今朝も風がない。昨日も日射しのある時間は暑かった。ほとんど移動しなかったから汗もかかなかった。夜は涼しかった。久しぶりに明るい月を見た。もうひどく暑くなることはないのかな。台風がたくさんきてるという話があったような気がしたけど。沖縄や奄美はいつも本当に大変だな。今調べたら台風18号のため、25日、26日は休園、休校するところも多いみたい。なにごともありませんように。石垣市では沖縄県知事選の選挙掲示板も一時的に撤去したりするみたい。沖縄の選挙はとても重要。無事に行なわれるといいけど。2年前の年末年始かな、沖縄で過ごした。25年ぶりとかだったと思う。2003年にようやく開通した沖縄都市モノレール「ゆいレール」のおかげで前回まわれなかった場所も色々歩けた。ほんの数日の観光ならそれでいいけど、広い沖縄で車を使えない人たちの移動手段が増えたら見えてくるものも変わるし、沖縄の現状や未来を考える機会をもてる人が増えるのではないかな。「ゆいレール」のときも沖縄は車社会だから地元の人は使わないという意見もあったけど実際はそうじゃなかったわけだし。一方、港で生活用品をたくさん船に乗せて帰る人たちと一緒に島に渡ったりすると、その暮らしに根づくリズムの軽やかさにも重みにも心が動く。生活が守られること、それが基本だしすべてなんだと思う。
この数年、特に2022年2月、ロシアがウクライナに全面侵攻を開始した、つまり、戦争が突如として私の目の前に現れたという感覚をもってからずっと心が落ち着かない。ニュースをみたり読んだりしては途中で耐えられなくなってしまうことも増えた。
私はその頃まだ精神分析家になるためのトレーニング中で訓練分析家のところへ通っていたので、なんで、どうして、と混乱した気持ちを話す場も時間もあった。あれから日本も世界もますますおかしくなっている、と書きたくもなるが、大竹裕子が雑誌『世界』(2025年12月号)に「人間とは「共に在る」世界だ」とするアフリカ思想のウブントゥを生きるジェノサイド後のルワンダのことを書いており、世界は広く、涙を流し続けてきた人たちの笑いや言葉や音楽や踊りはよきものへ向かう力を信じなくてはいけないという気持ちにさせられる。
土居健郎が『精神療法と精神分析』の「第2章 治療場面の設定」で場所の条件と時間の条件をあげている。場所の条件に関してはここですでにふれたが、時間の条件について、土居は、治療者が患者にどれほど時間をさくかあらかじめ決めていない場合、患者にとっては今与えられている時間はいつ打ち切られるかわからないし、また再びこのような時間が与えられるという保証もないため、「お時間をおとりしてありがとうございました」と感謝はされてもそこには無意識の非難がかくされていると考えることもできる、と述べる。
「したがって時間のとりきめのない精神療法は、原則として精神療法の体をなしていないといって、過言ではないのである。」p26
土居はここまでのところと同様に
「しかしながらそうはいってもこの場合精神療法的効果が全然怒らないということではない」
と付け加える。土居は「治療者に患者を助けたいという行為が存するかぎり、」自分の時間を与えることで患者が慰められる場合もあるだろうという。なぜなら、人生は時間だからである。
土居は「人生において各自が本当に自分のものといえるものは時間だけである」「また時間は、それを他のものと分かつことができる」という時間の特性をあげ「時間は愛情の問題と密接な関係を持っている」と述べる。
そして「治療者が個人的に患者に与える時間については何のとりきめもないもの」として取り上げられるのがここでも森田療法である。土居は森田療法とずっと対話をしている。
土居はここで場所と時間をわけて考えている。私たちが治療構造、あるいは設定という言葉を使うときはおおむね同じことをしているだろう。しかしこれをわけて説明することは本当に適切なのだろうか、と思うことがある。ベルクソンへの興味もそのような疑問から始まっている気がする。私は最初、ベルクソンってなんでも時間で説明するんだな、空間はどこいった、生じてしまうものとしての空間は時間でどう説明するんだ、と思っていた。でもちょこちょこ読んでいると、ベルクソンこそ時間と空間を分けて考えることを疑った人なのではという気がしてきた。ベルクソンの持続 duréeという概念が空間化される時間という考えにつながるとしても、その拡がり étendueは均質で分割可能な空間とは異なる。異なるリズム、緊張、興奮、これらは時間によって区別される世界の運動にかかわるものであり、空間はその内側で現れたり消失したりしているのだろう。私は今ルワンダの人たちの音楽と踊りを思い浮かべている。彼らの物理的な空間がいかに破壊されようと彼らには彼らの時間と空間があり、それは流れ続け、彼らは存在する。私たちは共に在ることができるだろうか。共に在りたいと思う。
今日は火曜日。良い一日になりますように。

