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3月10日夜

お菓子が食べたい、こんな近くにコンビニがあるのに買いに行かなくてえらい、寒くて出るのがめんどくさいだけだけど。まだ夜寒いよね。毎日暖かくなったら買いにいっちゃうのかな、そう考えるとこれまで寒い辛い動きたくないばかりいわれていた(私が言っていた)冬のえらいところってそこじゃないかな。制止機能。

寒さ>お菓子。冬、私の欲望を簡単に萎えさせる強力な存在。でも早く暖かくなってほしいな。というか、コンビニいかないのはすでにお菓子があるからでしょ、春限定ピノとかも買ってしまったじゃないか(アイスじゃないか、寒いとかいってるくせに)。

などどうでもいいことをつらつら考えているうちに時間は過ぎていく。それはそれでいい。冬のいいところを見つけたし。きっと昔はもっといいところを知ってた、冬の。でもちょっと待って。私の故郷はからっ風で前髪が凍ってしまうし、肌は粉吹きになってしまうし、本当に辛かった。あれ?せっかく見つけた冬の良さはどこへ?

制止機能、自分を止めてくれる存在。本当に大事。やり続けている行動って止められないからやり続けているわけで、それを助長してくれる存在の方に親しみも信頼も感じやすいかもしれないけど、依存とか中毒の問題になってくるとそうも言っていられない。難しいです、欲望の問題は。

自分のそれが膨れあがって相手の心配も制止も振り切って暴走して気持ちよくしてくれる相手で隙間を埋めることばかり上手になってその先が虚空と知りながら痛みや恐れを別のものに変えて露悪的に振る舞って時折かすめる罪悪感や恥ずかしさもごまかすように外へ外へと向かってく、それはとっても仕方がない。

「でも」と言われるのはわかってる。私たちは一人では生きていけない、っていうんでしょ。「というか生きてないでしょ、実際」と誰かに言い返される。

最初は好きなだけだった。一方は我慢せず、一方は我慢して、そんな関係も楽しかった。大好きと言ったり言われたりすればなんとかなった。でも少しずつ言い訳が増えていくのも感じてた。そしてそして、と涙が増える。心が突然音を立てた。動けなくなってようやく少し気づき始める。このままでは、と。

辛い。いろんな生き方があるのは間違いない。全ての症状が時折救いになっていることも間違いない、かもしれない。

私たちは誰を満たしたくて誰を救いたいのだろう。そんなできもしないことをなぜ試みるのだろう。自分で実験済みなのに。自分にさえしてあげられないのに。いつも身近な人を泣かせて、苦しませて、傷つけて知らない人と出会っていく。いつか、どこかに、あの人となら、そんなことをいつまで続けるのだろう。何にだって意味はある。そうね、それもそうかもしれない。

「でもね」となる。いつだって「でもね」がつく。うるさく感じるでしょう。実際正解などないでしょう、おそらく。

「でもね」と何度も言われ、何度も跳ね返してきた私だって思う。「でもね」と。いずれ戻る場所はそのうちできていくかもしれない、一度は何もかもなくなったその土地に戻る人がいるように。例えば雨が強くて、例えば人身事故で、例えばウィルスで、うん、止めるのは人だけじゃない。できたら意図せず生じるなにかが、なにかを奪う形ではなく、時間と居場所を準備してあなたや私をひとりにしてくれますように。少しずつ孤独を知って、少しずつ素直に触れ合えますように。いつも最後は祈るように。できることがなくてもできることだから。

明日は3月11日。

作成者: aminooffice

臨床心理士/精神分析家候補生