8月末〆切の仕事がふたつあったがギリギリではなく提出できた。ルーティン以外の仕事は時間のやりくりが難しく、労力を考えると全くお金になる仕事ではないので厳しい面もあるが、ボランティアは大学時代からずっとやってきていることだからその精神でやっている。ボランティアで入った場所で、少しお金をいただくようになって、そこに就職する道もあったけど、いろんなことが重なって私はそっちを選ばなかった。もし、あのまま、重度の自閉症の人たちと過ごす仕事を選んでいたら、今の私はどんな感じだっただろう。彼らと言葉でやりとりができない分、ほかで言葉を尽くす必要は生じたに違いない。具体的な危機管理を常に怠らなかっただろう。コロナの期間はむしろ少し安心したかもしれない。普段から人里離れていたから。当時、私と同年代だった彼らは元気だろうか。仕事としては選ばなかったけれど、今の私にもっとも影響を与えたのは彼らであることは間違いない。だからなにかとこうして話し相手になってもらっている。人は言葉だけでコミュニケーションしているわけではない。
大学時代、週末や長期休みは自閉症の人たちか不登校の子どもたちと泊まりこみで一緒にいた。大きなお鍋で料理をするのも仕事だったが私の役にたたないことこのうえなく、ある程度作ってもらったものをまぜるとかみはるとかそんなことばかりしていた。いい匂いがしてくる。みんながなにもいわず、目も合わさず、そばにべたっと座る。「いい匂いがしてきたね」と私が言う。誰も答えない。私はにこにこ楽しい気持ちでいる。そんな時間を過ごしていた。
みんなー、私はね、精神分析家という資格をとって経験と理論が離れないように試行錯誤する日々です。私が使ってきた言葉はみんなのなかでどんな形になっていたのだろう。精神分析には事後性という言葉があって、言葉ってあとから過去に作用したり、文法的な計算を超えてくるんだっていうことを日々実感してる。一緒に日本語の歌のワンフレーズをなんどもなんども繰り返したりもした。小さな声で。大きな声になるときはとてもつらそうなときもあって、そんなときは反省ばかりだった。責められてもいないのに私が自分を責めるという形でなにかするのも違うと思ってた。
みんなと会わなくなって何年かしてから単科の精神病院に勤めたのだけど、そこは面接時間は特に決まっていなくてお医者さんが「今日はなしてく?」みたいなかんじで希望する方とは大体おはなしできた。予約制ではないからたくさんお待たせしたりもするのだけど何も話さずただ一緒に数分を過ごしたり、絵だけ描いていく方もいたけど、そういうときこそみんなとのことを思いだした。面接しているときに、人で溢れる待合室で大きな声が止まらない人の声を聞きながらいろんな要因を考えたりもした。世界は生きづらい。本当に生きづらい。そんなことも思った。
あれから30年。親御さんたちはどうされていますか。地域の皆さんは?話したいことがたくさんあるよ。不思議。この前の地震、この前の雨、怖くなかったですか。心配は尽きない。みんな元気でありますように。スタッフのみなさんも変わらずいてくださいますように。
