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精神分析

思う、願う、祈る

朝なにかを書くということは眠れない夜のことを書くということだ。

と思ってSNSをみたら「眠れない」という呟きがあった。すでに活動を始めている友人の呟きもあった。昼夜を問わずSNSで反応しあえる時代、私が信頼する言葉の紡ぎ手たちはほとんど呟かない、夜は特に。心落ち着かず彼らの言葉を探しにでても少し前の言葉をもう一度目にするだけだったりする。でもだから安心したりする。簡単に上書き、とはいわないか、軽い言葉が量だけの重みでその言葉を下へ下へと追いやっていく様子をみたくない朝もある。

鳥の声が鋭い。今日は特に。寺の森から起き出した彼らはしばらくこの辺りの空を数羽ずつで巡回してからどこかへいくのだ。時折カラスの大きな声も混ざる。鳥や動物たちと同じように自然と調和して眠ったり起きたりしていると思うと少しまともな気持ちになる。

相手との関係で「無理」」や「我慢」が生じると、と書きたくなるときは別の言葉を探せなくなっている可能性があるんだった、と数日前に自分が書いたことによって立ち止まる。書いておくもんだ。ありきたりの空想しかできないときは鬱々する前に眠ってしまったほうがいい。布団にくるまって目を閉じてひどい頭痛のなか「このまま死んだりして」「これ毎回思うけど意外と死なない」などぼんやり感じているうちに眠りに落ちた。浮腫みで足が痛むが今朝も無事に起きて椅子に座ってぼんやりしていた。そのうちまた少し眠気がきた。ウトウトしながら昨晩囚われていた空想にいまだ囚われつつもそこから少し離れた場所で何かをしている私たちをぼんやりみつめているのを感じた。夢でも現実でもなくこういうまどろみによってなんとなく生かされているんだな、とそこに身を委ねながら感じた。分裂するのではなく自分がいくつかの奥行きを同時に体験するような定位置にいる自分と浮遊する自分の両方を感じた。そのうちまた少し眠ってしまった。起きたときはまだ数分しか経っていなかった。

眠りは時間も空間も拡張する。夢はその証拠としてみられるのかもしれない。

相手との関係において行き詰まったときはとりあえずそこにとどまる。窮屈で身動きの取れない場所に身を委ねる。もともと出会いだって偶然だった。「あなたしかいない」「あなたがなによりも」といわれるような関係でも終わってしまえばそうではなかった、ということは経験済みだろう。あの時は死にたいほど辛かったのに今思い出すとすでにその理不尽さえちょっと可笑しい、ということも積み重ねてきたと思う。もう若くない。ある程度定位置を見出してもいる。苦痛を外に投げるのではなくじっと感じ続けているとこれまでとは別の形が自然と生じることも増えてきた。大切にする、慈しむというとき目の前のものや相手だけではなくその背景に広がっている景色に対してもそうしていきたいと思うようになった。そこにどんな矛盾があろうともみたくないものはみないという方法では大切にできないんだと知った。あえて目を凝らさなくても耳をすまさなくても鳥の声のように私に届くものたちをせめて。いつまで「無理」なくそう思えるのかは誰にもわからないことだけど囚われては気づくちょっとした新しさをあなたやあの出来事との出会いのおかげだと思えるとき、私たちはまだなんとかなるんだ、と私は思う。願う。祈る、今日も。