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お菓子 音楽

11月30日朝

うっすら明るくなってきた。うっすらでウルスラを思い出した。魔女の宅急便。今朝熱いお茶とあんぽ柿といづみやさんの「すかのわ」。いずみやさんのウェブサイトには

「横須賀の船をモチーフに「うきわ」の形をした焼きドーナツ。
メープルきなこの贅沢な味わいが口いっぱいに広がります。」

とのこと。ほんまや。美味しい。うきわ真っ二つにしてしまったけど。そもそも沈まないで。

今、ジャズピアニストのエメット・コーエンが来日している。行きたかったなあ。これもおなじみ柳樂光隆さんのインタビューとそこにある音源をぜひ。今年一番好きになったピアニスト。アルバム『Future Stride』は何度も聴いた。今も聴いている。周りに音楽を楽しむ人がたくさんいるライブハウスに来たみたいな気持ちになれる。実際のそれを体験したかった。ピアノを作った人は本当にすごいと思う。それではピアノの歴史をみてみましょう、ということでウィキペディアをみてみる。ふむふむ。すごく詳しいので途中まで。誰か弾いてるときのグランドピアノってウキウキする。叩いて鳴らす音楽。このPCのキーボードも一音ずつ音が違ったら今の私はどんな音楽を奏でているのかな。素敵な文章だと素敵な音楽になったりするのかな、やっぱり。

それにしても眠い。帰ってくるのが遅いというのもあるけど帰宅後は何もできないままきちんとした格好で眠りもせず朝が来てしまう。そりゃ眠いさ。寝てはいるんだけど。

この前、4歳児とzoomで話した。「あみさん、スヌーピー好き?」というから「好き好き」と答えつつ何かなと思ったらその子のセーターがサングラスをかけたスヌーピーだった。まあ、かわいい。褒めると恥ずかしそうに満足そうに画面の外へ行ってしまった。しばらくしてまたその子が「あみさん、ネイルしてる」と。へ?ちょっと映った指がそんなふうに見えたのかな。おしゃれ爪に見えた?ありがとう。全然しないのだけどたまにはしましょうかね。今の子は「ネイル」っていうのね。かわいい。今日もチビさんたちとのお仕事がありますね。お互いがんばりましょ。

それにしても眠いのよ。エメット・コーエンの音楽のせい?心地よいの。寝てしまう前に出かけましょう。みなさんもどうぞお元気で。

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精神分析

バター、プロセスなど。

ブラインドからのぞいている空はグレー。カーテン開けたくない。寒そう。今朝は相変わらず熱い紅茶といずみやさんの「横須賀銘菓よこすか焼き」。船の形らしい。パッケージにお大きな船が描いてあるからこのオムレツ型が船なんだろうなとわかる。オムレツにも色々あるけど元々はフランス語のomeletteからきているという場合の元々のオムレツはこういう形だったんだよね、きっと。前にも書いたけど群馬県前橋市のバラ園のそばにギャラリーとかもある素敵な空間があってリッツというお店のオムレツがすごく美味しかった。そしてオムレツ以上についてくるパンについてくるバターがとてもとても美味しかった。今もF-ritz art centerとして色々なお店がはいっているみたい。バラ園のある敷島公園一帯は萩原朔太郎記念館もあるし本当にいいところ。いろんな人と行ったけどリッツは高校時代の友人とお互い東京に出てからも何回も行った、バターを求めて。エシレバターをもらったときに思い出したのもリッツだったなあ。前に渋谷でエシレのお店があったから寄ってみたら焼き菓子が予約のみと聞いてびっくり。一番売れるお菓子は予約で、他のお菓子なら買えるよ、ってことだったかな。残念であった。が、リッツのバターほど執着もしていない。

「生きのばす」という表現を見た。生きのびるの打ち間違いかもしれないけど生きのばすように一日一日を生きている場合ってある。今日じゃない、死ぬのはまだ今日じゃないと。心や身体を傷つけ時間を止めた相手が元気に生きているのを見るだけで背筋が凍ってまた動けなくなる。性的に傷を負わせた相手がいろんな女性に公私混同で近づいているのをみると吐き気がする。あの軽薄な繰り返しの中で大事な場所を傷つけられ貴重な時間を奪われたのだと。理不尽。でも裁けばそれが消えるわけでもない。誰かを世界から出入り禁止にすることはできない。自分の場所から物理的に追い出せてもトラウマを負った心は記憶をうまく整理できない。そしてこのSNS社会。心なき人ほど平然と顔を出す。私が一番好きなノンフィクション作家の高橋ユキさんの傍聴日記、裁判記録でもある高橋ユキの事件簿を読んでいると裁く裁かれる、被害者、加害者というまるで対極にあるものがいかに複雑に絡み合っているか、いかに社会がことを複雑にしているか、ということがよくわかる。多分この複雑さは高橋さんみたいに実際に足を運び続けて当事者の声を聞き続けているライターさんの記録を追うことでしか感じられない。私たちは結果を気にしがちだが当事者にとってはプロセスこそ大事だろう。「生きのばす」は生きたい人の言葉のはず。どうかその気持ちが守られますように。これ以上侵襲を受けませんように、と願う。

11月29日水曜日、なんとか一歩ずつ行きつ戻りつ。

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精神分析

ふざけんなのテンションとか。

朝からお風呂でポカポカして今日も美しくて甘い柿をいただいた。そんなことをしている場合か、と言われればそんな気もするけどこんなこと生活のほんの一部だもの。豊かさの積み重ねこそ危機のときに役立つはず。でもフォローしているわけでもないブラッド・ピットのファンページでやっていたボールを投げ入れるバージョンの○✖️が面白くて眺め続けてしまったのは今の時間には無駄だったかも。もうこんな時間。髪が濡れたまま出なくてはいけないのも危険。なんか危機を招いているかもしれない?

私は少し運動家なんだけど問題って本当に次から次に起こるのに対策は全く進まないのはなんででしょうか。対策が全く進まないから問題が次から次に起こるともいう。明らかに問題であることを犯罪ではないから問題ではないくらいに扱っている大きな団体もあるわけだがそういうの全然ダメでしょう。で、声を上げれば上げた方の負担は大きく、運動してもほぼ忍耐の日々の末に物事は何も変わらず、みたいなことも大いにあるわけだ。普通にふざけんなと思うわけで本やら何やらでとても正しいことを言っている有名な人たちは理事会の人とかとも親しい人もいるわけだから本とかで言っていることをそのままお伝えいただければ私たちが仕事の合間に地道に展開する運動なんかよりずっと効果的ははずなのだがそうはなっていないのが社会ってやつなんですね。ふざけんなと普通のテンションで言いつつ口先ばかりで支持を集めている権力者に対する対策を淡々と練らねばいけないわけです。変なの。

さて、うちは炬燵がないのは安心なんだけどホットカーペットを出してしまったのでまずいです。大地から距離を取る季節!とあったかいスリッパとか足元対策をしていたのにこれを出したら今度は床にずっとぺったんこ。下手すりゃ全身ぺったんこしてぐーぐー(-_-)zzz。しっかりしましょう。やれることを模索しましょう。いろんなことが同時に起こる世界に住んでいるわけだから辛いこともたくさんあるけどなんとかそれぞれの防衛効かせながら協力していきましょう。まだ火曜日、というときのテンションともう12月、というときのテンションは少し違いますね。なんとか今日も無事に過ごしましょうね。

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お菓子

勝沼のお土産とか。

勝沼ぶどう郷のお土産が色々。もちろんワインも♪下北沢に日本のワイン専門の美味しいお店があるんだけどそこでみたことがある。ビンもきれい。身延の方へ泊まり込みボランティアに行っていた頃勝沼によく立ち寄った。子どもたちとぶどう狩りにも行った。小さいワイナリーもたくさんあってフルーツ公園からは夜景がきれいで、といろんな思い出がある。少し前にフルーツサンド屋さんに行ったら当時よく行っていたワイナリーのワインがあってびっくり。あまり見かけたことなかったのだけど。あら、今ウェブサイト見たら大きくなってる?あの店と同じ?すごく小さい店で、小さい駐車場に赤ちゃん猫がいてかわいくてかわいくて一緒に行った友達カップルはそのおかげで仲直りしていたよね。もうすっかり有名ワイナリーになったのかもね。それはそれでなにより。彼らもそれぞれ別の相手と。あれ?一人は今でも仲いいから知ってるんだけど。当時学校に行かないで山梨の廃校に集っていたみんなももう大人。実はあまり年齢変わらなかったんだよね。みんなみんな元気ならいいな。今は「ぶどうのつぶやき」というレーズンをミルク(?)でコーティングしたちっちゃい粒々のお菓子を熱い紅茶といただいています。これはワインに合うようになのね。紅茶とでも止まらない・・・。どうしましょう。昨日は友人に奈良の柿ももらった。すごくきれいですごく美味しかった。この季節は食べ物が美味しいだけが救い。寒くて日に日に動きが鈍ってるもの。でも寒い方が好きという人も多いですよね。なんて羨ましい。昨日も仕事だったけど日曜だから何かしたいな、と映画に行こうと思ったら有楽町とか決まった映画館でしかやっていなくて新宿渋谷以外に行く気力がなかった私はやめてしまったのでした。有楽町の映画館はすごく昔に父に連れられて『モモ』を見て建物が嘘みたいに素敵と思ったけど改装されたね。群馬っ子にはお城の階段みたいに思えたよ。そのせいか有楽町ってどこか特別感があって物理的にというより心の距離が遠いのよね。それを超えるエネルギーがなかった、寒すぎて。新宿渋谷、まして下北沢だったら庭くらいに思ってるんだけど。とかいって最近の下北沢は全然知らないお店ばかりでキョロキョロしてばかりだけど。変わる変わるよ色々変わる。まわるまわるよ時代はまわる。また地球はまわるって歌ってしまった。寒い寒い。それでも太陽が出ているうちに動き出しましょう、というか動かねば。時間どろぼうはこころのうちに住んでるものね。がんばりましょ。

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音楽

Mama,I Want To Singとか。

あっつい紅茶と隣町の美味しいパン屋さんのちっちゃいパン。おなかの調子は相変わらずだけど元気は元気。寝る場所にはいつも失敗。でも失敗なりに工夫が進んでちょっと寝心地良くなってしまっている。まずい。『Mama, I Want To Sing』のCDをオン。カセットも聴けるコンポ。いつから使ってるのだろう、というか全然使わなくなっていたけどラジオを聴きたくて手の届く場所に移動してきた。CDは差し込んで入れるタワー型のラックから。これはこれであなたはどこから?いつから?Mama, I Want To Singの歌はすごかった。特にD’atra Hicks。その後はCDはあまり出してないみたいだけど舞台は続けているのかな。私よりちょっと年上くらいだと思う。は!もう引退してたり?そういう歳だったり?私も遠くない感じ?ああ。私の引退は私が決める、なんだけど、私の場合。「セーフティーバーは私がおろす」風に言ってみた。あれつい真似しちゃう。TDLなんてどのくらい行っていないんだろう。小さい子がいる友人のお供的な感じで行くことは一時よくあったけど。みんなもうすっかり大人だ。大きい音に大きな声で泣きだしたチビさんを抱っこして小さい子用の場所、名前を忘れてしまったけどなんとかタウンみたいなところのお店に入って音とお別れしていろんな仕掛けにこっちも実際びっくりしたりしているうちにご機嫌になって全然足のつかない、というか座面にほぼ全部乗るくらいのちっこい身体で上手に座ってちっこい両手でジュースを飲んでニッコリ、で、また泣く、みたいな。大きい音苦手なんだもんね。ディズニーは音すごいよね、と改めて感じるよ。でも子供用サービスもすごいというかうまい。シールとかきちんと忍ばせてるんだよね。チビさん、ビクって警戒してもニコニコパッと出されたシールは思わず受け取ってしまってママに見せてご機嫌、みたいな。魔法だと思っちゃうよね。

『Mama, I Want To Sing』は1988年の大ヒットミュージカル。私はミュージカルは見ていないはずだからあとからサントラを買ったのだろう。『天使にラブソングを』はもう少し後だ。ゴスペルはこれらのイメージだったからNYのハーレムにある教会に連れていってもらって聞いたゴスペルにはびっくりした。すごいスピリチュアルな感じであまり統一感なかったけど教会音楽とゴスペルはまた違う?でもゴスペルって言われたと思うから同じかな。D’atra Hicksは無料で通えるゴスペルのスクールに行っていたという記事を読んだと思うのだけど今検索しても見当たらない。夢?柳樂光隆のいろんなジャズミュージシャンへのインタビューを初めて読んだときにすごく印象に残ったのはその教育資源の豊かさだった。小さい頃から無料でプロの音楽に触れて学べる場所があったら才能ある子のチャンスは広がるよね。日本でもそういう場所が増えたらいいな。音楽はいいよ。何も準備いらないし。私の仕事もそういう意味ではいいよ。身体がそこそこ健康ならできる。ということで今日もがんばりましょう。グループ2つ。みんなはなにするのかな。寝正月まであと1ヶ月ちょいだよ。私は旅に出るさ。楽しみに過ごそう。みなさんも良い日曜日をお過ごしくださいね。

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お菓子 音楽

マドレーヌ、ソフィア・レイなど。

またまずい寝方をしてしまった。顔が潰れているのか腫れているのかわからない変な感じになっている。暖房はつけっぱなしだったからあったかいのはいいけど。さてあったかい紅茶と横須賀土産のマドレーヌ。昨日はよこすか海軍カレーマドレーヌを食べた。今日は普通のだけどでっかい。半分ずっこ。っていう?半分ずつと半分こが混ざってるのかしらね。

今来日しているホルヘ・ローダーとソフィア・レイのアルバムからSofia Rei & Jorge Roeder “Callejon de un solo caño“From “Coplas Escondidas”. ソフィア・レイも楽器みたい。ひとりでいろんな音が出せてしまう。素敵な声。

しまった、関連でジョン・ゾーン(JOHN ZORN)のことを調べ始めてしまった。『The Book Beri’ah, Vol. 1 – Keter』は Sofía Rei & JC Maillard。うむ。30分も経ってる。ジュリアン・ラージが参加しているジョン・ゾーンのアルバムは、と調べていたら「哲学者ジル・ドゥルーズの著作と思想に触発されたアルバム「Multiplicities: A Repository of Non-Existent Objects」の第2弾」というのがディスクユニオンのページで出てきた。今はそれを聞いている。Multiplicities II: A Repository of Non-existent Objects

あーだめだ。これ仕事行けないよ。あとで柳樂光隆が何か書いていないか探そう。彼の記事は私みたいな初心者にも本当にいい。

今日は移動も多いし大変だな。ちょっとした時間に翻訳しないと。昨日は朝少し進んだけどその後は全然進まなかった。11月中にやらないと。お待たせしてしまっている。

しかし、ソフィア・レイの明るさと深さの両方がある声は素敵ね。いつのまにか『The Book Beri’ah, Vol. 1 – Keter』は Sofía Rei & JC Maillardに戻っていた。

今日は今日も今日こそなんかいいことあるといいね。いい音はそこら中にあるね。いい景色も。今日はまた冬らしい気温に戻るのかな。本当に寒くなるのはこれからだけど。こわいこわい。暖かくしてお過ごしくださいね。

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精神分析

ウィニコットフォーラム、投函

はあ。今日もおなかが痛いけど柿食べちゃった。多分何も食べないのが一番正解。胃の痛みは薬でだいぶ治るけど。昨日はウィニコットフォーラムというウィニコットに関する色々をウィニコットの理論に馴染んでいる人が発表して話し合う会だったんだけど朝から絶不調でどうしようかと思った。なのに薬持っていくの忘れてお昼に薬局へ行って薬飲んだからと安心して美味しいお弁当も少し食べてしまって、こういうとこだぞ、という友達の声を思い出しながら後悔。でも午後の岡野憲一郎先生のウィニコットが弱者を守ろうとして戦ったという話は私が昨年学会の教育研修セミナーで言ったことと重なっていて岡野先生はそれに論拠を示してくれた。セミナーは論文化したからそのうち学会誌に載るけど論拠が弱いなと思って書けなかったところだったんだ。よかった、お話聞けて。私は妙木浩之先生と興味が近いみたいでウィトゲンシュタインの名前をちょこっと出して、その説明も求められたけどウィトゲンシュタインは普段私たちが考えているところに普通の人は全く想定しないような視点を持ちこんで「え?どういうこと?」と混乱気味に考えていくプロセスの先で「生活様式としての言語ゲーム」に辿り着かないと永遠に「なにそれ」の世界な気はする。古田徹也『はじめてのウィトゲンシュタイン』(NHKブックス)はウィトゲンシュタインの後期理論(前期とは全然違う)を取り上げてるけど私はこの本を読みつつ講座にも出つつ勉強したけど「やっぱり言葉はややこしいぜ」という感想になってしまったし。まあなんにしてもウィニコットを読むこともそうだけど「なにが言いたいの?」「えーさっき言ってたとこと違うじゃん、どういうこと?もうちょっと先読んでみよう」とかダラダラ読み続けていくのは楽しい。研究となればもう少し違う読み方が必要だと思うけど一日中臨床やりつつ読む隙間時間読書だからケースとケースの間にする雑談みたいな感じだよね。あー、おなか痛い。でも昨日よりはいいな。倦怠感とかがないとほんと部分的な痛みだからこういう作業には特に影響ないね。腰を据えてやらねばとなると集中できないかもだけどそれはどこも痛くなくてもそうだからな、私の場合。マクドゥーガルとReading Freudの準備もせねば。ウィニコットフォーラムはいい息抜きになった。最近ずっと追われっぱなしでいつもとだいぶ違う感じだったから。でも大切な書類を先輩に見守ってもらいながら投函できたのはよかった。一人だと本当にきちんと投函したっけ、と不安でいっぱいになってしまう。そこかよ、とまた友達の声が聞こえてきそうだけどそこなのよ、私の場合は。そろそろ忘年会も続くからおなかよくなるといいな。みんなもお大事に。休み明けはなんだかぼんやりするけどがんばりましょ。

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舞台 読書 音楽

11月23日朝

今朝はいつだかどこだかのホテルからもらってきたほうじ茶。いい香り。昨日はコンビニで珍しくほうじ茶を買った。冷たいのはあまり飲まないのだけど「あんこたっぷり!シュー」と。変なところに「!」があるなと思ったけど別の種類の「シュー」もあるのね、きっと。

昨晩も遅くまで本を読んでいたのは覚えているけどどうやってベッドにいったのか覚えていない。きちんとベッドにいて起きたときが夢かと思った。

乾燥がひどい。ユースキン使っても乾燥で傷見たいのができてしまう。足首が乾燥するのは靴下があってないとかあるのかしら。むくみもひどいし。あったかいほうじ茶で循環良くなるかしら。

今日はウィニコットフォーラムに登壇。オンラインだから登壇ではない、ということを書くために登壇と書いてみた。どこまで言葉を曖昧に使うかとかも含めてウィトゲンシュタインをもっと引用しながら話したかったけど咀嚼が追いついていないので古田徹也さんの本を紹介だけしてウィニコットの「ひとりの赤ん坊というのはいない」というテーゼ(っていう?)を中心に日常語で書くことと絡めてお話しするよ。

昨晩は2022年11月に出た『言語はこうして生まれるー「即興する脳」とジェスチャーゲームー』モーテン・H・クリスチャンセン、ニック・チェイター著 、塩原通緒訳。ちょうど一年前だね。これすごく読みやすいのだけどいつも途中までになってしまう。なぜだろう。面白いのにね。とまた古田徹也さんの本を読んでいた。こっちは決して読みやすいとは思わないけど読んじゃうのはこっち。ふティぎ。お茶を飲んでいる時は「ち」が全部「ティ」になる癖がある。言語はこうして生まれる。

朝からjon batisteとSamphaの動画をみて相変わらずコーシャス・クレイ聞いてまた素敵な余韻に浸ってしまう。違うのを聞きたいなと思いつつ戻ってきてしまう。そしてこんな感じの曲もやるのね、と以前の曲からも発見。MVも面白い。不動産屋さんで働いてたんだって、コーシャス。あんないい声で物件紹介されたらきっとおうちもいいおうちと思って借りてしまうかもなっ。

大急ぎで色々書きまくった勢いでさらに書いておきたいけど眠くなっちゃった。ケムリ研究室の『眠くなっちゃった』は本当に悲しくて素敵なお話だったな。ケラ&緒川たまきはほんと素敵カップル。前にしもきたでお二人を見かけたけど緒川さんがケラさんにくっついてニコニコおしゃべりしててすごくかわいかった。ケラさんが緒川さんをはじめて使った舞台も思い出すなあ。あれは何年前だろう。別役実の脚本だったっけ。

今日はみなさんおやすみかな。それぞれいい1日になるといいですね。いいこと降ってきたり落ちてたりしますように。

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お菓子 俳句

眠い、あたたかい、ありがたい。

毎日毎日あったかいお布団で寝ないとダメだよ身体痛くなる、とおよげたいやきくんの替え歌として歌う、脳内で。ウトウトして起きるたびに腕が痺れてるからまた麻痺になったらまずいなと思うのだけど寒くなるなりよりだめになる。

薄目あけ人嫌ひなり炬燵猫 松本たかし

ああ、炬燵でひとりぬくぬくしたい、が我が家に炬燵はない。なくてよかった。仕事に行けない。

そういえばオンラインでやってる小さな句会で俳句を打ちこんでいる間に寝落ちして一句しか投句しなかったうえに選句するのを忘れるという失態をまたさらしてしまった。毎日毎日なにかの理由で謝る事態が発生している。全て自分が発生源。ごめんなさい。でもみなさんいつも通り優しくてあたたかくて素敵な選評までいただいてとてもハッピーでした。人に恵まれてるのにいつまでもだめなオレはどうしたらよかんべ。今月も俳句の雑誌に句友たちの句がいっぱいのってるんだ。発売されたら買いに行かねば!選評も面白いの。そんな観点があるのか!と目を見開いてばかり。手動かさんとね、わたしも。

今朝はアーモンドとチョコのマフィン。あったかい。美味しい。あっついコーヒーとね。昨年からカフェインとりすぎたみたいで調子悪くしたから気をつけながらね。日々、気をつけねば、ということが多すぎるからこの優先順位は低そうだけど。しかし持つべきは友。ありがたいことだ。ありがとうございます。今日もよろしく。みんなも元気で。

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精神分析

コーシャス・クレイたちを見た聴いた。

熱いお風呂で長風呂してしまった。暑い。危険。湯冷め注意。髪が濡れたまま外に出ると寒いからマフラー巻き巻きして首と髪を遠ざける。昨晩もベッドまでが遠すぎた。身体が痛い。

保育園を出て商店街を歩きながらメールをチェック。ああ。大変だなぁ、とメールを閉じたくなったが何度もきちんと読まないと本当に取りこぼしが多いのでため息まじりで何度も読んだ。通過儀礼には色々な手続きが必要で自分のせいだけど色々短時間でやらねばで大変だなぁ、みんな毎日の臨床やりながらこれ越えていったのすごすぎるよな、偉すぎる、と思いながらトボトボ保育園からオフィスへ移動した。

本当は10月中に諸々済んでいる予定だったのでご褒美を準備していた。コーシャス・クレイのライブ。柳樂光隆のRolling Stoneやノートでのインタビュー記事がいつもとてもよくて行きたいライブがいっぱいになってでもそこから厳選してしかも時間が取れたのがコーシャス・クレイだった。ジョン・バティステ、カッサ・オーバーオール、ジュリアン・ラージ、ブランディー・ヤンガーなどなど実際の演奏を聴きたすぎるアーティストは増えていく一方だけどコーシャス・クレイに行く時間が取れて本当によかった。記事を読んでから何回も何回も聞いてその優しい声とフルートはもうすっかり耳に馴染んでいた。行く前はアルバムで一緒に曲も作ってるジュリアン・ラージが一緒でないのが少し残念だった。ライブではなくても本当にすごいギターを奏でていてコーシャス・クレイとのレコーディングシーンも素敵で何度も見ていたから。ライブはアリーナ席で舞台に手が届きそうだった。始まる前に置いてあるサックスとベースとドラムをまじまじと眺めた。かっこいい。サックスってこんなかっこよかったっけ。コーシャスはフルートは自分で持ってくるのかなと思ったらそうだった(と思う)。赤ワインのグラスも持っていた。今回のツアーのギターはニア・フェルダー。ギターはすごくシンプルなギターに見えた。コーシャスが舞台に上がるときにニコッとしたのがもうすでに素敵で静かで柔らかい第一声を聞いてふわあってなった。koreaとjapanを最初に言い間違えてしまってロングフライトでお疲れのご様子で本当大変なことだよなぁと思いながら耳を傾けた。プロポーズが実ったというカップルにみんなで拍手も贈った。今後何が起ころうとこれは素敵な思い出になるよね、きっと。ベースはJoshua Crumbly、ドラムはBrian Richburg。アルバム「Karpeh」の曲を中心に柔らかなフルートで一気に優しい世界へ。場所的になのかずらしの効いた迫力のあるドラムだったせいか最初はドラムの音を中心に拾ってしまっていたが3曲目くらいから頬杖ついてゆらゆらしてしまうくらいうっとり。お疲れなのにこれかよ、ともうほんとすごすぎる、と思いながらうっとり。サンタナのカバー曲も良かった!フルートと歌の移行が一体どうなっているのかというくらいスムーズ。高校の時、友達がフルートでもう一人の友達がピアノで私はただの聞き役で休み時間の音楽室で演奏したことを思い出した。すごかったな、二人とも。群馬でいえば進学校だったけどみんな勉強というよりそんなことばかりしてた気がする。自由だったもんね。そんなこと思い出しつつもコーシャスのフルートには驚いた。違う楽器に聞こえた。サックスの掠れ具合いもすごい世界作ってたし、なんか息の使い方とかがもうコーシャスにしかできないものになっているんだよね、きっと。全部「声」って感じ。色々終わってないのにご褒美設定しておいてよかった。行く前に一気に一本書けたのもこれが楽しみすぎてきちんと楽しみたかったからだし。遅すぎたけどご褒美って効果的なのね。そして今回ものすごく見られてよかったと思ったがニア・フェルダーのギター。ジュリアン・ラージ聴きたかったなとか思っていたくせにあっという間になんだこの人は、となった。コーシャスの優しい声というか曲の世界をジュリアンとは別の形で広げるような繊細で彩り豊かなギターをすごい何気ない感じで目瞑って弾いててこの回はニアに結構ソロを任せている時間が長かったのかもしれないけど堪能。こういうのを堪能というのだと思った。ニアがコーシャスの様子をすごくよく観察していて時々隣のジョシュア・クランブリーとニコッと視線を交わして二人でめっちゃいい音出してるのもすごくよかった。終わって少しゆっくりしてから店を出たつもりだったけどその後サイン会もしてくれたみたいで、もっとゆっくりすべきだった!お礼言いたかった!さて今はニア・フェルダーのThe Longeset Starがかかってる。このアルバム好き。こういうことずっと書いていたいけどもう行かねば。東京はいいお天気。いよいよ風が冷たいけどあったかくして過ごしましょうね。

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精神分析

記憶。

知覧のみどりゆたか美味しい。あ、ゆたかみどりだった。知覧は複雑な景色をもつ街だったな。知覧特攻平和会館で本当にたくさんの資料を読んでものすごく複雑な気分になってから武家屋敷ののんびりとした豊かな生活を感じさせる通りを歩いたからかもしれない。「検閲」という文字が浮かぶ。ここはノー検閲だし検閲ノー、といったところでそれは無理なお話。無意識を想定するなら。それよりもあからさま「検閲」の恐ろしさ。先日久しぶりに見た芝居。記憶を奪いそれに殺される。記憶を奪われ愛を取り戻す。奪われた記憶のどれかもどこかも愛ゆえだったのかもしれないけど一気に見せられた人は狂い死ぬほどのものに変形してた。というより変形できなかったがゆえにそれはそのままの力を持ってしまったのかもしれない。恐ろしく悲しい記憶と夢にまつわる芝居だった。人は全部全部を忘れられるわけではない、と書きながら若年性アルツハイマーの患者さんのことを思い出した。毎週毎週会うたびに記憶を失っていく人と何度も出会い続けるように会っていた日々。厚生労働省のハンドブックを見て最初にくるのは社会で生きるためという視点なんだなと思った。実際まず最初に思い浮かぶのはそのことだろうけど。なんだかとても悲しい。

昨日も遅れに遅れていた原稿を一気に書いた。中身はともかく(ではまずいのだけど)このスピードで書けるのにこの2ヶ月くらいなにやってたわけ、と自分に呆れた。この2ヶ月どころではなく時間が止まっていたのでまだまだ色々こなさねばならないことが続々。本当にどうかしてる。

やりましょうそうしましょう。今日はお菓子不足。こんな日もある。チョコならあるけど今はチョコの気分じゃないの。和菓子が食べたいけど今そんな気分になるなんて知らなかったから準備してないし。そんな気分になる可能性は十分あったがな。さてさてさて。辛いわね。と思ったけどすっごく素敵なこともあったんだった。今その余韻に浸る音楽を聴いているのに書いている間は忘れちゃってたよ。うむ。がんばりましょう。

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俳句 音楽

日曜日

いいお天気。南側の大きな掃き出し窓からも西側のわりと大きな窓のブラインドの向こうもオレンジ。きれいな空。東京は晴れかな。今日はゆっくり。NHK俳句を見た。忘れていた書き物を一気に仕上げて大きな机を覆っていた本を一度全部本棚にしまった。今はまた別の書き物のための本が出ている。今日のNHK俳句は南風主催の村上鞆彦さん。熱い紅茶とアルフォートを食べながら見ていた。なんかしょっちゅうアルフォートもらっている気がする。昨日は雪見だいふくのCMを見てコンビニに雪見だいふくの「白い恋人」バージョン買いに行っちゃた。別の新作デザートも買っちゃったからアイスはまだ。絶対普通の白いのが一番美味しいと思うのだけど「白い恋人」も大好きだからつい。オフィスのそばのコンビニで見つけて気になっていたの。あ、また甘いものの話になってしまった。村上鞆彦さんはとっても素敵。南風のみなさんの句も村上鞆彦さんの佇まいとか話し方とかもとても好き。とか言ってるけど今月は自分の結社の句誌に出す俳句も気づいたら締切を過ぎていた。今気づいたよ。ああ。とりあえず出すのが目標だったのに。全然余裕がないな。あ、NHK俳句のゲストは山崎ナオコーラさんだったのだけど子育て俳句よかった!「母の友」で本紹介(だったかな)もされていたはず。今日は都会にも出るから本屋さんへ行ってみよう。オフィスのある初台は新宿から歩いて15分くらいなわりに都会ではないからね。コンビニの数と高速道路の近さは都会だけどね。

洗濯物を外に干してきた。晴れるみたい。そんなに気温も低過ぎないみたい。低過ぎないというのは服装でどうにかなる気温ということ。

ああ、今日も切羽詰まってるのに日曜日というだけでなんだか気持ちがのんびりしている。チョコ食べたのに朝ごはん食べに行きたいとかなってる。別にいつも行かないじゃん、日曜だからって。そうね。せいぜい電源のあるカフェに朝からこもってるとかだよね。逃避せざるをえない状況ってことだよ。ならこんなこと書いてないで早くやりなよ。えーん。わかってるよー。でもあそこのパン屋さんの美味しいスープが思い浮かんじゃったんだよー。行きたいー。でもだめ。あそこは日曜日は多分遠くからくる人も多いから混んでる。ああ。どうしてあんな小さな駅までわざわざみなさん・・・。うーん。とりあえずやるか。紅茶冷めちゃった。

BGMはずっとコーシャス・クレイ。来日中。昨日すでにライブがあったのかな。お、今日明日か。なんだこれ、「60秒でわかるコーシャス・クレイ」だって。後で見てみよう。アルバムに参加していたジュリアン・ラージはこの前来たばかりだから別の人がギターするんだよね。ジュリアン・ラージとのはこれ。とてもとても素敵。

もうさっきから頭の隅っこの方で怖い自分が「早くやれよ」とうるさい。はいはい。やりますやります。返事は一回。はい。大人だからうざいとか言わない。大体私が子供の時にうざいなんて言葉なかった。

さ、がんばりましょう。

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精神分析

ため息

お菓子と紅茶を合わせて「おかティ」。今日は月餅をもらったので半分食べた。もうこんな時間。色々ダメダメだ。ため息ばかりついていても仕方ないのだけれど。はあ。ため息。

今日のお天気はどうでしょう。東側の窓を開けたときはあまり風もないように感じたけれど。

大きな机の上が開かれたページを下にした本でいっぱい。本には付箋もいっぱい。私はこれのどこから手をつければいいのだろう。もっといろんなことスッキリさせないとこれから衰えていくばかりなのに適応できない・・・。最近階段降りるのも一段一段確認しないとなんか怖くなっちゃったし。

どうでもいいのだけどこんなときにふと昨日のレーズンバターサンド美味しかったな、とか浮かんできてしまうのはどうして。不真面目だから?切羽詰まりすぎてどっかおかしくなってる?この程度のおかしさはいつも?

毎日厚着しすぎてオフィスもポカポカ。まだ対応できてる。でも今からこんなでは今年はいよいよ冬を越せないのではないか。これも毎年いっている、と毎年言っている。季節に関する言葉はマトリョーシカ。

今日は沖縄社会学会に少し参加するつもりだったけど無理かも。ああ。それでも日々はすぎてくね。がんばろう。

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精神分析

カレー@初台&佐賀

夜の間は雨の音が聞こえるくらいに降っていた。今は雨の音はしない。鳥が鳴いている。でもきっとまだ降ってる。寒いね。

また自分の足首をもう一つの足首に乗せて眠ってしまい痛い。自分の重みで自分がやられている。結構本格的に痛い。

数ヶ月前、オフィスのそばのカレー屋さんがとても美味しい、と友達に聞いた。最近ちょこちょこ行っている。美味しい。ごはん少なめにするとトッピングをひとつ選ばせてもらえる。小さな店で並ぶことの方が多いみたいだけど回転は早い。辛さの調節は0が中辛で20まである。それ以上もできるみたい。「17とかできます?」「できますよ」と聞いてどんなふうに調節してるんだろー、と興味津々だったが皆黙々と食べて帰るような店なので誰かがお店の人に尋ねる場面にはまだでくわしていない。私は聞けないから「あの小さなタッパーたちに秘密が?」とか思いながら観察しているが多分違う。ご夫婦でやっているらしい。奥で男性が黙々と同じ動きを繰り返している。お二人とも無駄のない素早い動きなのにどこかあったかい雰囲気。はじめて行ったとき勝手がわからずあわあわしていたら最小限の言葉で静かに指示を出してくれてありがたかった。私のあとにあわあわしていた人にも同じ対応をしていてなんだか入学式とか試験会場みたいだった。はじめてってあわあわするよね。ごはん多分g数に合わせて自動で出てくる機械があった。初回はよくわからぬまま「なら普通で」とか言ったが2度目に行ったときになんとなく「3で」と言ってみたら結構辛かった。エビカレーのエビがプリップリでトッピングのほうれん草で見た目も豪華になった。周りの人は「10」が多かった気がする。17ってどんな感じだろう。ああ、佐賀の白山文雅に行きたいー。元はバーだったみたいな狭いスペースが待合室になっていて、順番が来るとお店の人が道を渡って呼びにきてくれるシステム。人気店だから待つのは普通みたいだけどそんなに待ち時間長くなかったと思う。キョロキョロしたり置いてある佐賀情報を眺めたりそばの人の話をなんとなく聞いていたらあっという間に呼ばれた。私たちが行った日は休日だった。隣で待っていたご家族は地元の人みたいでいつものメニューがないことに慌てていた。なにやら平日はセットがあるようでみなさんそれが狙いだったようなのだ。しかもその方が全然お得らしく、お母さんはいいよ、お金出せるよと言っていたが息子たちがそれだったら別のところでみたいな感じで平日に出直すことにしていた。とても残念がりながらも気持ちを切り替えようとしている姿にいい店なんだなーと思った。順番が来た。店は意外と広い、と思ったら鏡の効果もあった。アンティークな感じでとても素敵だった。ここでも「ごはん少なめ」と言おうとしたら少しお店の人に制されるようなタイミングで何か言われた。不思議に思って待っているとごはんのお皿が出てきた。びっくり。すっごく小さなごはんがお皿にちょこんと乗っかってる!ごはん少なめって言ったからではなくてスタートの量がこれ。あとはおひつから自己調節。かわいい。カレーもとっても美味しかった。隣にきた若い女性たちはインスタとメニューを見比べながらずーと迷っていたが結局お店の人に色々聞いて選んでいた。迷うよね、これは。写真とかみちゃうとなおさらね。その人たちはセットで頼んでいた。特別な店ではちょっといいもの頼みたくなるよね。私たちは旅に出ると早くから呑むからおなかいっぱいになりすぎないように普通にカレーだけいただいた。また行きたいな。夜にいって豪華なコース食べるのもいいな。11月上旬は佐賀バルーンフェスタだったね。佐賀に行ったときに電車から普通にバルーンが見えてすごく感動した。「うわー」ってなったんだけど電車の人たちだーれも反応していなくて「おお、日常・・・」って思って小さく騒いだ。

ああ、寒くて動きたくないぜよ。もう金曜日なんて最悪だよ。なにも進んでないじゃん。なのにこんなことばかり書いてしまった。はあ。準備準備。どうぞ良い1日をお過ごしくださいね。

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精神分析

悪口とか。

眠い。おなかがすいた。りんご食べた。ちっちゃいチョコと熱い紅茶もある。よき!

今色々悪口をそうとはわからない形で書きたいけど書かない。そんな暇じゃない。悪口ならそうとわかる形で書く。そうとはわからないと思ってされてることって第三者からみたら結構あからさまに「そう」なので小細工するよりわかるように書いたほうがいいでしょう。悪口とか大雑把に言ってるけどこっちにはごく普通のありがちな文句でも悪意や非難としてしか受け取られない世の中なんだからもうなんでも悪口でいいや、みたいな気分になる。悪意で受け取りやすい人は自分より弱い立場の賢いが孤独な相手を使っていい人アピールするのは上手だから厄介。これも悪口。全部悪口。馬鹿は一生言ってろ、と馬鹿にすればいいのだ、これまで通り。これ、全く逆の褒め言葉でも言える。どっちかにすることは簡単。毎度同じように「最高!」とか言ってるのは褒め言葉ではないけどね。本の帯とかもある層にはかっこよく響くであろう、ある知識を前提としている言葉が書かれていると思いやりのなさを感じてしまう。昨日読んでいた英語の本の書かれ方もそんな感じで「この人の本は私の分野では読んだほうがいいから買って読むけどこの人の書き方あまり好きじゃないんだよねー」と近いうちに友達にいうであろう言葉を頭の中で言っていた。なんか基本的に意地が悪い、というかなんであえてそんな言い方するの、とか思う部分が多いのだけどもう大御所だからか書評とか見るとそこはもうみんなわかってることとして、みたいな感じなんだよね。わかってないよ、私は、と思うし私の英語の読み方がおかしいのもあるだろうからな、とぶつくさ思った。何かをだしにしてる感じが嫌なのよね。お料理だけにしといてくださいよ、と思っちゃう。嘘つきの優しい言葉よりはましか。あー悪口悪口。

ジュリアン・ラージは今日も優しくて確かな音色を超人的なテクニックで奏でてくれる。ミュージシャンたちのSNSが好きでよく見てるせいかFacebookで勝手に流れてくるのもそんな画像ばかりなんだけどものすごいのがいっぱいある。ライブ会場、どこまで広がってるの、砂漠なの?というくらいずっと遠くまで人で埋め尽くされてるライブとか。この前、年齢的に生きてる時代が重なっていない二人が一緒に写ってる写真があって面白いなと思ったのだけどついてたコメントが「フェイクだ!」という指摘でびっくりした。まあそうもとれるかと思ったけどこれも前もってもっている知識とかその対象に対する思いとかが関係してくるから難しい。載せた人のことは全然知らないけどしかしたら本当にフェイクとして載せてる可能性だってあるものね。難しいな。

今日もいろんな言葉と出会う。がんばりましょう。

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音楽

雲、ジュリアン

この時期は夏より淡い白の大きな雲がじーっと浮かぶ。今朝もそんな感じ。東側の雲は朝日のいれものみたいになっててオレンジがはみでてるのもきれい。まだ空気は秋。冬の鋭い感じがない。紅葉も今本格的にきれい。2週間前の広島もきれいだったけど東京のほうが遅く感じる。実際どうなのかしら。

おなかの調子が悪くて仕事以外じっとしてる時間が長い。やることがたまってく。ただでさえ時間が止まってたんだなと気づいてショックを受けてたのに。そのショックの身体化かもね。あーあ。しょうがないね。調子悪いと音楽も刺激になっちゃってイヤホン忘れて元気なくしてた日々はどこへという感じ。それでも昨日延々流していた、というよりPC前でウトウトしっぱなしの間に繰り返し流れてたのはジュリアン・ラージの新曲”omission”。

宣伝用に一部切り取られたのがずっと流れてたんだけどここちよかった。ギターの可能性だけではなくて一緒にやる人たちの演奏の可能性も広げていくのがすごいと思う。コーシャス・クレイのアルバムのギターもジュリアン・ラージなんだけど生で聴いたらどうなっちゃうんだろうというくらいきれいな重なり合い。本当はきれいって言葉じゃ全然足りないのだけどこれだけ良いとどの言葉でも当てはまるからいっかみたいな気分にもなってしまう。彼らの緻密かつ考えと正反対な気がするけど言葉にするとしたらもっと体験しないとって感じ。ライブいくとか。トップミュージシャンたちは背景を作るのも最高に上手。どの世界でもそれは同じか。デザイナーの世界もそうだよね。分業が素晴らしい。心理臨床も分業として考えればいいのだけどなかなかそうもいかないのでしょうね。私世代までは多分そうやってきたと思うのだけど。心なんてそもそも全体で語ろうとするからおかしなことになるんじゃないの?と思ったりするもの。

はあ。早く通常の状態に戻りたいな、と思ったけど通常でもたいして変わらない疑惑が出てきた。それもそうか。まあ、できる範囲で行ける範囲までやりましょう。寒いけど紅葉楽しもうね。

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精神分析

寒い。

寒い。PCも床も冷たい。マットって偉大。それにしてもお風呂場に暖房があるって画期的、嬉しい、ありがたい!と思ってもう10年以上だけどやっぱりありがたい。フィルターを取り替えたらその下に干していた洗濯物が揺れるくらの暖かい風が最初から出てきた。冬になると色々億劫すぎるけど暖房がないともっと億劫。フィルター取り替えるとか微妙に面倒だけどやってよかった。洗濯物はすでに乾いていたからたたんだ。あとはキッチンが難関。マットを新シクしようと思ったまま買っていないから。お掃除しやすい方がいいからあまり何も敷きたくないとか思ったのはきっと暖かい時期だったのね。冬はできるだけ大地から距離を取りたい。昨日はすごく寒かったけどショートブーツが暖かく感じた。そのうち何着ても何履いても寒い!!ってなるんだよね。もう嫌。今から結構厚着してるのにどうしよう、って毎年言ってる。毎年辛くて同じく冷え性の友達と辛さを分かち合っては暖かい飲み物をありがたがりおいしいお菓子情報を交換する。あったかグッズ情報もいろんな人に教えてもらうし実際にもらったりするのだけどどうにも使いこなせていないな。もらったらすぐ使うとかしよう。使ったらきっと「これいい!」って自分でも買うだろうし。今日のりんごは少し酸っぱい。柿は昨日少し渋かったから皮を厚めにむいた。私が大地と距離をとるように。接触面に栄養とかいいこといっぱい詰まっていることは多いのだろうけどね。冬でもお花は健気に地べたに咲くしね。

先日ここで柳樂光隆による稲垣次郎のインタビュー記事を読んだって書いてすごく興味深いことがいっぱいで笠置シヅ子のブギウギとの関連も気になっていたわけだけど佐藤利明さんという方が柳樂さんへの返信でブギウギのことに少し触れてた。これが気になってたから玉川裕子『「ピアノを弾く少女」の誕生 -ジェンダーと近代日本の音楽文化史-』玉川裕子著(青土社)を読んでる。今は読んでいる場合ではないのだけどちょっとずつね。

寒いけど無事に過ごしましょう。

今朝はコーシャス・クレイ(Cautious Clayを聴いてるよ。この人も本当にすごい。『KARPEH』は

「言ってしまえば、ナラティブ(出来事を伝えるストーリー)なんだ。」(Rolling Stoneのインタビュー by柳樂光隆)

とのこと。これもコーシャス・クレイの魅力全開のいいインタビューだった。広いところへ視野が広がっていくような優しく導いてくれるようなアルバムKARPEH』もぜひ。

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音楽

和ジャズ!

寒い。キーボード打つときに手の付け根の方の平たいところが当たって冷たい。熱い紅茶と久々の柿と昨日と同じりんご。お薬を飲もうとしたら落としてしまった。這いつくばるように探したのにない。どこまでコロコロしてしまったのかしら。転がる形態でもないのに。

今朝も昨晩に引き続き和ジャズ!今度はリアルサウンドの記事で柳樂光隆さんがインタビュー記事を書いていた。数日前に名前を聞いて気になっていた稲垣次郎というジャズミュージシャンの記事。まだ前編なんだけどやりとりが可笑しい。その場にいたら思わず笑ってしまいそうな瞬間がいっぱい。いなくても笑ってしまったけど。この年代の人はすごいね。90歳。本当に単純に好きなもの取り入れてやりたいことやってくぜ、という感じが好き。ものすごい人たちとも普通に対等で飄々としてていいよねえ、こういうの。

マイルス・ディヴィスに関してもこんなやりとりが。

――それはシンパシーみたいなものもあるわけですか?

稲垣:それはないですね、自分とはちょっと違うなって(笑)。

なんかシンプル!!面白い。私が当時大好きだったピンクレディの後ろにもいらしたのね。秀樹もですって。

音、かっこいいですよ。ロックとジャズはどんどんいい関係になりそう。最近ここであげるようなジャズ・ミュージシャン、みんなどの分野とも誰とでもセッションできそうな人ばかり。石若駿とかの世代とか30代は稲垣次郎の世代がやりたかったことをこれまた自然に展開させてるのではないかしら。よくわからないけど柳樂さんの記事を読んでいるとなんかそんな気がする。ルーツを意識し歴史を忘れさせないジャズと少年の心を意地でも忘れないロック、両方大好き。ネガティブな部分もなんでもきちんと出ちゃうのもいい。稲垣次郎さんかっこいい。アルバムはこちら

『WaJazz Legends: Jiro Inagaki – Selected by Yusuke Ogawa (Universounds)』

配信リンクはこちら

和ジャズ!ブギウギの笠置シズ子の少し下の世代ということになるね。歴史は面白い。その曲で今もみなさん繋がってますよ、とお伝えしたいミュージシャンがたくさん。「あ、そう」とか「へえ」というお返事かもね。繋ぐためにはじめたわけでもなかろうから。

さてさて色々大変じゃ。でもグッドミュージックbe with you!

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精神分析

一問一答。1袋2枚。オジー。など。

ふー。本を積み上げただけで疲れたぜ、と言えるほどには元気だぜ、ひどいことをした人が温かく励ましてもらえる社会にはひどいことをされた側は傷つくけどそういう人にもそういうことがないと世の中良くならないしひどいことされた側はどうやって過ごせばいいかわからなくてもとりあえず存在してることが大事、ということで今日は日曜日。りんごをシャクシャク。この冬初めてのりんご。トロッコ問題みたいな問いって答えるのが大事なんじゃなくてそういう問いが立ってしまう状況が問題なのでは、と思うけどそんなこというと「あれは」と穏やかだけどでかい声で説明をはじめる知識人が思い浮かぶ。問いに対してすぐ答えないと死んじゃうのかよ、と突っ込みたくなるほど一問一答(答えに多義性があろうとなかろうと)が好きな人はそれはそれでいいけどそんなこと求めてないよ、という人にはいらないよ、そういうの、大抵の場合。それが単に侵襲になっている場合もあるから。大人になると問題になりにくいけどね、ありがたがって群がる人もいっぱいいるし。その陰でしているひどいことまでそれで誤魔化せちゃったり。子供はそういう体験が外傷になる場合があるわけだけど、ということをウィニコットは書いたけど。そうそう、トロッコ問題なんていちいち言わなくてもそういう問いは心の中に実際立ってしまうでしょう。個人の傷なんてあっという間になかったことにされる集団のあり方なんてみんな言語化しないで行動化してるから見えにくくなってるだけで、というと「あれは」と間違いを指摘する声が聞こえる。そのでかい声がフラッシュバックして眠れない日々を過ごす。あれを穏やかと感じられる関係性の人はいいね、と呟きながら。何かを考えるとすぐに正解がほしくなる心と戦っている人の苦しみの起源は正解を押し付けてくる心だったりするのかも。それが正解だろうとなかろうと押し付けるなよ、といっても押し付けに感じる方が悪いんだろ、という堂々巡りにもなりがちだしね。何か言われたらとりあえず考えて答える、ということをするのではなくて「はいはい、私が悪いんですね」みたいに終わらせたがる人もキャパ狭いけどそういう人にも実際の濃いやり取りを必要とせず、つまりキャパが狭くても取り入れることができる知識なら大抵の人の一生分以上あるし、誰か一人の大事な場所に小さな傷をつけようと「なによりも家族!」とか嘯いて暮らすこともできるし、そういう人にも優しい社会はあるから他人事として考えると優しくされて優しい心が持てるようになるといいですね、せめてひどい言動はこれで終わりにできたらいいですね、となるけど当事者にとっては色々うんざりってことも多いから難しいですね。「どこがなによりもだよ」とか。人間関係に対するキャパって知識に対するそれとは全く異なるけど連動もしてるから今日も人のあれこれをあちこちから眺めて自分で体験しながら考える。とりあえず存在することの大切さを共有していくような仕事だからみんなであれこれやりましょう。今日はグループだからね。みんなよろしく。

しまった。2枚入りの美味しいクッキーを2枚とも食べてしまった。あーあ。1枚目が半分に割れてたから枚数感覚が狂ったか。そんなはずないか。美味しかったから残しておきたかったのに。群馬のケーキ屋さんのクッキーなのに。

今朝は昨日ノミネート作品が発表になったグラミー賞の昨年の受賞曲が集められたプレイリストを聞いている。今はオジー・オズボーン(Ozzy Osbourne)のPatient Number 9feat.ジェフ・ベック(Jeff Beck)。オジーも大好きだった。オジーはbeingもdoingも両立してるというかdoingの前提がbeing.オジーのあとにWet Leg。良い並び。今日はこういう感じがぴったり。みんなはどんな感じかな。どうぞ良い日曜日を。

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精神分析

グラミー賞とか。

第66回グラミー賞ノミネート作品が発表されたのね。外は風が強い。音がすごい。肌寒いけど膝掛けにも肩掛けにもなるフワフワのを羽織って熱い紅茶を飲んだら少し暑い。飲まないとすぐ寒くなる。冬ね。グラミー賞は時間があった頃は授賞式の映像を見るのを楽しみにしていた時期もあったけどここ数年音楽をきく余裕をなくしていた。ということに気づいたのもほんの数ヶ月前。それからはイヤホンを忘れると一日中元気がないほどに暇さえあれば何か聴いている。Spotifyでおすすめされるままに流していることもあるけど音楽評論家の柳樂光隆がすごい勢いで出してくる(ありがたい)インタビュー記事を読んでその音源をきくことが中心。重なってくる情報も多いおかげで最近少し頭が整理されてきた気がする。好きなロックミュージシャンたちは今も色々話題豊富な人が多いのかFacebookとかで流れてくるものからチェック。最近はCoverdale & Pageのことが流れてきて久しぶりに聴いた。YouTubeに1993年の大阪公演があがってた。東京公演行ったよ。ディヴィッド・カヴァデイルがほんと美しくて、そしてあの声、うっとりした。ジミー・ペイジはもうなんだか凄すぎた。かっこよかったなあ。一枚しかアルバム出さなかったけど今となってはあれでおなかいっぱいな感じもする。特別な二人の特別なアルバムって感じでいいよね。

ちなみに今年のBest Rock Albumは以下の5グループ。

Foo Fighters – But Here We Are
Greta Van Fleet – Starcatcher
Metallica – 72 Seasons
Paramore – This Is Why
Queens of the Stone Age – In Times New Roman…

やっぱり一番聴いているのはメタリカだねえ。Queens of the Stone Ageになると私にはちょっと新しいな。ライブに一番行ったのは1990年代前半だから2000年以降はほとんど新しい人だと思ってしまっている。しかもここ数年のブランクでよほど有名な曲でないと全然知らない。女性アーティストは結構フォローしてたかな。最近、ずっと聴いているジャズは根っこがつながっている感じで今のジャズを聞いても当時聴いていた古典が全然古びていないというかむしろすごいリスペクト向けられてるから古いも新しいもないかんじ。今私が聴いているジャズは、だけど。多分全然知らない世界もいっぱいあると思う。

あら。風の音が止んだかな。そろそろ行かないと。鹿児島で地震があったのね。どうぞお気をつけて。鹿児島、近いうちにお邪魔します。よろしくお願いします。良い週末をお過ごしくださいね。

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バティステ、ルララ♪

キッチンの小さな窓から入ってくる風がいよいよ少し冬。コーヒーとタルイベーカリーのパウンドケーキ。小さな人気パン屋さん。お隣のカフェも行ってみたい。昔、ボーイフレンドに焼いてくれた母のバナナパウンドは本当に美味しかったな。あげたことはお話としてしか覚えていないけど自分が食べたことは覚えている。

今、またジョン・バティステを聞いてる。今年9月、柳樂光隆のインタビュー記事を読んで知ったなんでもできるジャズマン。

https://rollingstonejapan.com/articles/detail/39978

アカデミー作曲賞もグラミー賞もとっているすごい人だった。ニューオリンズ出身というのも素敵。この記事で最新アルバムを聴いてそのかっこいい始まり方から魅了されて何度も聴いた。そして昨日出た新たなインタビューで『Chronology Of A Dream』(2019)の音源と出会った。

https://rollingstonejapan.com/articles/detail/40193/1/1/1

全然イメージが違った。ワーオだった。このライブ行きたかったな。みんな絶対すごくいい1日になったと思う。この曲かっこいいですよ。

2本めのインタビューでバティステはこう言っている。

「JB:スタイルよりも、どうやって制限を持たせないかということを考えていたんだ。『World Music Radio』は「ワールド・ミュージックを作らない」ための良いスタートになると思ったんだ。世界中のカルチャーをカラーパレットのように見立てることが、ジャズやソウル、ポップ、さらにワールド・ミュージックというジャンルから自由になる一種の方法で、僕はその自由さに美学を感じた。とても自由な発想で作るんだよ、まるで子供のようにね。だって、子供は音楽を「これはラップだ、クラシックだーーだから、僕の趣味じゃない」っていうふうに音楽を聴かないよね? 耳に入った音楽に自然と反応する。そういった感覚で音楽を作ったんだ。」

1本めのインタビューでの多様性の解釈とその現実化もすごいな、と思っていたけどこうやってさらに知るともうなんだか多様性、多義性に関して本気の人って、とリスペクトしかない。

柳樂光隆の質問がすごくいいというのも大きい。他の媒体の別の人によるインタビューも見たけどこっちが知りたいのはそんなことではないですよ、と思うものもいくつかあった。良い問いを発明することは世界に別の見方をもたらすのね。素敵。

サマラ・ジョイが流れてきた。とても好き。ちょうど良い深みの声。美味しいコーヒーみたい。そしてとてもかわいい。

音楽は安らぐ。色々辛いこともたくさんあるけど色々なんとかなっていくといいね。ガンバリルルラリルルララ♪

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精神分析

コミュニケーション大事。

コーヒー&カステララスク(ゆず)あとアルフォート。カンマを使わなかった。

高橋ユキさんが書き手を下に見ている編集者のことを書いていたけどわかるーと思った。書き手としてすでに人気がある編集者でも担当作家のこと見下してた男性もいた。嫌な人だなと思った。相手が女だと上手に依存関係築いて職権濫用をお互いにしているというよりはwin-winだから別の女への搾取の歴史は消えていく。それはそれでどちらの女のことも家族とか身近な人も見下しているんだけど大人な人にはバレてるんじゃないかな。嫌な人だ。やっぱりいろんな人と会ってコミュニケーションとるのって人として大事だと思う。気持ちのいい関係に安住できる環境がある人はそれを守るのも大事だけど気持ちのいい関係以外は排除しながらそれを維持している人は他者から学ぶ気がないわけでしょう。その人もいつも似たようなカッコよさめの文章を書いてキャーって言われるみたいなパターンがあってオレイケてるって思ってるらしいのだけど(表面的には「いやー」とかいって謙虚っぽいけど)あれはコール&レスポンスですね。中身はどこへ。ファンがいるっていい面悪い面あるけど嫌われたくない!と強く願っていたから願いが叶っているともいう。読まずに「名著!」とか紹介する方もする方だよ。それも愛情なのかよ、って思うけどきっとそうなのね。変なの。変なの、って一緒に言ってくれる人がいるのもすごくいいと思う。その人はすぐアスぺとか病気とかいう人だったし。そういう言葉遣いもパターンってあるのかしらね。パターンというかそういう言葉を使う人だと知っている人は知ってるし知ろうとしないか知る機会のない人は知らないしということでしかないか。

今日はちょっとひんやり。風邪引かないようにして過ごしましょう。

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精神分析

立冬

立冬。冬らしさまだ感じず。でも熱いお茶がこんなに美味しいからやはり季節は寒い方へ。高尾のお土産と一緒に。お菓子いっぱいで冬眠準備みたい、と思ってもすぐになくなってしまうから冬眠に至らず。準備不足でも冬眠してもいいですか。いいですよ。でもおなかすきますよ。それは困りますよー。

しまった。突っ伏して眠ってしまった。PCにwがいっぱい。この前はdがいっぱいだった。

昨晩はフロイトの「終わりのある分析と終わりのない分析」からメルツァーが引用した箇所を探していて何度見てもなくて途中からもしかしてと思ってメルツァーの本を確認したら引用ではなかった。やっぱりなあ。こんな文章あったっけ、と思っていたんだよ。でも私の記憶力なんて当てにならないし見逃してるだけだろうと思って結構時間を取られてしまった。何回か見たところであれ?と思ったのだからそこで確認すべきだった。確認が面倒で引き延ばしたのだろうね。そういうこともよくやる。昨日までに出すとか言ったのにダメだった。こんなに色々間に合っていないのはじめて。でもこれについては目処が立った。結構困難な作業だったな。勉強になったけど。とか言っていないで早く仕上げましょう。

昨日は石若駿のツイートでBanksia Trioを知ってそのアルバムを聞いていた。駿くんはいろんなグループにいるんだね、自分のグループも持ってるし。

「須川崇志(Banksia Trio)インタビュー & 『MASKS』全曲解説 | 日本のジャズシーンを代表する精鋭トリオ、バンクシア・トリオの成り立ちから、ニューヨーク時代の恩師、菊地雅章との出会いまで」という記事もざっと読んだ。みんな素晴らしいのだけど今それを書く余裕がないのでぜひお読みになって。アルバムも渋くてかっこいいのでぜひ聴いて

あー、突っ伏し寝は胃腸にも腕にも悪いしなによりこんな時間。立冬の光がブラインドの向こうで明るく光ってる。気持ちよく過ごせたらいいですね。行ってきまーす。

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精神分析

強風、アメリカ、環境

昨晩からすごい風がおさまることなく吹いている。今朝は何も胃腸にいれる気がしない。入れすぎていたのだろう。早く元気になって。体調が悪いと何もしたくないけど動けている程度だからゆっくり動き続けましょう。無理はしない。

ふと写真が目に入る。ジーンズのポケット部分に写真が入るデザインの写真たて。このデニムのシャツを着た大きい男の人のオブジェはPasadenaだ。身内がLAに住んでいるときによく行ったのんびりしたモール。毎回文房具屋さんでかわいいカードを集めた。小さな美術館もあった。米国同時多発テロ直前、2000年には彼らとNYにいた。別の身内はあの日もNYにいたし今もNYにいる。その後、戦争が始まり、やけにすいた飛行機でLAに行った。はじめてLAに行ったのは20歳のとき。暴動の余波を感じる時期で近寄ってはいけないと言われた場所がいくつもあった。国内での暴動に比べて戦争中でもアメリカは静かだったなと感じる。そうではないアメリカもたくさんあっただろうけど。アメリカは広い。

サックス奏者、ヌバイア・ガルシアのインタビュー by Mitsutaka Nagiraを読みながら彼女の曲を聞いていた。何度読んでも小さい頃から当たり前のようにあった音楽環境の豊かさに驚かされるが私もクラシック音楽は小さな頃から身近だったなとか考えていた。ドイツだったと思うけど有名な指揮者がうちに来たこともあった。フィンケさんだっけな。私は楽器も習っていたけど才能もなかったしクラシック音楽は身近なだけで好きでも嫌いでもなかったしどちらかというとオーケストラのコンサートとかいくのは面倒だった。すぐに寝てしまうから。母なんて始まる前から私に肩を差し出していた。寝ないよ、まだ…、と思った。大学に入ってバイオリンをやっていた友達に誘われて親とは関係なくコンサートにいくようになってからようやくクラシックの魅力がわかった。ヌバイア・ガルシアみたいに豊かな音楽環境を自分の生活の一部とできていなかったことが少し悔やまれる。

昨日、ウィニコットのいう「環境」や「退行」について少し考えていたので関連部分を載せておこう。私は退行概念は以前からたやすく使えない用語だと思っているので何か言うならこの辺は参考になるかなと思った。もう行かなくては。とりあえずメモ。ほんとに風が強いからみなさんもどうぞお気をつけて。交通機関にも影響が出なければいいですね。

「私は、通常の赤ん坊において、誕生以前にも誕生以降にも同様に適用できる存在のあり方の仮説を提示したい。この存在のあり方は赤ん坊にとってのことであり、観察者にとってではない。存在し続けることは健康なことである。比喩として泡を例に取るならば、外側の圧力が内側の圧力と適合していれば、泡は存在の連続性を有しており、このことを人間の赤ん坊に当てはめるならば「生存する」と呼ぶことができるだろう。それに対して、泡の外側の圧力が内側の圧力に対して大きいか小さい場合、泡は侵襲に対する反応の状態にある。これは環境の変化に対する反応として変化するのであり、個人的で衝動的な経験によるのではない。人間という動物の観点から考えると、これは存在の連続性に中断があったということであり、存在の場が侵襲への反応に取って代わられるのである。侵襲が終わると、反応は終わることになり、また存在することへと復帰することになる。」ー『人間の本性』第4章「最早期の段階」

「子宮のなかの素晴らしい時という観念(大洋感情など)は、依存に対する複雑に組織化された否認である。退行に伴って起こる喜びはすべて、環境は完璧だという観念を前提としている。これに対抗するものとして、環境があまりにも悪いために人間が存在する希望が全く無いのではないかという、退行した子どもや大人にはまさにリアルなものとなりうる考えを、検討しなければならないだろう。」

ー『人間の本性』第10章「環境」

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お菓子 音楽

1987年、高尾のお菓子、Jazz

月曜日になってしまった。どうしましょう・・・。雨が降っているのね。寒くはないけど首にストールを巻きましょう。昨晩、阪神の応援で騒いだわけでもないから喉が痛いとかではないけど肌が出ているところはなんかひんやりする。今日も明日も日中は暑いくらいらしいけど8日(水)は立冬。きっと急に冬を感じる瞬間が訪れる。毎年そうですから。昨日の阪神は強かったですね。今年はずっと強かったわけだけど日本シリーズでも勝つとは。私は岡田、掛布、真弓時代の阪神を知っているので岡田監督が前の優勝の時は27歳だったというのを聞いて時の流れをしみじみ感じたのでした。当時は毎年巨人ー阪神戦、いわゆる「伝統の一戦」というものを後楽園球場に見にきていた。今wikipediaで「後楽園球場」を見たところ

「最後のパ・リーグ公式戦は1987年10月13日の日本ハム-近鉄戦で、近鉄先発の吉井理人がプロ初完投勝利を挙げている。最後のナイター開催試合は10月17日の巨人-ヤクルト戦で、巨人のサヨナラ勝ち。最後のセ・リーグ公式戦は10月18日の巨人-広島戦で、巨人の吉村禎章が4ボール2ストライク(4ボール目の見落とし)から本塁打を打っている。最後のNPB主催試合は10月30日の日本シリーズの巨人-西武第5戦で、最後の投手は西武の工藤公康、最後の打者は篠塚利夫だった(結果は三振だった)。」

馴染みの名前ばかり。前回の阪神優勝は1985年。私が最も野球をよく知っていた時代かもしれない。野茂がドジャースに入団するのはその10年後。いまだに野茂は偉かったよね、という話をする。

そういえば昨日はまた同世代で BUCK-TICKの櫻井敦司を偲んでしまった。BUCK-TICKのデビューは1987年。後楽園球場閉鎖と同じ年。1987年のwikipediaには

「5月25日 – 森高千里が「NEW SEASON」で歌手デビュー。9月12日 – マイケル・ジャクソンが後楽園球場で来日コンサート。9月20日 – おニャン子クラブが解散。12月24日BOØWY、渋谷公会堂にて解散宣言。」

はあるのにBUCK-TICKデビューはない。なぜだ。それにしても「そうか、これはこの年だったか」と思う出来事ばかり。38年。うーん。

ストールしてコーヒー飲んでたら暑くなったので巻き巻きをぐるぐる外したら今度は寒い。なんなんだ。今朝のお菓子は高尾のお土産。めじろ台に店舗があるパティスリーメゾンの高尾ラスクとマドレーヌ。ラスクはカステラを焼き上げてるんですって。今朝は黒蜜味をいただきました。マドレーヌも蜂蜜使ってて美味しい。蜂蜜大好き。

昨晩からグレッチェン・パーラトを聴いている。音楽の記録はTwitterとnoteにしていこうかな。なんとなくすでにそうなってる。時間があるときにメモ的に。グレッチェンは少し前に聞いてその優しい歌声にすっかり虜になってしまったのです。グレッチェンと一緒にやっていたベッカ・スティーヴンスもいい。

“’Cause there’s only now,
change all your thoughts from loneliness to solitude,
sacred,
the space that you’ve found.”

Becca Stevens BandのWeightlessに収録されている Weightlessという曲の歌詞なんだけどウィニコットみたい、と思いながらウィニコットはsolitudeという言葉を使ったかどうか、と考えていた。isolationを使ってはいるけど。

もうこんな時間か。辛いな。辛くてもお菓子は美味しく感じるんだからいいことですよね。みんなにも「あーこんな状態なのに空はきれい」とか「もう秋が終わっちゃうけど今年も紅葉みられた」とかほんのり良い感じのことがありますように。

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11月5日朝

秋もみじ、というもみじ饅頭を熱いお茶と。くるみやら色々入った豪華もみじ饅頭なんだけどもはやもみじの形をしていない。ハンバーグみたいな形。でも美味しい。ポロポロ崩れるけど落ち葉ってことで。

寝不足。もうこんな時間。朝だね。朝イチの音楽は柳樂光隆が直近でお勧めしていたこちらKNOWER(Louis Cole&Genevieve Artadi)というのね。おー、エレクトロニック。かわいいおしゃれかっこいい。普通の褒め言葉が全部当てはまりそうな音楽だな。 YouTube、これ最初の撮り方かっこいい。普通の部屋で撮ってる?こういう感じは懐かしいな。インタビューもとったとのこと。すごいペースで記事書いてる。この量だと情報に合わせて音源コピペするだけでも大変だと思う。すごい。私の進まない原稿とは大違い。

KNOWERさんはLA発とのこと。なぬっ!レッド・ホット・チリ・ペッパーズのオープニング・アクトに抜擢されたこともあるのか。おお。なんでもできそうだしな。

YouTube見始めたら止まらなくなってしまった。いかん、今日もずっと書かねば。明日からまたまとまった時間はない。腰が痛いなあ。この前の長時間新幹線で悪くした感じがする。昨日も座りっぱなしだったし。鳥たちは元気らしい。とりあえず大きな声で鳴いておられる。なんだかまだ寒くないのがありがたいね。ここ数日暑いくらいだったけど寒いと身体がこっちこちになってしまう。手はもうしわしわ。あんなジメジメしてたのにもう乾燥。痛くなる前にクリーム塗りましょう。コロナ禍で肌荒れた人も多かったよね。消毒液で荒れてクリーム塗ってなんてなんか変だし。うちのピヨ(Hansaのひよこ)が倒れてるから首をPCの縁に乗っけた。deleteキーが打ちにくい。どかせばいいのだがなんかかわいい。君も何かおしゃべりしたらいいのに。私が一方的にしゃべっちゃうでしょ。まあいいか。というかあなたは喋らないもんね。表情で相手してくれてるんだもんね。いいこひよこ。かわいこひよこ。ありがとさん。

昨日は「あ、これって結局こういうことじゃん」となんか発見したような気分で書いていたんだけどもう夜もすごく遅くて「これあとから見たらなんだこれってなって消すやつかもよ」と思い直して見ずに寝た。今見るのも怖くてYouTube見ちゃってる。この前も「これって結局意識、前意識、無意識の言い換えじゃん」と発見した気分で寝てあとから見たら「どうしてそう思ったんだろう・・・」ってなって消したばかり。結局睡眠が大事ということか。とりあえず見て見ましょう。あー、怖い。饅頭怖い。お茶が怖いよー、ということでまたお茶いれてこよう。

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精神分析

11月4日朝

すごく鋭い鳥の声。昨晩、山手線で大きな声で話していたオタクらしき3人の会話を思い出した。あまりに大きな声なのでクワイエットモードで音楽の音量を上げたがそれでも耳に入り込んできた。相手に言われたことを「それは違う」と自分の見方を主張する仕方に攻撃性は感じず確かな証拠を持ったこだわりといった様子で面白かった。でも周りが見えていないというか実際に立っている位置がたくさんの人が降りようとしているのを塞いでしまっているのに立ち位置を変えることができず慌てた感じで仲間も似たような感じでそれまで見えていなかった世界が急に動き出した感じみたいだった。人って意外とこうなるんだよね。イヤホンとかしてると特にそう感じる。この前、カフェでイヤホンで音楽聴きながら作業してたら周りの人がバラバラと急に立ち上がったのを感じてなんだなんだと振り向いたら怒鳴るように話している人がいてみんな避難したみたいだった。確かにそれまでもその人の声って違和感を持って入ってきてはいたんだけどイヤホンのせいで随分普通サイズになっていたみたい。周りの人たちみたいな切迫感は感じなかった。危機管理的によくないな、と思うのだけど聴きたくなっちゃうねえ。たやすく欲望に負ける。あー。

今朝は熱いお茶をいれたけどもみじ饅頭にしようか、みかんにしておこうか迷う。買ってきたみかんがさっぱりしすぎていてもう少し甘みのあるものが食べたいなあと思ったり。でももみじ饅頭じゃ甘すぎるかなあ、今の私には、と思ったり。絶対あとでもっと甘いもの食べると思うのだけど朝の味覚はわりとうるさい。

昨日、橋本麻里さんのツイートでとても気になる作品を見つけた。「かみ添」さんというところの作品。これは見たいなあと思った。

「かみ添」というのは唐紙老舗「唐長」で修行したのち、独立した新世代の唐紙師・嘉戸浩による屋号とのこと(美術手帖より)。

11月1日からTERRADA ART COMPLEXⅡ BONDED GALLERYで始まった特別展「ひかりの底」で見られるらしい。キュレーターが橋本麻里さん。橋本さんの記事の熱量もすごい。熱量とはいわないのか。私が勝手に受け取るもののずしんとした感じがすごい。2021年に出た『かざる日本』なんて豪華な図録みたいな本だった。宝物をさらに大切にしたくなる記述に溢れてた。

ああ、かみ添さんのこの作品は見たいなあ。ビオンというサミュエル・ベケットの分析をした精神分析家の研究者でベルギーの精神分析家のベルモート先生という人がいるのだけど彼がとりあげた作品はビオンの見方の一例を示すものだった。

Kazimir Malevich, Suprematist Composition: White on Whiteという作品。1918年の作品だからビオンの著作に出てくるのかもしれない。私はベルモート先生から知ったのだけどどうなんだろう。

うーん。時間できたらいいのだけど。自分次第自分次第。あー。

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音楽

11月3日早朝

星がきれいと空を見上げたら月がまだ高いところにいた。

始発で新幹線の止まる駅まで向かう。この時間でもそれなりに人がいる。いつもより荷物が軽い。急ぎの書き物があるがPCiPadももってこなかった。大きいノートは持ってきた。断片は集めてあるから順序を考えよう。

おなかがすいた。大きい荷物を持っている人は連休でどこかいくんだね。私はひと仕事しにという感じ。とにかく書かねば。なのに。まあがんばりましょう。

今私が一番恐れているのはイヤホンの充電がきれること。柳樂光隆のnoteのおかげで私の音楽生活が戻ってきた。ただ書いてあること以上に調べるのは我慢してる。行きたい店もいっぱいあるがそれは普通にいけないので諦められる。でも調べものは隙間時間でできてしまうからまずい。優先順位大事、と他人にいうのだから自分もね、と戒め戒め。

昨日はジョシュア・レッドマン“Where Are We”のアルバムと、アルバムでカヴァーされたり引用されたりしている原曲の両方を聴ける柳樂光隆のプレイリストの両方を聞いていた。ヴォーカルがとてもゆったりしていて気持ちよく眠れてしまいそうだったが寝てはならぬ時間だった。世知辛い世の中じゃのう。

周りに続々と人が集まってくる。この時間でもおしゃべりしてる人たちが元気で羨ましい。私の仕事はそこそこ身体が元気ならできるからよかった。愛想とか忖度とか大変だよね。しなくてもいいものをどうしてしているのかって自分もその循環に巻き込まれてそれを要求する側にもなってるからだよね。人間関係は難しいね。

よく寝てちょうどよく食べて無理せず過ごしましょう。車窓にはまだ暗い朝。今日最初に鳥の声に気づくのはどこになるかなあ。イヤホンしてたら聞こえないから充電きれてもいっか。

どうぞ良い一日をお過ごしください。

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精神分析

11月2日朝

地震だ。昔あれだけ怖かったのに2011年5月以降、何度か東北の被災地へ出向いて余震を経験したからだろうか、正確には被災した子供や親たちと余震を経験したからだろうか、地震が起きると怖いとかいう以前に東北は、と思うようになった。今朝の震源地は千葉らしい。

今朝も社会福祉法人ぎんが工房のかわいいクッキーと大好きな街、神戸の岡本に本店があるモンロワールの葉っぱのチョコ。これも大好き。秋だし。東京でもいろんなところで買えるけど先日神戸の友人がくれた。三宮で働くその人が甲子園の熱気を伝えてくれたときは嬉しかった。昨晩の日本シリーズ第4戦はすごかった。8回裏からしか見ていないが申告敬遠という文字が電光掲示板に出てなんでそのフォントということ以上に作戦に驚いた。満塁策で4番と勝負。大山が最後きれいに打って決めたのも気持ちよかった。みんな激しく喜んでるんだろうな、といろんな阪神ファンの顔を思い浮かべる。私は特にどこファンでもないが周りに阪神ファンが多いので今回は阪神を応援している。中江有里が毎日甲子園に行って応援しているのが面白い。わらし姉妹も一人は毎日来ている。しかもなんで「お帰りなさい」「湯浅」のプラカード準備しているのだ。すごい。あらゆる可能性に備えているのかな。さすがだ。私の身近な兄弟は一人はオリックスファン、一人は阪神ファンなので兄弟対決とか言っていたがオリックスって阪急ブレーブスだったよね。阪急の帽子持ってたって言ってた。私も新しいキャップが欲しい。この前新宿ピットインにあるかなと思ったけど混んでてよくわからなかった。

10月中に色々終わらせる予定のものが終わらなかった。締切伸ばしてもらったけど平日は無理だな。色々割り切ってとりあえずやらねば。学会準備もせねば。あー。そんな今日もグッドミュージックと共にがんばりましょう。みんなは何聴くのかな。聴かないのかな。良い1日になりますように。

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精神分析

工房のクッキー。

やっぱり平日は書き物が全く進まないなあ。忙しい・・・。

さて今朝は米粉のクッキー。ピスタチオ&ココナッツ味。山梨県甲斐市天狗沢の社会福祉法人ぎんが福祉会ぎんが工房というところのお菓子。グルテンフリーだって。作業所なのかな。こういうところのパンとかクッキーとかすごく美味しいのにすごく安かったりする。私が知っているところはそこで売り手をするのも作業の一貫だったけど今回は高尾のお土産やさんで買ってきてくれたもの。かわいいパッケージでおいしい。これはいくらだったのかわからないけど相場の値段で売れていればいいのだけど。相場があるわけではないのかもだけど大抵とても安いから。いろんな作業所があるけど都合のいい解釈がされない場所であってほしいな。近所の作業所の前を通るといつも大きな声で挨拶されて私も挨拶をするのだけどそこはまだ場所が良くて地域にも馴染んでる感じがある。おしゃべり好きなスタッフさんがいらしたのだけどここ数年見かけなくなってしまった。品物を見ると安いなあと切なくなる。障害や病気と一括りにしないでひとりひとりにあった仕事を紹介してくれるような支援センターもあるし、患者さんの話を聞いていると効率的に多職種が連携している地域もあるんだなと知るのだけど多分そんなに多くはないと思う。関わりの難しさはお互い様だから生活に必要なお金を自分で稼ぐ仕組みとかあるいは当たり前のように基盤作りをしてくれる専門家とか増やしていければいいけど。小さい正方形のきれいな二色のクッキー、美味しかった。熱い紅茶といただきました。ごちそうさまでした。

なんか秋になっても爪の伸びが早いわ、と思ったけど時が過ぎるのが早いだけかもしれない。書き物進める前に資料作らないとだ。あー。今日は暑くなるの?体調崩しそうですよね、調整が難しくて。寒さにも暑さにも対応できる重ね着でまいりましょう。

どうぞ良い1日をお過ごしください。