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エディス・ジェイコブソンとニック・ウォール

Early Women Psychoanalysts: History, Biography, and
Contemporary Relevance(Klara Naszkowska編、2024、Routledge)のことはすでに何度か書いた。雑誌の海外文献紹介で、本書をとりあげようと思ったが、あまり時間がなかったので別の本を紹介した。どちらにしても私は、そこにいたのに、語っていたはずなのに、なかったことにされている声、あるいはそうされることへの抵抗を大切に思っているので、紹介した本もフロイトの患者たちの回想録である。掲載されたらSNSでお知らせすると思う。


Early Women Psychoanalysts: History, Biography, and
Contemporary Relevanceについて、また少し書いておく。

編者Klara Naszkowskaが序文で明確にしているように、本書は、14人の初期女性精神分析家の個人的・職業的伝記を再構成するもので、ジェンダー、ユダヤ性、女性教育、政治、移民を反復するテーマとして、彼女たちの人生そのものが、第一次大戦、戦間期の反ユダヤ主義、大恐慌、第二次大戦、ショアによって「影響され、挑戦され、破壊された」事実を記述する。


Ⅳ部構成で、すべて冒頭に Beyond が付いている。「○○の妻」「○○の恋人」「女性分析家」「亡命者」「ホロコースト生存者/犠牲者」といった、カテゴリーによって一人の人生を回収してしまうことへの抵抗だろう。


第Ⅰ部Beyond Wife, Lover, Muse は、SpielreinをJungとの関係、Andreas-SaloméをNietzscheやRilkeとの関係、Beata RankをOtto Rankの妻という位置から解放する。第II部 Beyond Psychoanalyst は、分析家であることだけでなく、フェミニスト、マルクス主義者、社会活動家として読む。第III部 Beyond the Homeland は国民国家や精神分析の中心地から離れて移動を読む。そして第IV部 Beyond the Holocaust は、ホロコーストを忘れるのではなく、その人の人生をホロコーストだけによって語らない。This is not a Holocaust story.なのである。


推薦者たちの言葉にはneglected, marginalized, forgotten, ignored by males, Jewishness, antisemitism, Holocaust, trauma, memory, genderが繰り返し使われているようにみえる。読んでいてクラクラするような出来事が多いのもこれらの単語から想像できるだろう。

昨日は、イディス・ヤコブソン(→ジェイコブソン、(Edith Jacobson))の誕生日だったそうだ。ハルトマンに自己表象という概念を提案したのも彼女だ。エディス(イディスと迷う)はベルリンから戦火をさけてニューヨークにきたが、彼女がナチに逮捕された事件をご存じだろうか。


本書ではPartⅢ Beyond the Homelandの第8章ニック・ウォール(Nic Waal)Speaking in Tonguesの「ニック、アーネスト・ジョーンズ、そしてエディス・ヤコブソンの逮捕」という小見出しのもと、詳しく書かれているので、少し訳しておく。

“1935年、ニックは奨学金を得てイギリスへ渡り、英国精神分析研究所(British Institute for PsychoAnalysis)で働くことになった。到着して間もなく、アーネスト・ジョーンズ(Ernest Jones)から、彼女の友人のエディス・ヤコブソン(Edith Jacobson)が1935年10月24日にドイツでゲシュタポに逮捕されたことを知らされた。ヤコブソンは、フェニケル(Fenichel)の被分析者の一人としてベルリン精神分析協会(the BerlinSociety)に所属しており、ヴィルヘルム・ライヒ(Wilhelm Reich)の親しい友人でもあった。また彼女は、政治グループ「新たな始まり(Neu Beginnen)」の活動に関与しており、それが逮捕の背景にあった。彼女は大逆罪に問われ、拷問や、長期にわたる過酷な投獄に直面することになった。
逮捕から4日後、ヴィルヘルム・ライヒは、この緊急事態についてニックに手紙を書いた。ライヒの説明によれば、ゲシュタポはまず、ヤコブソンの左翼の患者の一人を逮捕していた。その患者はその後、自殺した。また、ライヒは、コペンハーゲンで彼らの双方と親交のあったデンマーク人作家エレン・シアステッド(Ellen Siersted)をベルリンに送り、ヤコブソンが法的な援助を得られるよう手配したこともニックに伝えた。さらにライヒは、イギリスの著名な公人たちのできるだけ多くと連絡を取るよう、ニックに強く求めた。

「私の名前を出して、[Bronistaw| Malinowski, [Henry] Havelock Ellis, [Max] Hodann, [Alexander Sutherland] Neill, [Ber-trand] Russell, Stella Browne, Mrs. Jameson (friend of Trygve Braatoy), and [Julian] Huxley.[ブロニスワフ・]マリノフスキー、[ヘンリー・]ハヴロック・エリス、[マックス・]ホダン、[アレクサンダー・サザーランド・]ニイル、[バートランド・]ラッセル、ステラ・ブラウン、ジェイムソン夫人(トリグヴェ・ブラートイの友人)、そして[ジュリアン・]ハクスリーと連絡を取ってください。[……]
肝心なのは、ゲシュタポがエディスを釈放しないとわかった場合に備えて、すべてを準備しておくことです。そうなれば、私たちは報道機関を通じて介入することができます。ジョーンズとIPAについては触れないでください。エディスを精神分析と結びつけてはなりません。」(Reich, 1935)”

なんと緊迫した事態であることか。精神分析はこういう文化をずっと生きてきた。多くの精神患者・分析家の死亡、亡命。戦時中、精神分析家たちは個人を救うのか、精神分析を救うのか、を考えなくてはならないほどに追い詰められていたこともエディスをめぐる動きからはみえてくる。フロイトは書物を焼かれても生き残り、書物もまた蘇ったが。本書もこうして、ようやく女性分析家たちの体験を立ち上げてくれている。


この章はSpeaking in Tonguesと名付けられているがどういう意味だろう。文字通りには、ニックが複数の言語・文化圏を横断したことと関係しているのだろうか。ニックは、ベルリンで精神分析を学び、ドイツ語圏の分析家たちと関わりをもち、ノルウェーへ戻り、さらにロンドンへ渡ったそうだから。


しかし、英辞郎をみると、speak in tongues は「主にキリスト教に関連して使われる表現。宗教的高揚状態にある人などが異言語を話すこと、または「外国語のようにも聞こえるが明確な意味のない不可思議な音声」を発すること。」とある。したがってこの章題には、「複数の言語を話す」以上に、まさにニックのような、いくつもの声・言語を媒介する人という含みがあるのかもしれない。祈りの意味もあるだろう。


Nic Waal : Speaking in Tongues ニック・ウォール――「異言を語る」とすれば、エディス救出のために奔走した彼女の生涯と重ねることができるだろうか。

本書では、SokolnickaやMorgensternについても、母国語、精神分析を受ける言語、臨床で用いる言語、論文を書く言語が交錯していたので「多言語」より「異言」のほうがしっくりくるか。この前、私は土居の「甘え」を「旅する言葉」と呼んだが移動の「移」を「異」とかけてもいいかもしれない。これは日本語話者の発想だが、精神分析はそうやって生き残ってきた。多くの犠牲を出しながら。

精神分析における戦争体験というとビオンの外傷的な体験が語られることが多い。しかし、女性分析家たちが戦争をどう生きたのかは、それほど語られてこなかった。当時も今も戦争はいたるところで人を殺している。


精神分析において「生き延びる」という言葉を簡単に使わないようにしているが、その言葉でしか表せないような事態も現実としてある。私は、精神分析はマイナーであることが大事なのだと思う。マイナーな言語と出会っていくマイナーな学問であり、文化として、地に足をつけた実践をしていきたい。そんなことも考えさせる一冊である。

東京は今日も雨。疲れが出てきた頃だと思う。私はそんな感じ。また一日なんとか過ごそう。どうぞよろしくお願いします。

紫陽花に絡みついてた。