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精神分析

食事とか。

通りかかった駅前の花壇が七夕になっていた。最初なんだかわからなかった。なんだか不思議なオブジェだった。数年前まで毎週代官山に通っていた。駅そばのビルの中に笹の葉があって願い事を吊るすことができた。旅先でいろんな神社に行ってもみんなが元気でありますように、みたいなことしか思わないが、駅前の変なオブジェを七夕と認識したときに思ったのは自分で叶えられそうな願い事はたくさん思い浮かぶけど「平和」とか「みんな元気」とかって普通に難しいなってこと。

星と星を繋げて星座を見出したのは紀元前3000年頃の古代メソポタミアの人たちだという。点と点を繋げてあんなもの見出しちゃうのか、俺は線で繋いでくれてなかったら全然そんなふうに見えないよ、と思うが、当時は星と星はとても近くて雲から形を見出すのと同じくらいたやすく形を見出せのかもしれない。スター発掘みたいに特別な星を見出すのもいいけどひとつひとつの星のつながりを大切にするのは素敵よね、と書いて思い出すドラマ『銀河の一票』。先日最終回を迎えた選挙戦をめぐる群像劇(だったよね?)。三浦透子がここでも素晴らしかった。スズナリでの一人芝居見たかったなあ。当日券が少し出るらしいが時間がない。

先日、ふらふら歩いていたら「ここすごく昔に誰かと行ったよね」というビストロの前を通った。当時もふらふらとおりかかった店だった気がする。昨日はこの店と味について色々考えてしまい楽しかった。なにかが足りない、でもおいしい、そして店内が絶妙に暑い。この感覚も当時のままな気もする。もうあと何軒いろんなお店に行ってあと何回美味しいものというか、食事を楽しむことができるかわからないというほど現実的な制約がまだあるわけではないけど考えてしまうな。行ってみたい場所、食べてみたいものはたくさんたくさんあるけどすぐおなかいっぱいになってしまうのが悔しい。家で作る分には冷蔵庫が偉大な仕事をしてくれるから量の調節はできるけど外だと出してもらったら残すの申し訳ないなと思ってしまうし、でもせっかく美味しくいただいたのにあとからおなかいっぱいすぎて気持ち悪い(そうなりやすい)となるのも辛いしうまくいかないわん。2、3年前に星野太『食客論』を読んだけどああいう哲学の次元で食事について考えるのはいつだって面白い。でも私の素朴な生活においては「孤食」は日常なのだけどたしかに贅沢ではあるんだよねえ。人といるとどうしても食事自体やその空間に集中できなくてそれはそれで素敵な時間なのだけど、優先されるものが変わるものね。

私のオフィスのある初台のお隣の幡ヶ谷駅は小田急線代々木上原にまっすぐつながる商店街があるのだけどそこが本当に素敵なお店がいっぱいなんだよねえ。幡ヶ谷は甲州街道を挟んだ反対側もいいお店がいっぱい。お隣なのに全然いけないけどInstagramでよくチェックしてる。まあ、初台も普段使いしやすい小さな素朴な店が多くて楽しいし、私はこっちの方が馴染むけれど憧れってあるよね。

今朝も食べることばかり考えてしまった。仕事仕事。今日も良い一日になりますように。

ソウルで買ってきたお菓子

作成者: aminooffice

臨床心理士/精神分析家