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精神分析、本

つもりはつもり

こんなでもやっていけるもんだな、と感心する、自分に。世界に。

本を読んでいても患者さんの話をきいていても「よくそんなこと覚えてるな」と思うことが多い。記憶力の問題も大きいだろうけど自分がいかにぼんやり世界と関わってきたかを思い知らされる。

川添愛さんという言語学者であり作家でもある多才な方がいるが、『言語学バーリ・トゥード』(東京大学出版会)の面白さはすごかった。同じ年齢で文化も共有していて書かれていることもそれが誰でそれがなにかはわかるのだけど、私は細かいところをなにも覚えていない。私にとって川添さんはもうなんかすごすぎるのだが特別というわけではなくて誰と話してても私はそう感じやすい。そのくらいぼんやり生きてきてしまった。が、最初に書いた通りこんなでもなんとかなっているので大丈夫だよ、と誰に言うでもなく書いておく。自分にか。

この本の最後は、といきなり最後に飛ぶが「草が生えた瞬間」ということで書き言葉の癖について書かれている。三点リーダーとかwとかそれがのちに草になったこととか全然知らなかった。私いまだに(笑)をたまに使うくらいだし…。←これが三点リーダーと呼ぶんだって、私はこれよく使っちゃう・・・。悪いことではないが何事も過剰はよくない気がする。

この本、2021年5月にでてすぐに読んでまだ一年くらいしかたってない。こうしてめくれば「ああ」と思い出すこともある。が、ごくわずかだ、私の場合。最後からめくるのが癖だからさっきはいきなり最後に飛んでしまった、と一応意図を説明してみようかと思ったがそんなのなかった。「あとがき」から読む癖は変わらないな。変えようとしない限り変わらないのが癖か、というとそうでもない。いろんなことの複合体というかなにかがまとまって仮固定された形なのだろう。忘れる忘れないでいえば、本の最初、つまりもっとも集中してなんどか読んだ可能性のある箇所を「こんなこと書いてあったのか」とまた新鮮に読めてしまったりすると「大丈夫かよ」と自分に思うがさっきも書いた通り大丈夫。縄文時代と古墳にだけやたら詳しかった時代なんて誰にでもあるでしょ、ということにしておこう。

ダチョウ倶楽部の上島竜兵が亡くなったときに思い出したのもこの本だった。表紙にも登場している。「意図」と「意味」の違いを説明するときに使われるシーンはもちろんあのシーンだ、と私でもいえるくらい、さすがにダチョウ倶楽部のあのネタは有名だ。彼は「AIは「絶対に押すなよ」を理解できるか」という二番目の話に登場する。

「知るかそんなもん!」と絶叫したくなる例も面白い。上島竜兵は誰もがその「意図」をわかる形で正反対の「意味」の言葉を伝えたが、「たいていの言葉については、話し手が「こういうつもりで言った」とか「そういうつもりじゃなかった」ということができてしまう」ほどにその意図は個別的で読み取ることが難しい。

私の臨床でもよく聞く言葉だ。「そんなことはわかってる。あなたが意識できていることなら私がなにかいうまでもないでしょう」と私は思う。特に精神分析は無意識や「こころ」と名付けられるものなど捉えられなさ、わからなさのほうに常に注意を向けているのでそういうつもりじゃなかったのに今ここでこれが生じていることに関心をもつ。私たちをおかしくさせるもの、苦しくさせるもの、それを同定することは多分無理だ。でもピン止めする(北山修が使う言葉)、仮固定(千葉雅也が使う言葉)することはできる、他者がいれば。もっともひとりだったらずれ自体に気付く必要もないのかもしれないが。

今日二度目のブログを書いてしまった。こんなつもりじゃなかった。書かねばならぬものは別にあるのだ。はあ(これにもwとか草みたいな記号的なにかはあるのだろうか)。はあ。

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精神分析、本

アリスのことではなくて単に夏の思い出

この花が咲けばこの季節とわかる。この果実がなればもう一年かとわかる。廃墟、という感じではないな。私がこの道を通いはいじめてから少なくとも2年以上は誰も住んでいないみたいだし。いろんなところをいろんな植物で埋め尽くされてこの時期は中の様子はあまり見えない。でもこんなに色があったら廃墟って感じではない。モノクロ写真の一部に色をつけたみたいな感じとも違う。全部きちんと生きている感じがする。

この道はインターナショナルスクールがあり、私がいくのはちょうどお迎えの時間。日本語と英語を自在に使いこなす親子(男性はほとんど見ない)が続々と集まり別れていく。

はじめて海外へ行ったのは20歳の夏。サンディエゴのSDSUの寮に1ヶ月間。広大な敷地を持つ大学はライブ会場にもなりニール・ヤングとかきてたんじゃないかな。違ったかな。ライブのある日は寮からみた景色がすごかった。毎日プールに入り、海へいき、古着屋とレコード屋をめぐり、最初は甘すぎたお菓子やアイスもたくさん食べられるようになった。友人が恋をした人の結婚相手が海軍の人で海軍専用ビーチでBBQもした。その人がすごくセクシーな水着で犬を連れて海辺を歩く姿が映画みたいでもちろん友人は釘付けだった。日焼けしすぎてカリフォルニアの皮膚ガンの発症率をもとにクラスで叱られた。帰国してから急に体重も増えた。あれだけアイス食べればそうなるよなあ。翌年の夏は六週間、ケンブリッジへ。今度は絶対日本語を喋らないときめて親にお金を借りていった。最高だった。ケンブリッジ大学の有名なカレッジは緑がいっぱいで、庭では無料でシェークスピアがみられた。美術館も無料で毎日のように自転車でブリューゲルをみにいった。児童文化の授業でもブリューゲルの絵は重要で見れば見るほど発見があった。ロンドンにもパリにもウェールズにも足を伸ばした。フランスへ向かうフェリーで死ぬほど気持ち悪くなって以来、車酔い、船酔いに強くなった。酔わなくなったわけではなく酔ってもあそこまでなることはないだろうと思えた。早朝フランスへつき、ぐったりしたままバスの窓からひろーい田舎の景色をぼんやり眺めているうちにパリに着いた。途中立ち寄ったドライブインみたいなところでクロワッサンとカフェショコラのセットだったのかな、を頼んだ。「お前気持ち悪かったんじゃなかったのかよ」と呆れられそうなくらい元気が出た。あの味が忘れられなくてどこいってもクロワッサンとカフェショコラを頼んだ。日本に帰ってきてもそうした。あの味はあの一度きりだった。エッフェル塔の真下でいかにもパリというカフェへいったがお肉が美味しくなかった気がする。必ず一人になれる場所があるというヴェルサイユ宮殿の構内をバスでめぐったが確かにこんなところで読書を、という人がいた。鏡の間ではベルばらのセリフが思い浮かんだ。セーヌ川の船では日本語も含めたくさんの国の言葉で音声ガイドが繰り返されるのが興醒めだった。オペラ座は当時工事中だった。フランスでトレーニングを積んできた分析家がちょうどフランスへいるときであとからその話をした。すでに古い訳のフロイトを読んではいたが精神分析家という存在を当時はまだ意識していなかった。私がはじめて精神分析家という肩書きを持つ人の家を訪れたのはその5年後だ。内戦が続いていたクロアチアの彼は元気だろうか。日本文化をうまく説明できない私の代わりに彼がしてくれた。私よりずっと日本のことをよく知っていた。彼はいつも英語で先生と怒鳴り合いをしていた。いや先生は怒鳴ってはいなかった。怒りをどうにか抑えた声で彼の暴言に注意を与えていた。そんなときの彼は小学生みたいだったが私にとってはさりげなく助けてくれる素敵なお兄さんだった。ケンブリッジでは「これを紳士的というのか」という対応もたくさんしてもらったし、ネオナチの若者には注意が必要だったし、寮の管理人さんやB&Bの宿主には宝くじで待たされたし、お店ではあからさまな差別を受けたし、チェコになったばかりのチェコ出身の私の2倍くらいある優しい彼は美味しいパイを焼いてくれたし、ロシアの家族はロシアのおやつを作ってくれたし、私がスーパーに行く時間に必ずその道をバイクで通るアイルランドの男性とはいつの間にか仲良くなった。みんな今はどうしてるのだろう。差別はやめられてたらいいけど。生きているといいけど。本当に。生きていてほしい。

思い出すことをそのまま書いていたら最初に書こうと思っていたアリスのことを書く時間がなくなってしまった。いつもお世話になっている先生とハンプティ・ダンプティのことで盛り上がりThe Annotated Aliceという本を何度も読んだと聞いた。英語かあ、ともうすでに遠い英語に負担を感じながらネットで調べたらあるじゃん、邦訳。しかもすごくかわいい。アリスはこれからも何度も読むだろうから買った。『ピグル』の言葉遊びの世界にもハンプティ・ダンプティがいる。それにしても『ピグル』を素材にした北山理論の概説書『錯覚と脱錯覚』が「品切れ、重版未定」ってどういうこと?もう買えないの?ダメでしょう。『ピグル』の読書会をしている私も困りますよ、岩崎学術出版社さん。まあ私ひとりが困るならともかくあの本はウィニコットを読む時にも大変貴重なのです。ハンプティ・ダンプティの挿絵で始まる名著なのです。だからお願い。みんなが買えるように準備しておいてくださいな。