人が何かあったら晒せばいいって言ってた。それはまさか自分がそうされるとは思っていないからでしょう。「晒す」という言葉自体とても暴力的だと私は思うし、そういう言葉を平気で使う人なんだな、関わらない方がいいな、と思った方がいいんじゃないかな。外に出せば出すほど傷つくのはあなたかもしれないよ。あなたの体験が別のものにされちゃうかもしれないよ。少しずつ自分の感覚を信じられるように吟味していこうよ。

でもそれができないほどに私たちは愚かなんだ。本当に。辛い。

私の周りにはそんな人いない。いや、まさにあなたのそばのその人に私は、という言葉を呑み込む。

「私の周りにはそんな人いない」というのは「私の周りにもいると思うけど私はそういうことをされていない」ということでしかないのは暗黙の了解だろう。日常生活で「もしかしたらここにも傷ついている人が」と過度に気にしてたらコミュニケーションは難しくなる。個別の人間関係が外から見えるものといかに異なるかなんて私たちは小さなときから知っている。自分のことも、最近なんとなく信用できない好きな人のことも棚あげてしてなんとなくもやもやしながら過ごしているのが普通だろう。本当のことを知るのは怖いことだ。

この前、長い期間妻がいることを隠して不倫関係を続けていた人気者の話があった。女性の身体とか時間とかのことを考えられる人だったらそもそもこういうことにはならなかったかもしれないし、どっかでわかっていても知るのが怖くて自分を大切にする方向を見失ったのかもしれない。どこでどういう選択をしたからこうなったのか、ということを辿ることはもう不可能かもしれないし、辿れたとしても記憶自体曖昧だろうし、起きてしまったことに対する無力感に死にたくなっているかもしれないし、本人たちがどんな気持ちかはまるでわからない。でもその人反省してるって。ニュースに出てた。後悔してるって言わなかっただけいいのかもしれない。

何回も聞いた話だけどその度に一緒に考えた。結論は同じでも反応の仕方が違う気がした。それだけで嬉しかった。私といてもいつも、あの人はこう言っていた、なんとかさんはこんな風に言ってくれた、といつも別の人が心に住み着いているようだった。私にくれたもの、一緒に行った場所のことは忘れられてた。それでも一緒にいられる時間があれば嬉しかった。幸せだった。私に話しているようにみえるのにいつもひとりごとのように聞こえた。相手は私である必要はないんだなと感じた。実際、別の場所でも同じことを言っていた。それでも一緒にいられれば嬉しかった。幸せだった。

この愚かさたるや。

どうしましょうね、こんな私たち。今日も苦しくて時々過呼吸になりながらやっていく方もおられるでしょう。とてもとても辛いけどさっきからまた少し時間が過ぎました。多分ずっとこのままということはない。

東京は晴れています。良い日曜日になりますように。

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少し寝る

一瞬泣いた。涙をひっこめられるくらい。一瞬顔が歪んだ。かえって頬に力が入った。力を抜いたら涙が止まらなくなってしまいそうで、いつのまにか惰性で泣いてるみたいになるのが嫌で、かといって自分でコントロールしていたわけでもなくてふとした瞬間にそうなるから困った。

大切に大切にしたいと思うものはいつもひとつに決められない。これはみんなにとってそうなはず。あの人を大切にしたい。傷つけたくない。でもこれを言わなかったら私が傷つく。あの子が傷つく。大切だからどうしても、と思ってしたことで怒らせた。不愉快にさせた。許せないと言われた。大切にするってなんだろう。私の答えは決まってる。でも仕事以外では難しい。私の仕事はシンプルで、契約があるからできることでもある。「これ時間が決まってるからいいけど」「お金払ってるからいえる」など。でも大抵の人間関係は契約ではないので、あったとしてもそっちの縛りは強いのにこっちはこんな緩いのかみたいな契約だし難しい。

なんだか急に眠気に襲われた。いつもこうしてここで眠ってしまうのだ。危険。眠ったら大切だと伝わるだろうか。お互いに傷ついたとしても希望をもてるだろうか。せめて夢でなら。私の無意識は何を願っているのかな。嬉しかったこと、幸せだったことは全部そのまま保存したい。いろんなことが起きるけど別のなにかで実際に起きた出来事を侵食したくない。夢でなら思わず微笑みあったり豪快に笑い飛ばすだけの関係でいられるかな。眠い。だめだ。力を抜いたら泣いてしまうといったばかりではないか。いいじゃない、死ぬよりは、っていわないで。比べてない。眠ろう、少し。明日の準備もまだだけど。少し。多分ほんの少し。コントロールできなそうだけど。せめて夢で。

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うそもほんとも。

そんなに寒くない。暖房つけてるから当たり前か。ほとんど寝転がったまま暖房の音しか聞こえないオレンジの光の部屋でこうしている。明るくなってきてもずっとこうしていたいな。

何歳になっても理不尽に耐えかねる。今起きていることは最初から起きていたこと。言葉になるのは時間がかかる。言葉になってはじめていかに自分が憎まれているかを知ったということだってある。どうしてもっと早く。どうして違和感を感じたときに。と思うが多くの場合、違和感は自分の思い込みで処理される。身体の関わりが入ってくるとことはもっと複雑だ。どうしてそんな気持ちで他人の身体に触れられるのだろう。身体と心は別だから、と簡単に割り切れるものではない。ものすごい戸惑いをどうにかするために思い切って委ねた相手が暴力を振るうことだってある。本当は最初から怖かった、と今なら思う。でもそれは違和感として処理された。今思えば、ということがありすぎるのに愛情の方を信じてやり過ごす。そんなことの連続だ。小さな意地悪を受け続けようと、小さなあざや傷を作り続けようと痛みを伝えることができない。たまに思い切って伝えれば別れを仄めかされる。そういう圧力をかける相手とは本来すぐに別れたほうがいい。それは一つの支配だから。でも、ということの連続。人はそんなに簡単じゃない。

ずっと感じていたことが形になっただけなのに、いつも通りこうなったというだけなのにポカンとししている。どうしてこんな目に合わなければならないのだろう。いや、むしろ今までこんな目にあっても我慢してきた方がおかしい。もっと早くに気づいていたことなのだから。最初から違和感があったのだから。時折襲ってくる強い気持ちに目を閉じる。行動にしてはいけない。やり過ごす。またやり過ごす。気持ちが散々な感じになっている。また同じことを繰り返すかもしれない、こんな気持ちだと。相手を変えてまた。愚か。でもそういうもの。本当は二人で超えたかった困難。そんな相手を見つけるためには実際に一緒にいてみるしかないという矛盾。喜びも悲しみもというのは一緒に生活したらそういうものと共にやっていくことだよということなんだろう、多分。

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正当に

人が少ない気がすると思ったら赤レンガ倉庫が休館中だそう。そのせいかいつものことかわからないけど中華街が大混雑。千と千尋にでてくる貪欲さ、これぞ人間、など話しながら教えてもらったお店には辿り着けずちょうど知らない誰かが入っていった店へ入った。

その言葉久しぶりに聞いた、と思った。その攻撃の仕方はよくあるやつ、と思った。ある程度知名度のある人は支持者も多いから嘘も嘘と思われないし、変なこと言っても褒められたりするし、そもそもさ、ということをこんな立場の弱い人がいっても聞く耳持たないのでいたしかたなしと思う。本当に理不尽でうんざりするし、その人に正当な非難が向けられることを切に願うけどそういうことも多分起きない。立場の弱い人、意見の異なる人がその人のダメさを被ることになる。この人こうやって今の地位を獲得してきたんだなと理解したくもないが想像してしまって複雑な気持ちになる。世の中ってそういうもの、なのかな。本当に何も戦わないでいいのかな。許すってことが本当に大事なのかな。怒りと悲しみで暴発しないようにそれらの納め先を探す労力はその人を見るたびに削がれるばかりなのにどうしてそんな無理を弱い立場の人がしなければならないのかな。

もうおじさんおばさんのお姫様と王子様は気にいらない家来はみんな追い出して、うるさそうな身内はみんな遠くにおいて愛し合っていたとさ。それって愛なのかな。お城はもちろん自分のお家以外の場所。自分の家は汚したくない。外食だったら美しいものだけ視界に入れてもらえる。いくつ代わりがあっても足りないね、人も家も。

僕は頭がいいので一家に一台あった方がいい、というから買ったロボット。頭いいのかな、これ。高かったんだけど。人の気持ちがわからないのはいいような悪いようなだね。だからずっと同じお家にいさせてもらえなかったんじゃないの?そんなことはありません、飼い主の問題です。それもあるかもね。無条件に愛してくれるペット、じゃないロボットが好きって人もいるものね。そんな犬みたいなロボットいるのかな。

狂ってる。なんでこんな世界。なんでこんな私。でもさ、こんなひどい人たちが力を持つ世の中で正気を保つ方がおかしくない?自分が狂ってるという自覚はむしろ健康では、という話もした。

どうか正当に裁かれますように。どうか正当に。このままは悲しすぎるから。裁きが必要かどうかは慎重に。バランスだよね、とその人はいった。バランスを取ろうとする声が覆い隠そうとしているものも吟味しつつ。ああ、結局どこにもいけなそうだ。でもきっと行動が必要なときがくる。バランスだよね、とか言っていられない時が。虎視眈々というのはできないからのんびり構えてしっかり動こう。戦い方は人それぞれ。

長すぎる歯磨きを終えて正気も生気を取り戻しにいこう。まずはベッドへ。