カテゴリー
精神分析 言葉

SNSの言葉

起きたら空がきれいなピンクに染まっていた。今日は暑くなるらしい。大丈夫なのだろうか、気象。

最近、SNSは、毎朝のブログの紹介をするくらいでほとんど読んでいないけど、みればすぐにそっと閉じたくなって閉じる。人が傷つき、そのことを訴え、そこにまた人が集まって言葉を重ねる。そのなかで、さらに傷つく人がいる。私は分析をうけるなかで「傷ついた」という言葉を使わなくなった。実際の傷に対しては使うけど。

もちろん、公の場所で語られていることだけでは、そこに至るまでになにがあったのかはわからない。声を上げるまでに長い時間がかかったのかもしれないし、公に語ることで初めて伝わることもあるだろう。でもSNSという「公」はどうなんだ。どんな声の人が、どんな字を書く人が、どんな感じでなにを伝えようとしているのかよくわからない空間。

苦痛を訴える言葉にさえ、ささやかな喜びにさえ、事情を知らない人たちの心ないひとことが重ねられていく。下に下に下に。本人がなにを求めているのかもわからないまま、周囲が相手への制裁を求めていくこともある。それは、傷ついた人を支えることになっているのだろうか。

最近は、もう子どもの世話はしない、といった親の投稿もみかける。それは親側のSOSでもあるし、そこに子どものSOSを読み取る人もいる。親を支えようとする言葉が子どもの苦しさを見落とすこともあれば、子どもを案じる言葉が親を追い詰めることもある。どちらのSOSも聞き落としたくないけれど、言葉をかけるだけではどうにもならないこともある。

他者には、その人自身の生活も、気持ちも、限界もある。思うように応えてもらえないこともある。それでも助けを求められること、応えきれない側も別の助けにつなげられること。そういう道が、公に訴えたその先にも必要なのだと思う。私の仕事は、面接室という閉じた空間でそれをひらいていくことなのだろうけど、SNSのような平板な世界に言葉が流れ出すことを行動化というにはちょっと、と思うし。

まあ、今日も平面より空間の言葉と。それにしてもそれにしてもだな。言葉にしたら負担が増しそうだが、どれもこれも〆切までにできあがりますように。やるのはオレだが。

暑さに負けず、というより気温差に気を付けてがんばりましょうね。

美味しいグラノーラ

作成者: aminooffice

臨床心理士/精神分析家