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精神分析

回復、時間感覚

さっきベランダに出たら鳥の鋭い声がした。よく聞く声なんだけどお名前が相変わらずわかりませぬ。でもいつもこんなにずっとは鳴いていない気がする。あまり風もないけど気温も高すぎない様子。でも部屋に入ってもカーテンを開けなかった。冷房の効果を気にする程度には外は夏だもの。数少ないお休みをすっかり体調回復に使ってしまったけど痛がりながら寝っ転がりながらかき氷やあんみつ食べにいきたいとかやりとりしてた。機能が衰えると欲望の健全さを感じますね、普段は困ったもん扱いの欲望さんにも。もちろん欲望によって破滅(しっくりこない言葉だけど)することもあるけれど。身体の痛みやだるさって本人にしかわからないし死もいつおとずれるかわからないんだな、ということは実感を持って知るようになりつつあるけど実際に起こることについては全然知らない。自らの死が間近なことを予測しながらSNSに「これが最後になるかも」と言葉を残す人もいるしまだ幼い我が子が重度の障害を抱えつつ生きた軌跡を残すご家族もいる。今私が思い浮かべた子はすでに亡くなっているので過去形にしたけど存在を確かめるためにSNSを利用している人も少なくないように思う。赤ちゃんの頃から何度も手術を繰り返していた子が小学生になったと知りお祝いをいうことができたのもSNSのおかげだった。動くこともままならないまま限られた人たちと日々を過ごしていると、と色々書いたけど消した。ものすごく大変なことだ。漫画『Dr.STONE』(原作:稲垣理一郎、作画:Boichi)で突然石になってから復活する日までの時間を主人公が数えながら持ち堪えていたが孤独や狂気から辛うじて身を守る手段のひとつが時間感覚を維持するということなのかもしれない。トラウマは時間感覚を破壊する側面を持つがその場合SNSはさらなる外傷と関係してくるかもしれない。断片化されたこころに断片的な言葉の取り入れは困難である場合が多いだろうから。また眠くなってきてしまった。どうなることやらだが委ねられるだけ委ねよう。また1週間がんばれたらいいね。

作成者: aminooffice

臨床心理士/精神分析家候補生