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山城知佳子『リコーリング(ス)ーシアトリカル・バージョン』へ行ったり。

今朝も夜明けのピンクがみられた。鳥たちの声はまだあまり聞こえてこない、と思ったら聞こえてきた。今朝は、群馬県藤岡市鬼石の和菓子屋「昇月堂」の生どら焼き。いかにも昔ながらという感じのふんわり生地のどら焼き。ハサミで袋を切ろうとしたら、中身にぶつかってしまうくらいにいっぱいにはいっている感じも上下の生地が少しずれてクリームが飛び出してる感じも(これは持ち運びの影響もあると思うけど)とってもいい感じ。甘さも控えめでふわふわおいしかった。おいしそうだったからいいお茶と一緒にいただいた。

週末は池袋の東京芸術劇場へ。2階のプレイハウスで明日までやっている山城知佳子『リコーリング(ス)ーシアトリカル・バージョン』へ行った。池袋西口はなじみがあるし、東京芸術劇場はどの階の劇場も好き。池袋は面白い劇場が多い。小さい劇場が今もあるのかないのかはわからないけれど。

今回は、山城知佳子というだけでなんの前情報もなくいったから三部作であることにも驚いたし、なんとなく演劇と思っていったら全然違ってびっくりした。前情報をあえていれなかったとかではなく、ウェブサイトがみにくくて情報を追う気をなくしたから。もちろん見やすいページもあるし、ツールバーのようなものがあってそこで調整もできる。が、しかし、東京都主催なんだからもうちょっと検索する側任せではない設定にしてほしいよ。ウェルカム体制と称して来場サポートを前面に打ち出しているならアクセシビリティに関しては相当見やすくしたほうがいいのではないか。せっかく手話通訳もついていたし。

舞台は体験型だった。途中入退場自由ということは入口で口頭で知らせてほしかった。中でもなんのインストラクションもない。なんとなく音に合わせてみんなが動き始めたから、それについて動く。そういう体験は、それはそれで構成上の意図なのかもしれないけど、そこまでにすでに大きな音や光にさらされた身体にはきつかったり不安になったりする人も結構いるのではないかと想像した。大体は事前に情報をもっていなくても行けばそれなりにスムーズなものだが。

内容は見るべきものだったし、人間の小さな眼に背負わされたもの、語りにならない場合の音楽やダンスのことなどいろんなことを考えさせられた。だからこそ、こういうネガティブな感じにケイパビリティを発揮させたいわけでもなかろうに、と思ってしまう。

戦争に対しては、私たちは、それをすることではなく、知ることに能動性を発揮しなくてはいけないのはいうまでもない。そうでないと受け身的にまきこまれていく可能性があるから。

中身に集中するためのエネルギーをいつもだったら何も考えなくてもよい部分に割いてしまったのはもったいなかった。こういうのも体験だけど。

はあ、月曜日だ。新しい月の新しい週、いいことあるといいですね。がんばりましょう。

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精神分析

ウォーミングアップ

よく寝た気がする。時間より質。羽根布団を出したのがよかったのかもしれない。暖かいって大事。

東の空がうっすらピンク。月はまだ高い位置に出ている。月が沈むより先に空が明るくなるだろうから、また居場所を見失いそう。

今朝はドリップ珈琲を丁寧に入れた。お湯で薄めてアメリカンに。weak coffeeってやつだね。各地のお菓子を置いている棚のストックがとても少なくなってきた。せっかくおいしい珈琲をいれたからおいしいお菓子が食べたいな、と思ったけど、しっくりくるお菓子がなかった。でも少しつまむものがほしくて、山にもっていく行動食用に買ってあったフルーツ玄米ブランを一袋の半分だした。おいしいお菓子とはだいぶ違うエネルギー補充に重点をおいたものになってしまった。まあ、今日、午前中にがんばっておかないと明日からまた大変だからエネルギー大事。おいしいものはがんばったごほうびにしよう。がんばりがちょっと足りなくても何かと理由つけて食べてしまうと思うけど。今日は午前中、晴れるみたいだから山にいきたかったけどしかたない。

臨床以外の仕事に、頭が本当に切り替わらないので、アンドレ・グリーンの論文を少し再読。馴染みのある世界でウォーミングアップ。まずThe double limit。グリーンの「枠組み構造」の概念を理解するときの必須論文かな。アブストラクトはこんな感じ。

本論文においてグリーンは、境界状態(états limites)についての理論的・臨床的モデルを提示し、それが分析過程の中でどのように機能するかを検討する。理論的水準では、「境界(limit)」という概念が、フロイトのメタサイコロジーにおける局所論的次元を拡張し、かつ複雑化するものとして精緻化される。というのも、この概念は、intra-psychicなものとinter-subjectiveなものとを連関させるからである。
臨床的、実践的水準では、境界概念は、精神分析的枠組み(‟cadre“これは英語圏における setting の概念とは異なる)を定義し、神経症ではない患者との作業におけるその固有性および起こりうるバリエーションを検討するために用いられる。これら二つの概念化の水準は、「二重の境界モデル(double limit model)」において合流し、そこでは境界状態における分析過程の特異な機能・機能不全が例示される。(ここまで)

settingの概念と区別されているのがポイント。内容は読み直さないと何も覚えていないけど、ビオンの「思考する人のいない思考」との関連で書いてあったか?二重の境界のあいだに宙吊りにされた原思考みたいな?このウォーミングアップはあまり効果的じゃないな。グリーンは筋トレでいったらストレッチではなく、重量をあげたスクワットみたいなもんだな。足腰踏ん張って読まねば。寝っ転がって読めるものでウォーミングアップしたいけどそのまま二度寝するに違いないし。とりあえず夏の間使っていたお布団は干したし、本格的に一日をはじめるとしよう。

良い日曜日になりますように。

いつかのおいしい朝ごはん