涼しい。薄い上着を羽織る。インフルエンザのワクチンも打ったが油断はできん。
ここは頭使わなくても手だけで書けるものを書く場所だったはず。なのに最近、やや頭を使うことを書いてきてしまった。いざ書いてみると、こりゃ書いとくべきだった、ということばかりではあるが、そもそも私の頭脳がもう少し賢ければこんなところにメモしなくても想起可能な形で記憶できていたのはないだろうか。なんて、自分にない能力のことをいってもしかたないでの、こういうツールに頼ればいいということでもある。
大江健三郎が、自分が年をとって感覚が変わったということをいろいろ書いている。と思って大江の本をパラパラしたら「『言い難き嘆きもて』のための前口上」に、その変化がはっきりと書かれていた。
若い頃には、いま経験し、読み、考えたことを「いまこれを書きつけておかなくても、忘れないだろう」、それどころか「こうしたいちいちをもう一度あらためてやることにすらなるのじゃないか」と思っていたという。ところが老年の入口では、「もう一度あらためてそれをやることはないだろう」と感じるようになる。そして、いま書いておかなければ、その経験や思考があったことすら忘れ、「このいまは、生きなかったと同じになるだろう」と。
そうだった。「あと何回」ではなかった。もう一度あらためてやることがある、という感覚が失われていくのだった。
反復される未来があるうちは、「今」を残さなくてもいい。また読むかもしれない。また考えるかもしれない。またここへ来るかもしれない、と感じる。ところが自分の時間は徐々にそれに追いつけなくなってくる。もう一度はないかもしれない。そうなると、いま経験したことを残すことの意味も変わる。
記憶と老い、それを残すこと。そういうテーマは老年期のものだと思っていたが、私も少しずつそちらへ踏み出しているのは確かである。
メメント・モリ。可能性よりも喪失を想像すること。私が精神分析における時間について書くことが多いのも、そういうことと無関係ではないのだろう。
もっとも、私は、もうこれで最後かもしれない、と思っても、大江健三郎のように残す言葉をもっていない。現代はこんな風に一筆書きみたいに書いたものでも、自分がボタンをクリックさえすればなんとなくの形になってしまう。やばい、と自分で思うこともある。だって、それって、可能性ばかり増やしていくことになりはしないか。可能性が失われる方向の可能性への注意を薄めてはいないだろうか。
昨日取り上げた岩川ありさ『物語とトラウマ――クィア・フェミニズム批評の可能性』(青土社、2022年)は、大江健三郎から強い影響を受けた本でもある。第8章は「組みかわる物語――大江健三郎『美しいアナベル・リイ』論」、続く第9章も「読みなおすこと、回路をつくること――大江健三郎と「憑在論」」である。
岩川が大江から受け取っているもののひとつは、傷ついた経験をただ物語にして回収するのではなく、すでにある物語を組みかえながら、別の語り方、別の未来への回路をつくるという発想だろう。それに関しては、大江のほうがシンプルに「物語」という言葉を使っている印象があるが、岩川を読めば、昨日、書いたように、「物語」の力は多方向に作用することがわかると思う。
岩川は以前から『美しいアナベル・リイ』を、女性たちが自らの経験を語りはじめるまでを描いた小説として読み、トラウマを引き継ぎながら「別の未来の可能性」をたぐり寄せることについて考えてきた。「自分について語ることの困難さは熾烈を極める」と書く岩川を、その困難のなかで支えたのも、大江の文章だったらしい。
そんなこともあってkindleにはいっていた大江を久しぶりに読んでいた。
前にも書いたと思うが、大学生の時、大江健三郎の講演会と息子の光さんのピアノを聴く機会があった。今思えば、私が大学でお世話になった男性の先生方はみんなとても穏やかで優しい人ばかりだった。大江健三郎も静かでユーモアのある人という印象だった。
なぜ、今、急に彼らが重なったのかわからないが、そういう静けさや穏やかさが、男性の別の部分を隠しているわけではない、ということを日々見聞きすることで感じているからであろうか。それとも、光さんが奏でるピアノと、光さんのことを書く大江の文章が何か影響しているのだろうか。わからない。
私が大人になってから読んだ大江の小説、まさに『美しいアナベル・リイ』もそうだし、大江がエッセイなどで子どもについて書く文章も、その「時」を生きる人の姿を静かに、力強く描く。「時」を生きることと、「時」を残すことは、「書く」という営みに集約されるものではないし、私はどちらかというと、「読む」ことで自分の輪郭を確かめているようなところがある気がする。こうやって急にいろんな人のことを思い出したり。
さりげなく、思いがけなく生じるささやかな出来事と今日も。どうぞ良い一日をお過ごしください。

