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精神分析

ヒトガタ

狭い街だ。大きな街と思われているだろうけどこの街に来る人の行動範囲なんて限られている。知り合いを見かけることもしばしばだ。声をかけられる状況とそうでない状況があるが。もし鉢合わせたくないときはスッと入れるビルが立ち並んでいるので安心だ。全くの作り話なんだけどこの前、昔の彼が前の彼女とこっちへ向かってきたからスッと横のビルに入った。その彼と付き合っていた頃に通ってた英会話学校があったビルなのだけど今そこは楽器屋になっていた。何か動いた気がして暗がりに目を凝らすとヒトガタみたいのが壁にペタって張り付いてた。「どうしたの?」と聞いてみるとそいつもちょっと気まずい状況から逃れてそこに張り付いたという。正確には張り付いていたわけじゃないけど実際ほぼ張り付いているようなものだった。そういえば「都市伝説なんだけどさ」と彼から聞いたことがある。「このあたりにすごく薄っぺらい人がいてさ、なんか苦労人らしくてそれ語らせるとすっごく面白いんだって。で、客が吹き出すじゃん。そうすると乗り出して喋ってたその人が飛ばされちゃって話も終わっちゃうんだって」「最後まで聞けた人いるの?」「それがさ、いないんだよ」「えー、むしろそれがおもしろい」とか無邪気に笑っていた頃が懐かしい、と顔をあげるとヒトガタ人がじっとこっちを見てた。顔がないから見てるのかわからないのだけど。「なに?」「いえ、ちょっとニヤニヤしてたから」ニヤニヤはしてないよ。なにこのヒトガタ。ていうかどこから声が出てるの?「ねえ」「はい」「あなたってすぐに吹き飛ばされちゃうから地下道に住みはじめたんだよね」ヒトガタが頷く。「どこぞの田舎から出てきたんだけど最初から薄っぺらいのか都会で暮らすうちにこんなになったのか誰も知らないんだよね」コクリ、というかパラリ?「この街はいろんなスピードが早いから」とヒトガタが急にカッコつけたようなことをいったのでパシんとしようと手を上げたらその風でヒトガタがふわっと浮き上がった。片手でキャッチ。フリスビーより薄く軽い。「大丈夫?」「はい」「ごめんね」「はい」「いつからそんな薄っぺらいの?」「自分でもわかりません」「そうなんだ」私は当時と比べると厚みが増した。服のサイズは変わってないけど。ここはお金のかからないデートコースのひとつだった。多分何か意味がある形に積み上げられたレンガに座ってコンビニ弁当やアイスを食べたり噴水が上がるたびにキスしたりした。頭のいい彼は頭の良さそうな話ばかりしていたけれど私にはひどく退屈で噴水の飛沫の数を数えようと目を凝らし積み重なるレンガであみだくじを試みた。そんな二人に同時に芽生えつつあった言葉が「薄っぺらい」だった。一年ほど経ってお互いバイト先にちょっと気になる人が現れそれを報告しあったりしていたのだけどそんなはなししたくも聞きたくもなかったのだろう。「おまえってさ」「なに」「ほんと薄っぺらい男が好きだよな」「そうかな」「だってさ」と彼がまた頭の良さそうな言葉で私の目の前を埋めはじめた。うんざりだ。ホントにもううんざりだ。私は目の前をかき分けるようにして思いっきり立ち上がった。背の高い彼は座高も高く階段の二段下に座っていた私は立ち上がっても彼とそんなに目線が変わらなかった。彼のまんまるい目をみながら彼を圧倒した気分でいた自分の大したことなさに戸惑った。それでも一気にまくしたてた。自分でも支離滅裂なことを言っているなと思いながら。そして「お前が薄っぺらいんだよ」と吐き捨てた。上に行ったらいいのか下に行ったらいいのかわからなかった。とりあえず彼から見えない場所まで走りに走った。しばらく暗がりでハアハアして背中で壁をズリズリ落ちながら膝を抱え込んだ。泣いた。嘘泣きみたいな顔しかできなくなった頃、バッグがないことに気づいた。外は暗がりより暗くなっていた。彼はいなかった。バッグもなかった。コンビニへ行った。「ああ!」とネパールからきた店員さんが持ってきてくれた。彼はなにがあったかなんて全く気にしていない様子でいつものにこやかな笑顔で「バッグなくしちゃだめよ」と送り出してくれた。なんかのフェアのアイスもくれた。あれは秋だったんじゃないか。蝉のかけらが地下道まで運ばれてきていた気がする。「アイス」とヒトガタがつぶやいた。「アイス知ってる?」「そりゃ知ってますよ。何年ここにいると思ってるんですか」「だって覚えてないんでしょ」「このコンビニができた頃にはもういたんですよ。だから私の方がベテランです」なんの競争だよ、と思いながらヒトガタとコンビニへ行った。別の外国人の店員がヒトガタに手を振って私にも笑顔を向けた。ヒトガタが何をしたのかわからないけどすぐにアイスが出てきた。「え?いいんですか?」「いいのいいの」店員さんはあの時の店員さんみたいな笑顔でアイスを手渡し送り出してくれた。「ねえ」「なんですか?」「食べる?」「どうやって?」「そうか」アイスは硬かった。もう涙なんか出てこないけどあの頃の私はほんと薄っぺらで頭でっかちで彼とおんなじだった。一緒に食べたいろんなものが美味しかった。コンビニ弁当もアイスも制覇したと思ってた。

「ねえ」

あれ?いない。ふと空の方を見上げる。地下道には珍しい風が吹いた。「台風が来るんだって」そばのカップルがスマホをみながら話していた。

作成者: aminooffice

臨床心理士/精神分析家候補生