すごい音。静かだなと思って台所の小さな窓をあけたら本当に静かだった。その5分後にはこれだ。すごい。時折うねりをあげる風に翻弄されながら大量の雨が窓に壁に屋根に行き先などどうでもいいとばかりに打ちつける。カーテンを少し開けて南側の大きな窓を覗いたら水滴がいっぱい。いつもはベランダを覆う幅広いひさしに守られてこんな風にならないのに。上から下へ落ちるだけの雨だったなら。水滴でその先は見えないが向いの屋根はプールみたいになっているかも。そしてまた虫の声。彼らをこんなに慌ただしく感じることもない。被害が広がらないことを祈るばかり。
昨晩はエリザベス女王の国葬でしたね。私は写真と流れてくる動画だけみた。今朝、会ったこともない人の喪失感は悲しみといえるかという記事を読んだ。まず悲しんでからでよくない?知的な作業にするのはモーニングワークを妨げると思うよ、と思ったけどメディアとはそういうもの。そこに有名人との一方通行の関係をparasocialな関係というとあった。1956年にHorton & Wohlが発表した用語で、テレビなどのマスメディアの普及によって個人と有名人の間にみられるようになった関係のこと。今でいえばSNSでのインフルエンサーと消費者との関係など。まだよくない?という思いが先走ったせいかそんなに興味を持てない記事だった。IPAがツイートしていたから読んだのだけど。
私はSNSを不特定多数の人に気楽に開くような使い方もしないし、自分にフィットするような言葉を反射的にRTしたりもしないのんびり使用なので、いくらそれがごもっともでも目の前で突然それやられたら嫌でしょう、という対立がRTなどで流れてくるとうんざりしてしまう。誰が誰に反応してそういうことするかもわかりやすいからこういうのは本当にパターンだなと思う。自分の言葉で書くより乗っかった方が楽なのかもしれないけど私は書くなら自分の言葉で書くかな。そのほうが不用意に誰かを傷つけることもしないで済むと思うし。まあある程度のインフルエンサーはその辺を割り切ってるからそこそこのインフルエンサーになるのかもしれない。もっとすごいインフルエンサーはもっと気をつけながらあるいはもっと偏った形で発信するからすごくなっていくのだろうし。知らないけど。
そういえばparasocial relationshipをマーケティングの文脈で書いている論文があったけどそれはちょっと面白かった。上手に使える人は使えるのだろうねえ。
私も自分の言葉で書けないことはRTさせてもらうことがある。昨日は國分功一郎さんの「国葬を考える」のシンポジウム、酒井泰斗さんの非専門家としてのふるまい方、立木康介さんが出るラカン関連のセミナー情報、藤岡みなみさんのとってもほっこりする動画とかをRTした。私にはとても言語化できないけどほんとそうだなあと思うことが攻撃的ではない形で書かれているツイートとか大体知っている範囲のみんなに届けたい情報とか関係性を優しく捉えた文章や動画は共有したくなる。普段の関係性ってそんな思いやりに溢れてなくても結構共感的だったりおかしかったりしてそんなに攻撃的じゃないと思うんだけどSNSってなんかそういうところが奇妙。昨日はのんびりできたので平和&素敵ツイート探しができて楽しかった。Likesにもためた。やることはたまったまま。まあ今日から今日から明日から。とならないように雨ニモマケズ風ニモマケズとりあえず仕事に無事にいくところからね。いけるのかな。無理せず台風情報チェックしながら動きましょう。
どうぞお気をつけてお過ごしくださいね。