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精神分析

言葉の体験

若い頃、明治生まれの人の話を聞いたことがあった、と思うのだがあまり覚えていない。大正生まれの人の話は結構聞かせていただいた。100歳を超えた方の話を今もたまに聞くことがあるが大正13年生まれの方が今年100歳か。そろそろそういう機会もなくなってくるのだろう。私もだいぶ歳をとった。20代の頃に患者さんの年齢が高いと少し身構えていた頃が懐かしいが人は何歳になっても心理療法を求めるのだと今は知っている。60代、70代になってもだ。フロイトは精神分析の適応を随分狭く考えていたが彼自身のことを考えれば適応年齢などないだろう。日本精神分析協会は訓練分析家が候補生の訓練分析を委託されるのは75歳までとしているがスーパーヴィジョンはその限りではない。年齢で区切るのはそれが訓練だからであり協会の仕事でなければ自分で決めればいい。私もそうだが定年のない仕事に区切りを入れるのは自分。とはいえ予期せぬ出来事で続けられないことも生じるだろう。子供の頃に被災した30代の方の言葉を読んだ。シンプルな感情表現と感謝の言葉はものすごい力を持って迫ってきた。涙が出た。彼や彼の周りの方の人生が続いていることを本当に良かったと思うし、彼が失ったものを思うと言葉もない。大正生まれの人の話を聞くときにただじっと聞くだけの時間が多くなるのは相手がお年寄りだからではなく彼らの歴史に区切りを入れることが憚られるからかもしれない。彼らは聞いてくれてありがとうと言ってくれる。しかし抱えられるのはこっちだ。こんな歴史を生き延びてきた人たちがいる。それをどこか軽妙に語る。「若い人にはわからないでしょうけど」と言われると実際に若かった頃は複雑な気持ちになった。しかし今はその言葉に彼らの痛みだけでなく気遣いも感じる。だからじっとみみをすます。病院に勤めていた頃、古い建物の狭い部屋ですごく近い距離で患者さんの話を聞いていた。最初は戸惑ったが長く常勤で勤めていらした先生に陪席させていただいたり自分で経験を積むにつれその距離はとても貴重なものとなった。教科書的にいえば全く理想的な空間ではなかっただろう。しかしあるものでどうにかするのも人の自然なあり方だろう。私たちは手を伸ばさなくても触れられるほどの距離で言葉を体験した。予約制ではなく希望制だったのに押し黙ったまま時間を過ごす人もいた。言葉の体験にはそういうものも含まれる。みなさん、どうされているだろう。お元気でいてほしい。私は元気になんとかやっています。今日も無事に過ごせたらいいですね。被災地のみなさんもどうか孤独でありませんように。人に、自分に失望してしまうことのありませんように。

作成者: aminooffice

臨床心理士/精神分析家候補生