フロイトが神経学者から精神分析家という臨床家へ変化を遂げた初期の論文を読んだ。1894年「防衛ー神経精神症」の2年後に出された「防衛ー神経精神症再論」。パリでシャルコーのもとヒステリー患者を目の当たりにしたフロイトはブロイアーと彼らとの臨床に取り組み1893年「ヒステリー現象の心的機制について」を「暫定報告」とした後、これらの論文を挟んで1895年「ヒステリー研究」を出した。岩波書店から出ている『フロイト全集』1、2、3にこれらは入っている。初期だってこと。
患者とのやりとりから自由連想という設定の潜在性に気づき「防衛(抑圧)」を発見しヒステリー症状、恐怖症、強迫神経症の由来となる機制を明らかにした「防衛ー神経精神症」と「再論」は1915年に一気に書かれた『メタサイコロジー論』(十川幸司訳、講談社学術文庫)で一旦の仕上がりをみる。一旦というのは今回読んだ「再論」も1924年まで加筆修正が加えられるなどフロイトの考えは、特に初期は臨床によって常に揺らぎ行きつ戻りつを繰り返しているからである。初期に用語としてはすでに出揃ったような精神分析の主要概念も揺らぎ続ける。昨晩読んだ論文においてフロイトは性的外傷体験を軸に一旦神経症の性的病因論を確立したかのようにみえたがその2年後には「僕は自分の神経症学を信じていません」とフリースに書き送っている。幼児性欲と心的現実が問題系として視野に入ってきたのだ。このあたりから現在に至るまで精神分析における性の扱いには様々な目が向けられてきたがフロイト自身も患者との臨床において迷い続けた。私たちのように精神分析を実践する、あるいは志している者はこの初期に生じた概念の変遷において何が変わり何が引き継がれたのかを正確に追う必要がある。性は外的な現実であれ心的な現実であれ外傷体験とともにあると捉え、それがどのように抑圧されその人固有の体験を形作ってきたのかを患者の自由連想における言葉とそれを誤読させる転移関係によって細やかに読みとっていくこと、それには理論を正確に理解することが必要なのだ。だからフロイトを精読する。
精神分析は学ぶのも体験するのもしんどい。しかしその人固有の言葉(リズムやペースを含む)を守ることが最大限重要であることを否定する人はいないだろう。私たちは日々それを守る闘いを続けているのではないだろうか、今だとSNSで。言葉のみを使用し、患者自身がそれを使うことを最優先とする精神分析は心理療法のような解決志向ではないが、他者に流されるまま自分を少しずつ失い、声をあげても自分の声ではないような気がする、という事態において固有の声を聞き直す方法として大切な役割を果たせると思う。こう書くとそんなの当たり前じゃん、身近な人とやればいいではないかという声も聞こえてきそうだが、それができている人にとってはもちろんそうだと思う。でもそうでない人が多いからこんな風にSNSが使われる時代になっているのではないだろうか。目の前の個人を信用して一緒にいることの困難は誰かに特別なものではなく誰だってそうだろうと私は思うがどうだろう。
とりあえず時間。それぞれにそれぞれできることをしながらまた考えよう。そうこうしているうちに考えも変わるかもしれないし。慌てて言葉にすることで自分の考えを外側からしばったり固めたりしないようにしよう、私はすぐ慌てるから、と意識しても失敗するかもだけどそのときはそのとき。何度でも少しずつやり直しの機会がほしいです。。。