急がねばなのにのんびりしてしまった。「しまった」が「島田」になってしまった。島田さんという大先輩がいた。その人のおかげでどんな場所でも果たせる役割があることを学んだ。しかも明るく伸び伸びと。昨晩は読むべき論文の上で佐藤りえさん発行の文芸個人誌『九重』3号を広げたら止まらなくなってしまった。小津夜景さんも書いていた。やっぱりいいなあ。
”のびのびと発想する一番の秘訣は「無責任になること」ですが、人ってなかなかそうはなれない。”
と小津さんが書かれていた。本当にそうですね。
かささぎのこぼす涙をおつまみに 小津夜景『花と夜盗』より
もそういう感じ。4号の今泉康弘さんの作品もいいです。川柳のような雰囲気もあるけど景色が見える。あるはずのない景色まで不思議なく見えるのが不思議。
はあ。素敵な言葉たちと触れるのは幸せ。なんだけどやらねば。つくばのコート・ダジュールのパルメザンチーズサブレも美味しかったからがんばらねば。間に合わないよー。
フランス精神分析の本を読んでいる。ラカンは晩年、フィクションの次元なしに真理は成立しない、という言い方ではなく「嘘つきの真理」という言い方でラカンのいう「現実的なもの」を位置づけた。が、この時点で嘘になりえないものなどないという感じがするのでどっちが外部かという話でもあるか。ともにこぼれ落ちるものを掬い上げるとき分析主体がというより分析状況は「歴史化する・ヒステリー化する」ことを試みてるらしいがこれも「現実的なもの」に形を与えようとする行為なのだろう、か。
とかね、こういうややこしいことを考えてると言葉の美しさが取りこぼされていく感じがするでしょう。私のまとまりのない思考でぐちゃぐちゃ考えるのはそこそこ汚い行為ですよ。嘘も意地悪もいっぱい。言葉以前の世界に言葉に戻ろうとしてるんだから仕方ないけどね。適当なこと書いてないでやろう。ああ、もう少し何か食べたいけどちょっとやってからにしなさい。はい。どうぞ皆さんも良い一日をお過ごしください。