今日は久しぶりに晴れるらしい@東京。早朝はまだ少し降ってように思ったけどぼんやりした頭で窓を開けて眺めたからそんな気がしたのかもしれない。でもまだ曇っている。
風邪気味かも、と昨日感じた不調はすでに治っているのにごろごろしていたからすでに時間がない。すでにすでに。
ダナ・バークステッドーブリーン『精神分析の仕事』の第9章「時間をかけること、精神分析のテンポ」を女性の精神分析家グループで読んだ。数か月に一度集まるが、その数か月があっという間にすぎる。でも現在はそう簡単に過去にはならない、というか、時間はそんな直線的ではない。ベルクソンもそういっているが、ダナがこの本で展開しているのも精神分析における時間論だ。
ダナは、ベルクソンのいう「持続」ではなく、「こころの状態は即座の反応を差し控え、結果として[時間]の持続を意味する」(邦訳185頁)といった。この「持続」はdurationである。 時計は先に進み、時間は失われていくようにみえる。しかし、分析の仕事は時間を生じさせる。現在をただちに過去に送り出したりしない。なぜなら時間は宙づりに出来るから。フロイトが「平等に漂う注意」といったように。分析の仕事は、現在において過去を思い出させることではない。現在においていまだ過去になっていないものが生じる場をつくることである、というのは私の解釈。むろん、フロイトの場合、宙づりにされるのは直接には「時間」ではなく、何かを選択し、意味づけ、判断してしまう分析家の「注意」だが。
昨晩、読んだ章では、ビオンの「もの思いreverie」のなかに時間性temporalityあるいはテンポtempoを見出しながら、精神分析家がとるべき時間に対する態度が検討されていた。症例も二つあった。temporality は構造寄り、tempo は分析の場で実際に経験される速さ・間・リズムなど具体的な臨床状況寄りなのだろう。抽象的な時間論を、精神分析状況において具体的思考が象徴的思考に変形されるプロセスとともに示す論文だった。ダナはめちゃくちゃ博識だから、ここから展開できそうな種まきもいっぱいしてくれているように思う。
関連してスカルフォン(Dominique Scarfone)のL’impassé, actualité de l’inconscient について書きたいが時間がないのでまた今度。今日は一日、精神分析における時間性について考える機会になりそう。どうぞよい一日をお過ごしください。

