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精神分析、本

ぼんやり。ハンナ先生の講義関連も少し。

道路が雨に濡れている気がした。音で。南側の大きな窓から空をみようと思ったのにお湯を沸かして戻ってきてしまった。こういうことはすぐに忘れてしまうのだから耐え難いやりとりも早く忘れてほしい。iphoneで天気をみた。☀️マーク。お湯沸いたかな。コーヒー。今朝はお菓子が豊富にあるけどどうしようかな。ここ数日果物を切らしてしまっている。何がほしかったのか帰ってきてから気づくのだ。ぼんやりしすぎている。悲しい。

あーメモ帳をばら撒いてしまった。どうせ見返さないのだから捨てておけばよかった。拾うときに見返すか。そのために落ちたのか。

先日、英国精神分析協会 Fellow、Brent Centre for young peopleのMs. Hannah Solemani先生のレクチャーを受けた。ハイブリッドで現地参加は二人だけだったので直接お話できた。Brentセンターは個人がチャリティーによって立ち上げたのに今は政府の助成金も受けながら無料で子どもの心理療法を行ったり、セラピストを学校に派遣したりしているらしい。ロンドン北西部という比較的貧しい地域の子どもたちのために立ち上げたといっていた気がする。どうやってそういう良い循環を作り出しのだろう。

Hannah先生は素敵な人でhusbandといらしていた。海外からこられる先生はパートナーが同席していることが多い。専門が異なるのにじっと話を聞いている。今回はBrent Centreについての補足をHannah先生にそっとメモで渡しgood pointというようなことを言われていた。とても静かでスマートな佇まいだった。

以前、同性愛者の精神分析についてどこの国からか忘れてしまったが分析家の先生がいらしたときにその原稿の翻訳を担当したことがあった。論文を読んでいるときには特に何も思わなかったが当日先生がパートナーである同性の方と親密そうに話しているのをみて論文の重みは増した。精神分析は性、つまりカップルについて考えることなので当然か。

内容は思春期の精神分析についてだった。久しぶりにこの領域の知見に触れた気がした。私も思春期の患者と長く仕事をしているが改めて学ぶとこの時期の特殊さに驚かされる。投影同一化のバリエーションについて意見した。忘れずに考え続けられたらいいと思う。

と書いてみたが頭がひどくぼんやりしている。そういえばさっき洗濯が終わった音楽が聞こえたかもしれない。今日もみたくないものをみては差し込まれるような痛みにじっと耐えながら過ごすのだろう。もちろんそんなことばかりでもないだろう。

みなさんもどうぞご無事で。昨日は立冬でしたよ。暖かくしてお過ごしくださいね。

ちなみにハンナ先生おすすめの本はこちら。

Inside Lives 

Psychoanalysis and the Growth of the Personality

By Margot Waddell

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うそもほんとも。

作り話

全部作り話なんだけど、と本当に作り話をした。そのつもりが全部本当のことと受け取られていた。自分でもそんな気がしてきた。「それ言ったのあなたじゃないですよ。」と会話を再現してくれた。会話分析っていうの?そういうのもしてくれた。「受け手はここで意図的にずらしているか混乱してずれているんです。」でももうそんなのはどうでもよかった。言ったのは絶対私なんだ。そのつもりがなくてもその人がそういうのだからそうなんだ。

こういう余計なことしたがるのは絶対あいつだろうと確かめたらやっぱりそうで驚いた。ほんとにいつも期待を裏切らない。ほんとにほんとに人の気持ちはわからないのに期待に応える力は抜群。身体さえ丈夫なら(これまで怪我や病気はしたことがないそう)このままうまくやっていける。定点観測の場合。それでいい。こっちの人たちにとってはひどくうんざりで鬱々させられるけどそういうのは確かにありだ。大ありだ。もう若くもない。賢い人が賢く生きることにこちらが耐えねばならない。変わるべきはこちらだ。

これはあれだな、カーリングの戦い方だ。と一瞬思ったけどカーリングのことよくわかっていなかった。一石を投じる。勝敗の行方を大きく左右する一石を。というか私は戦ってなどいなかった。勝手に戦闘体勢になって巻き込むのやめてほしい。私が馬鹿で私がとんでもない意地悪で私の言葉はいつもおかしくてあなたを怒らせて当然なのでしょう。最初から愛情と勘違いしてどうにかこうにか一緒に、と願ったところから間違っていたのでしょう。

こちらがどんなに苦しかろうと眠れなかろうと涙が枯れてしまおうとその人には関係ない。責任を取るようなポジションにもいない。育てている人もいない。関わる側にとってもいいとこどりをしやすい。傷つきは相手におまかせして上手に賢く生きている。そんな人でも(だから?)親密な関係を築くことは難しい、ということを人間関係に苦しむ人たちは知ってもいいかもしれない。あなたのように切実に個人との関係を求めなくてもそっちより世界といって活躍できる人たちもいることを。この場合、世界から都合の悪い個人は引き算されているかもしれないけど。そうなりたいんですか?なりたくないです。というやりとりになるかもしれないけど。あり方は自由。関わればいろんなことが起きるだけ。元気が出たり死にたくなったりいろんな風になってしまうだけ。

全部作り話。出来事はそのための道具。そんなことを思いながら時々泣くような夜。(公開し忘れたので朝)。