カテゴリー
精神分析

いくつになっても

ふぞろいみかん、ちょっと味がうすい。この時期のみかんはみんな早生みかんっていうのかな。保育園の早生まれの子たちは今日も元気かな。きみたちが大人になる頃には私はもうおばあちゃん、というかすでに保育士の母、きみたちの祖母みたいな感じで保育園にいるけど、今日もみんなのこと考えますね、みんなで。

先生たちは誰が泣いているか遠くからでもわかる。「○○ちゃんだ」私もあゝあの子か、と小さくてパワフルなあの子を思い出す。「この時間は一度電池切れになっちゃうんですよね」そうかそうか。3月生まれだしね、と思う。その子のお兄ちゃんのことも思い出す。あの頃はまだあなたは生まれてなかったね。話しながらその子のいる部屋へいくと保育士に抱っこされて指しゃぶりをはじめてた。眠いね。

みんなこんな小さいのに自分がしたいこといっぱい止められたりできない時もあるだろうけどそれはまだみんながこんな小さいからでもあるんだ。でもまだわけわからないよね、泣いたり怒ったりしちゃうよね、ごめんね。こっちも大人のやってることが本当にきみたちに必要かどうか考えるからとりあえずトライしてみてね、なんでも。大人になっても泣いたり怒ったりすると負担がられたりするからわかる気がするよ、みんなの気持ち。嫌だよね。負担だろうけどなんでそうなっているのか考えてほしいよね。私もこの歳になっても愛情というものがよくわからないけれど突き放されず特別に大切にしてもらえる体験ってこの世知辛く理不尽な世界でもうダメかもしれないと思ったときにきっと助けてくれる。私たち大人ががんばることだよね。

あれは2010年、震災前。あの子のお兄ちゃんもまだ生まれていなかった。震災はいつからかこうしてその前その後の目安となったがあれからずいぶん時間が過ぎた。

愛情のようなものをめぐってどう考えていいかわからなくてでもそれに囚われている場合ではなくてでもどうにもできずにいたとき、その頃のことを思い出した。思いが通じたようなあの日のこと。今はとても穏やかに笑いあう私たちだけの時間。どんなにもやもやしても相手は変わらないだろう、変えていくならお互いに。でも本人が困っていない限り変わる必要はないのだから、とぐるぐる考えながらいずれくるなんらかの諦めに向かう。当時すでに若くはなかったが私は人というものをよくわかっていなかった。今もわからないけど当時よりはずっとよくわかる。いろんな人に教えてもらってきた。今だったらできると思うことを本当にできるかどうかといったら相当怪しいけど。まあそんなもんだ、くらいには思うようになった。

あの漫画はなんだっけ。題名が思い出せないけど密やかで静かなやりとりをすることももうないけれど幻滅し傷つけあった日々もこえた。大切に想い想われることの積み重ねのなかにあなたもいた。変われる私たちでよかった。

でもまた同じこと繰り返してるよ、と苦笑いする。森を抜けて高速を見上げ地下道へ。私たちだけの時間。言葉にすればよかった。でもできなかった。でもありがとう、出てきてくれて。こういうのは記憶力じゃないんだね。

「先生は無意識が助けてくれるってよくいうけどなんか今日少しわかった気がしました」と言われた。文脈ないと怪しい言葉だけど分析コミュニティでの会話。うん。こんな感じの想起もそう。分析受けはじめてからしばらくは「無意識怖い」だったんだけどね。今はあるかないかわからないけどなにかがんばるより無理ないし委ねたほうが安全って思う。自分が一番信用できないってことあるもの。こうして変に色々考えたり自分に向かないこといっぱいしちゃうんだけどね、いまだに。「まあそんなもんだよ」とあなたはいうに違いなくて私もそう思う。どうなることやらなんだよ。悲しくて苦しくて辛いんだ。でもこれもあなたと経験してきたこと。いろんな人と経験してきたこと。なんとかなるよね、なんとかなってきたから。

はああ。大人になっても泣いたり怒ったりするんだよ。でももう大人だから自分で考えないといけないことも多くてさ。結構大変だけどお互いがんばろう。できるだけみんなが無理をせずほしいものをほしい、得られないとしても願うこと、諦めること、でも別の何かが得られたりすること、そういう体験を積み重ねていけることを願うしできることをするね、みんなで。

作成者: aminooffice

臨床心理士/精神分析家候補生