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あれはなんだったんだろう うそもほんとも。 精神分析

うまくできてる。

書いては消し、ということをわざと繰り返す。ここでそれをすると「間違って」公開してしまう場合があるのでここではなくて。「相手」あることに対しては相当に相当に慎重にならざるをえない。人ってうまくできてる、と思う。それを「支え合い」と呼んでいた時期もあった、といえるほどに移ろいやすい人間関係。「一年あっという間」と感じられるように寿命を短いと思えればこんな苦しみなんて、と思えていいのかもしれない。でもそんな簡単じゃない(これまで何回この文章を使っただろう)。また「あれはなんだったんだろう」の時間がはじまる。

といっても疑問にのみこまれているばかりではない。まるで実験対象のようにされた時間を今度は自分が調査対象にしている。知ることでどうにかしたい。そうでもしないと「間違って」色々してしまいそうだ。人ってうまくできてる。でも直接的に関わりのない誰かを傷つけないためにその理性は必要だ。本当に悲しいことに。こういうのも「ケア」について語るときの困難と通じている。

さて、あれはなんだったんだろう。どうしてあんなことが可能だったのだろう。

たとえば「気持ちいい?」ときかれて頷いてしまうとき、それが全くの嘘の場合、言われればそうかもしれないという場合、そんなことないけど相手を気持ちよくさせたい、あるいは怒らせたくないのでという場合、なんとかの場合なんとかの場合といくらでも答えはあるだろう。嘘にも本当にも色々ある。

精神分析では去勢と倒錯は常に中心となる概念だが、実際の性器とこころの関係は恐ろしく複雑で言葉がそれをどういう形で記述してくれるかがその人の人生を変えたりもする。ましてや実際の接触がある場合、男女の場合だったら非対称性は否認できないものとしてそこにあるし、同性同士の場合でも差異は何気なく気にされつづけそれが言葉や身体の力の使用に影響を与えたりもする。

などなど。もう行かねば。ネバということはないのだけど仕事までにしたいことがあるのだ。自分や相手や見知らぬ誰かの欲望とどう関わるか。答えはひとつではない、と思えることも「ケア」の基盤だろう。あなたがどうにかしてしまいたい相手にも「相手」がいる。だから答えはひとつではありえない。常にそれがすべてではないのだから。人ってうまくできている。本当に苦しく悲しいことに。