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精神分析

台風、休日

台風15号が今回は関東にもきた。1951年の統計開始以来、はじめての茨城県上陸だって。「熊本じゃなくこっちにこい!まかせろ!」みたいな感じでいろんなお寺とか神社の名前を出していろんな県の人がSNSにポストしてて、自然災害に対してはいまだ神頼みな連帯であったとしても、できないことをできる・できてるという人たちよりずっと優しく全然無力ではないなと思った。どこであっても被害がでませんように、とやはり願うばかりなのだけど、移動や連絡に困難がある人たちには特に早めの直接的な声かけや手助けがあってほしい。東日本大震災のとき、赤ちゃんや高齢者がいる人たちに向けての友人たちの声かけがとても早くて具体的だったのを思い出す。提供されるべきものが提供されるべき場所へ最優先に届く仕組みを作っていかなければと思うとき、いつも彼らの行動を思い出す。私もアクティブに動いてはいたけど、結局聞き取りをしないと何が必要かもわからないことも多く、できることをしようと思いつつ無力さは感じた。でもそれで無事でいる自分がまいっているわけにもいかないからそういうのは後回にして必要なもの聞いていこうと持ち直した。そしてまた落ち込んだり。そんなことの繰り返しは非常時に限らずかもしれないけど、どの立場の人もなんらかの負担を負うし、なんらかの支えを必要とするということは非常時ほど意識できた方がいいだろうし。大事なのは優先順位ってことになるかな。動ける方もある程度危機的な状況がおさまってきたら、自分の特性とか体調とか考えてお互いが長く支え合えるように休息や栄養をとる時間と場所を確保していかないとだし、常に双方向に支え合う輪が重なり合って広がっていく必要があるんだと思う。

昨日はほぼ籠ってのんびり仕事したり、雨風の様子を見つつちょこちょこ買い物に出たりたくさんつくおきしたりした。何種類かのマグカップも重曹でピカピカにした。そんなことはたいして特別なことではないが休みの日にすると同じことをしていても何か違う。マグカップって最初は「思い出の」みたいなのを使っていても長年経つとそれも増えてきて、お気に入りと思い出の結びつきも緩くなってくる気がする。私のお気に入りは新潮文庫の「yonda?パンダ」が描かれたマグカップと小さいのとすごく大きいのと。思い出のはどこへいったか。

昨日、一日中「眠いなあ」と思いつつもウトウトもせずずっとなにかしていられたのはやっぱり休みの余裕のせいだと思う。今朝もすでに美味しい茄子料理を作った。夏野菜は欠かさない我が家の冷蔵庫。もう秋だけど。秋の食材も楽しみ。好きなもの食べて元気だそう。どうぞ良い一日をお過ごしください。