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精神分析

精神分析における言葉とは、とか。

夜明けのピンクがとてもきれいだった。この時期は雲のまとまりかたがほかの季節とは違って夜明けごとに新鮮。風の音がすごいのにはびっくり。窓を開けたらそうでもなかったけど今日は時折突風が吹くのかしら。

今朝は、大阪の青木松風庵のみるく饅頭「月化粧」。大阪ではいろんなお菓子を買ったけど、これはどんな場所にでももっていける定番お土産という感じ。「伊右衛門」の抹茶を使用した、抹茶味もあり。私は白いほうが好きかな。いつもなにかとみるく餡のお菓子を喜ぶ子がこれは抹茶味のほうが好き、といっていて二種類買ってきてよかったと思った。大阪は見るだけで面白いお菓子が多くて楽しい。


『サンドウィッチマン&芦田愛菜の博士ちゃん』のサンドウィッチマン現地リポート、負の世界遺産アウシュビッツをみてから、自分でも色々調べてみたけど、ホロコーストに関しては何度学んでも衝撃を受けるばかり。大学のとき、ゼミでお茶の水に『SHOAH ショア』をみにいったのも貴重な体験だった。そのすぐそばに高校時代に一番仲のよかった友達が通っていたデザイン専門学校があった。ひとつの民族の絶滅を考えるというのはどのような状態か。ひとりの人の死を願う、ということはそれなりに多くの人が経験しているだろう、瞬間的に願うだけであれば。ひとりの人に願うのであれば、それが一つの民族、一つの国、という発想になるのも不思議はないだろう、という人もいるかもしれない。それがどれほど恐ろしい発想であるかにも気づかず。個人と集団をたやすく同一視する人は多い。あのうちの子は、あの人の弟子は、あの学校は、あの学会は、あの船に乗った人は、あの時期にあそこにいた人は。

コロナ禍もそうだった。自分だっていつ感染するかわからない状況にともに怯えるのではなく、犯人捜しに精を出す。大体、感染するかどうかを本人がコントロールできるかのような発想が怖い。私たちは自戒といいながらなにかを告発したりもする。自戒であれば自分だけにとどめておけばいいものを。私もそうだけど、といいつつ、私は違う、とあらわせるのが言葉だ。

精神分析はそういう言葉の作用を敏感に活用してきた。なぜ今それをそのような文法でいうのか、というのは意味内容以前のことである。またその言い方、とうんざりしたとしても、その意味内容如何によって、という場合もあるので傾聴したほうがいいにはいいが、うんざりさせるような言い方を繰り返すことの効果について考えたほうが、このやりとりで私とあなたはどこへ向かっているのか、ということを考えやすいかもしれない。精神分析がひたすら言葉に関心を向けて、そのやりとりを研究対象にして蓄積したことは結構大事。私にとっては一番大事。だからそこのプレイヤーになった。医学がどんなに進歩してもいまだに治せない症状や病気はたくさんある。これからもずっとそうだろう。もちろん自分の方からロボットみたいに「もの」化していけばトラブルは少なく長生きだってできるかもしれない。でもそれってほんとに生きているの、という声を無視できればそこそこ快適かもしれない。でもそれって本当に快適なの?それで本当に満足?とかちょいちょい問いかけてくるのが精神分析の言葉だ。そういうのをいつ、誰に、どんなふうに言う、あるいは言わない、ということを精神分析状況と併せて検討している、地道で、生活そのものが対象になる学問であり、治療である。と私は思ってやっているんだな。


昨日もなにも進まなかったが今日こそ。と毎日言いながらだが、〆切までには絶対。良い一日になりますように。

早咲き?

作成者: aminooffice

臨床心理士/精神分析家