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精神分析

震災とか精神分析の言葉とか。

昨日1月17日は「阪神・淡路大震災」から29年が過ぎた日だった。朝からいろいろなことを思い出しつつ言葉にしなかった。場所は遠かったが友人が多かった。その後、何度か訪れている神戸で感じたこととか中井久夫先生はなぜこうも神格化されたかなども考えた。精神分析の文献しかわからないが中井先生の訳語は特殊だ。精神分析実践をしている人にはピンとこないという話は内輪ではされるが結局その訳語が受け継がれてしまう。言葉というのはなんと権威に弱いものか。というかどうして人は誰かに力を与えてしまうのか。本人が欲しようが欲すまいが。震災のとき、中井久夫と連絡を取り合った精神分析家の土居健郎は近い感じがする。私が土居健郎に近い人たちから臨床を学んできたせいもある。というか近ければ近いほどその人自身の何かを引き継ぐというよりその人が大切にしてきた歴史を見直すことになりそれは結局日常言語とは何かということを考えるということにつながっていくのではないだろうか。「甘え」という言葉は誰にでも通じるゆえに辞書にものり、外国でも何度も検討される言葉になった。そうだ、日常言語で思い出した。ウィニコットフォーラムの発表を原稿にせねば。ウィトゲンシュタインのことをもっと明確に盛り込まねばならない。毎日友達に支えられなかなか取り組めない雑務も少しずつやっているが全然追いついていない。書くことは好きだからなんとかやろう。翻訳もまたやりたくなってきた。辞書を訳してこれは超重要な作業だと思った。知ってはいたがこういう実感を持ったのは私が精神分析の文化の中にいてそれを受け継いでいこうと決めたからだと思う。精神分析臨床と本の言葉を離れさせてはいけない。ラカンの言葉が臨床と離れて使用されることで精神分析が特定の位置からしか語られなくなった側面があるのは残念なことだがラカンに十分親しみながらも議論と実践のなかでラカンと袂を分かち自分たちの言葉で精神分析を語り直そうとするラカン派以外のフランスの精神分析家たちの本を読んでいると臨床家としてのラカンに逆に親しみが持てる。文化を語り継ぐという先生方がずっと話してきたことにようやく実感が持てるようになってきたのかもしれない。長いトレーニングが必要だったわけだ。今日も能登は寒いだろうか、と書きつつ、阪神・淡路の震災のことも同時に思い浮かべる。当時、当日のことを書いた人たちがSNSに改めてあげていた文章にあった光景も想像する。どうか長く続くトラウマに苦しむ人も見通しのつかない今にどうにか立とうとしている人もご無事で、ご安全に。

作成者: aminooffice

臨床心理士/精神分析家候補生