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精神分析

地震

地震、びっくりしました。気持ちも身体も大きな変化ありませんでしょうか。

何月であっても地震がくると11年前の3月11日を思い出します。あの日の地震は神田小川町で体験しました。その日は週一回の専門学校勤務の日でした。もう何階か忘れてしまったけれど高い階にあったカウンセリングルームからエレベーターで下に降りて職員室でみんなといるときに大きな揺れがきました。その日だったか、地震の後、カウンセリングルームのドアをはじめて開けたら、掛け時計が落ちてガラスが飛び散っていました。それまでに被災地の映像をみていたにも関わらず、私は誰もいないその階で鍵を開けドアを開いたときのその光景に最もリアルな衝撃を受けた気がします。

今思うと地震直後は混乱してぼーっとしていたのかもしれません。表面上はみなさんと会話をしたりしていました。大きな揺れの最中に繋がった携帯もすぐに繋がらなくなりました。東北にご実家がある先生もおられました。いつの間にか玄関先のテレビに皆が少しずつ集まりはじめました。その黒いものが海水であると知るまでに時間がかかり、それが一気に大地を覆っていく様子を見つめていました。その日はたしか東京ドームホテルで卒業式があり、懇親会中だったか、終えたあとだったのか、両側に立ち並ぶビルが音を立てて揺れるなか無事に戻っていらした先生方が涙ながらに話すのをみてようやく我に返ったような気がします。

交通機関の復旧も目処がたちそうもないため歩いて帰りました。いつもスニーカーなのにその日はなぜかぺったんことはいえパンプスを履いていました。そして寒かった。神保町に立ち並ぶ古本屋さんの前を人の波にのまれるようにゆっくりと歩くしかなくただ寒かったけれど、途中途中の居酒屋には電気がつき、楽しそうな人の姿が見えて安心しました。新宿駅が真っ暗に封鎖されているのをみたのははじめてでしたがぼんやりと横目でみて通り過ぎただけだった気がします。少しずつ人がばらけ、電話もつながりはじめました。その間にも東北では被害がどんどん広がっていたことは間違いありません。でもやっと家に着いたときの私にはそれを想う余裕はあまりなかったような気がします。

多分こういうことを前にも書きました。地震がくるたびについ書いてしまうのだと思います。

だから後悔しないように、とは思いません。だってそんなことできない、多分。喪失の可能性に対して何をどう準備したりすればいいのか私にはわかりません。ただいずれ喪失は起こる、なんらかの形で、お互いに。その現実を否認しないことも大切でしょう。でも実際の喪失を前にしたら起きてもないことに対する注意など、とも思うのです。

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精神分析

SNS雑感

「神経症は倒錯の陰画である」といったのはフロイトだ。

現代は倒錯を空想においてのみ許すような時代ではなくなった。これまでひそやかな空間でおこなれていた主に性的なひそひそ話は単純な画像と揶揄か自嘲かわからないような短いコメントとともにSNSを流れ、これまた見たくない人にも見える形でコメントやイイネ!がつくようになった。

もちろんそれがすべてどうというわけではない。

ただ、それらの表現が時間をかけて「すべきでなかったこと」「二度とみたくないもの」あるいは「暴力を振るわれたような体験」に代わっていく可能性に対する想像力が乏しすぎるのではないか、と思うことはしばしばある。

そしてそこに一往復だとしても相互作用がある場合、それがいくら条件反射的ですぐ忘れられる類のものであれ、いやむしろそれが条件反射であればあるほど自分が「モノ」として消費されたように感じる人もいるのだ、ということに対する注意力がなさすぎではないか、と感じたりもする。

SNSは表現のプロの場所ではない。誰もが参加している日常生活の延長だ。

私が仕事柄、そのような双方の傷つきに多く触れているせいでそんなことが気になるのだろう、という人もいるかもしれない。それはそうかもしれない。だとしてもそれは「そんなこと」では全くない。

精神分析でいう分裂と否認という防衛機制によってSNS内個人も集団も守られてはいる。でも私たちは画像や書き言葉といった平面を生きているわけでも、そこで年をとっていくわけでもない。分裂や否認という防衛機制は自己を一時的に守っても基本は崩壊を防ぐためであり、ぎりぎりを保ちながら生活をする不安定さを積極的に求める人はそう多くないだろう。

条件反射的な賞賛や批判で膨れたり崩れたりしていく自分を支えるためにさらにみえない他者の評価を気にするような循環にあまりいいことがあるとは思えない。

が、私たちは繰り返す。自己や二者、三者という小さな集団に戻ってアンビバレンスを自分として体験し苦しみたくなどないから。だから自分と他者の境界をあいまいにする努力をしながら「傷つけたのは自分じゃない」と自分にも相手にも言い訳するようにいつも少し刀を外にむけながら毎日を過ごしている。気まずさや後ろめたさがそこに生じているなら未来はまだ明るいかもしれない。あるいはまず身近な人と、と思えるならまだそこはやり直せる場所かもしれない。

私たち専門家は、たとえばSNSで心身を病んでしまった人たちにそこから離れることを勧めるだろう。あるいは限定するだろう。行動の結果に責任をもてないなら体験を減らしたほうが負担も減る。

ひっそりと、どこにもださない自分をもつ重要性。秘め事としての性。それを言葉少なに謳歌する人間の部分。このSNS時代にこそその価値は強調されてもよいのではないだろうか。

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精神分析

こみあげてきたもの

仕事の合間に近くの本を開く。ひとことめで涙がこみあげてきた。「父が死んだ」、というようなことが書いてあった。

朝から胃がいたい。ここは胃ではないか?「おなかがいたい」、断続的とはいえ人生でもっとも長く感じている不調なのではないだろうか。ここ数年はひどい頭痛もしょっちゅうだが、どちらも大きな病気ではないのはありがたいことだ。

どうしてさっき一気にこみあげてくるものがあったのだろう。さっきはわからなかった。でも今こうして書いていると「そりゃそうか」というようなことに思い当たった。

好きな人のことを思ってはそう考えてしまう自分にいらだち、でも相手のせいにしたくてその理由を探せてしまうのも苦しくてつらくてしかたなくなってしまうということは多くの人が経験しているだろう。色々空想しては泣きたくなったり怒りたくなったりしている。でもこれをそのままぶちまけてしまったら嫌われてしまうかもしれない、面倒がられてしまうかもしれない、でも伝えないでがまんして維持する関係なんてお互いを想っていないということではないか。あなたと会わない間に私がこんなに想っていてもあなたはなにもしらない。いや、当たり前だ、言ってないのだから。でも、なのに、あなたは?あなたのこころのなかに私はいる?あなたは私じゃなくてもだれかしらに想われていればそれで保てるかもしれない、でも私は違う、こんなこといったら子供だって思われるのか、こういう気持ちを想像さえしないで楽しそうにふるまって仕事だって成果をあげているあなたみたいな人を大人というの?

など。


なにも起きていないのにその人の言動すべて、そこから空想されるすべてに心と体が支配されてしまう。とする。しかし、突然突き刺してくるような痛みやこみあげてくる悲しみはそのような文脈とはまったく別のものだったりしないだろうか。

あのときだって、あのときだって、と次々思い出される出来事はもはや目の前の人とは異なる人とのものだったりしないだろうか。

私たちは目の前の人にとらわれているようでいてそうでもない。突如襲ってくるソレの出どころはそこではなかったりする。もちろん気持ちが強く鋭く向かうのは目の前の相手だから、そんなことを考える余裕はないかもしれない。精神分析が「過去にさかのぼって原因を求めてる」という誤解をされっぱなしなのもこのあたりのことと関係があるのだろう。

精神分析は「転移」を主戦場とする。戦争の比喩が多いから私も真似しておく。争ってばかりの神話も実際の戦争も精神分析という文化の中心をなす。精神分析は転移という現象によって、過去は今ここの出来事として現れると考える。この時点でさかのぼっていもいないし原因も求めていない。ただそういう出来事が生じるといっている。

転移状況では、治療者には知る由もない彼らの昔からのこころの優勢な部分が治療者を使って立ち上がってくる。治療者の口調や態度、言葉、すべてが契機となり、彼らが守りたい、あるいは変えていきたい彼ら自身のこころの部分を様々な形で刺激する。それが侵襲と受け取られるときもあれば支えとして受け取られるときもある。治療者は、というより、その思考や存在は、少しずつ彼らの時間と心の空間に入り込み重なり合っていく。彼らはそれがなぜこんなに気になるかわからない。痛みや不快さ、でもそれだけでない感覚や気持ちにもやもやする。治療者も患者のこうした揺れを感じ取るがなにが起きているのかわからない。ただこれを転移と知っている。ただ聞き、見えないものをとらえるべく観察し、こころを揺らし、言葉を探す。わけのわからない気持ちがでてくると、たいていの言葉はしっくりこないものとして体験される。それまで治療者に理解されてきたと感じていたものも本当は自分はそんなこと考えていなかった、先生がそういうからそうなのかなと思っただけだ、というかもしれない。

治療者がそれまでとは別の、多くの場合、ネガティブな情緒を引き起こす対象になりはじめる。こんなはずじゃなかった。こんなつもりじゃなかった。どうして自分だけ、なんで私じゃない人ばかり、自分でもどこかでわかっている理不尽な感情が蠢きだしてそれまでは受け入れられていた言葉をはねつけたり追い出したりしはじめる。精神分析プロセスでは必然的に生じる現象だろう。

どうしてわかってくれないのか、どうして伝わらないのか、自分はこんなに一生懸命伝えようとしているのに、こんなに苦しんでいるのに。わかってる。コミュニケーションには齟齬が生じる。人が違うのだから。育ってきた環境が違うのだから。使ってきた言葉が違うのだから。それだって専門家ならわかるでしょう、そういいたくなるときだってある。でも専門家は、少なくとも私は、彼らのそんな気持ちを正確に写し取る魔法はもっていない。というかそれは魔法だと感じてしまう。ただ、私たちの今のこの状態と似たことをあなたはすでに体験してきたのではないか、私のような人に対して、似たような場面で、だったら教えてほしい、気持ちを、言葉で、それが正しいかどうか、他人と比べてどうかななんて関係ない。時間はかかる。でも長い時間をかけてこうなってきたのだから、今と過去が重なり合うこの場所で、あなたが当時気づくことができなかった、言葉にすることなどあまりに遠かったその気持ちを少しずつ共有してほしい、未来というものを想定するのであれば。精神分析がしているのは多分そういう作業だ。

突然こみあげてきたアレ、さっきよりは少しわかる。私は誰かが死ぬということをものすごく具体的に思い浮かべた。時間が突然止まる。もう思い出は作れない。その人抜きのものしか、いや、その人を思い出しながらの思い出なら。「父が死んだ」。作者が衝撃をうけたのか、深い悲しみに打ちひしがれているのか、ようやくという気持ちなのか、それは全くわからない。いや、この本に関しては書いてあるので知っている。淡々と綴られる在りし日の父のこと、その父はもういない。その事実だけが先行し前景をなしているような書き方だった。

まだ胃が痛い、ここは胃じゃないのか、こんな短時間でまた同じ間違いをした。突然こみあげてきたアレは夢を突然中断するようなアレだった気もする。こうしている今も現実だが、それよりもずっと強度の強い、瞬間的な。

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精神分析 精神分析、本

オグデンを読み始めた

昨年、邦訳が待ち望まれていた『精神分析の再発見 ー考えることと夢見ること 学ぶことと忘れること 』(藤山直樹監訳)がようやく出版された。原書名はRediscovering Psychoanalysis ーThinking and Dreaming, Learning and Forgetting。https://kaiin.hanmoto.com/bd/isbn/9784909862211

オグデンのこれまでの著作はRoutledgeのサイトで確認できる。https://www.routledge.com/search?author=Thomas%20H.%20Ogden

『精神分析の再発見』以前に邦訳されたのはおそらく2冊目の著書『こころのマトリックス ー対象関係論との対話』、4冊目『「あいだ」の空間 ー精神分析の第三主体』、5冊目『もの思いと解釈』、6冊目(かな?)『夢見の拓くところ』の4冊だと思う。つまり12の著書のうち5冊が邦訳されたことになる。未邦訳のものも翻訳作業は進行中のようでそう遠くないうちに日本語で読めそうでありがたい。

2021年12月にはThe New Library of Psychoanalysisのシリーズから新刊が出た。このシリーズはクライン派の本はすでに何冊も訳されているが、独立学派のものは昨年邦訳がでたハロルド・スチュワートの著作と、そのスチュワートが書いた『バリント入門』くらいだと思う。オグデンの最新刊はComing to Life in the Consulting Room Toward a New Analytic Sensibility

オグデンは本書でフロイトとクラインに代表される”epistemological psychoanalysis” (having to do with knowing and understanding) からビオンとウィニコットに代表される”ontological psychoanalysis” (having to do with being and becoming)への移行とその間を描写する試みをしているようだ。

この本はこれまでに発表された論文がもとになっているが、私はまずはオグデンがその仕事の初期から行ってきた”creative readings”に注目したい。読むという試みは常に私の関心の中心にある。

オグデンは『精神分析の再発見』においても「第七章 ローワルドを読む―エディプスを着想し直す」(Reading Loewald: Oedipus Reconceived.2006)と「第八章 ハロルド・サールズを読む(Reading Harold Searles.2007)とローワルド、サールズの再読を行っている。

これまで彼が行ってきた精神分析家の論文を再読する試みには

2001 Reading Winnicott.Psychoanal. Q. 70: 299-323.

2002 A new reading of the origins of object-relations theory. Int. J. Psycho-Anal. 83: 767-82.

2004 An introduction to the reading of Bion. Int. J. Psycho-Anal. 85: 285-300.

などがある。

ほかにも詩人フロストの読解などオグデンの”creative readings”、つまり「読む」仕事は精神分析実践において患者の話を聴くことと同義であり、それは夢見ることとつながっている。

オグデンの新刊”Coming to Life in the Consulting Room Toward a New Analytic Sensibility”ではウィニコットの1963、1967年の主要論文2本が取り上げられている。

Chapter 2: The Feeling of Real: On Winnicott’s “Communicating and Not Communicating Leading to a Study of Certain Opposites”

Chapter 4: Destruction Reconceived: On Winnicott’s “The Use of an Object and Relating Through Identifications”

まだ読み始めたばかりのこの本だが、50年以上前に書かれた論文がなお精神分析におけるムーヴメントにとって重要だというオグデンの考えをワクワクしながら読みたいと思う。

オグデンがウィニコットとビオンに十分に親しむ(ウィニコットの言い方でいえばplayする)なかでontological psychoanalysisをhaving to do with being and becomingと位置付け、「大きくなったらなにになりたい?」という問いを”Who (what kind of person) do you want to be now, at this moment, and what kind of person do you aspire to become?”とbeingとbe comingの問いに記述し直し、ウィニコットの”Oh God! May I be alive when I die” (Winnicott, 2016)を引用しているのを読むだけでもうすでに楽しい。

そしてすでにあるオグデンの邦訳が広く読まれ、精神分析がもつ生命力を再発見できたらきっともっと楽しい。

本当ならここでもっとオグデンについて語った方が読書案内になるのかもしれないがここは雑記帳のようなものだからこのあたりで。

そういえば中井久夫『私の日本語雑記」の文庫が出ましたよ。おすすめ!

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精神分析

ミュート

PCでTwitterを使っているときになにかを押してしまったらしかった。「自分をミュートすることはできません」と画面にでてきた(と思う)。「そりゃそうでしょ」と「え、そうなの?」が同時に出てきた。正反対のことを思ったのはどっちも私であるらしく、そう考えると「自分をミュートする」ということを無意識的にはやっているのではないか、という気にもなった。自分で自分を拒む、拒むまで行かなくても制限する。

自分なんて曖昧なものだ。いつも思う。あの人は「本当は」どんな人なんだろう、と悶々とすることはあれど、その問いが自分に向けられればやはり「わからない」となる。似たようなことは昨日も書いた。だって毎日そんなことを考える出来事と出くわすから。むしろそんな出来事を紡ぐのが仕事でもある。

「わたし」でなにかを感じ、なにかを考え、発信したりしたとしても、それが「本当」かどうかなんて怪しいものだ。ただここでこうした曖昧さを感じながらこうしている。
そうこうしているうちに夢をみることもある。

生まれてはじめてみた夢はどんな夢だっただろう。そこに「わたし」はいただろうか。誰かはいただろうか。そこに形なるものはあっただろうか。

一瞬、眠ってしまった。あの場面だ。あのとき、なにかを意識していたわけではないのにこうして夢で見る私はたしかにあのときのわたしの情緒を伴っていた。思い出そうとして思い出せるようななにか印象に残った場面でもなんでもない。だけどこうしてみせられればたしかにその場面を私は経験した。そしてその夢に音声はなかった。わたしは少し振り返り、私より背の高い人になにかを答えていたのだが、わたしがしたのか誰がしたのかミュートだった。

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写真 精神分析

真夜中の銀杏に輝きをみつける。さらに濃く。どうやって?写真に撮ることで。

都心の夜は明るい。今年はイルミネーションが復活し、駅に近づくにつれ、街道沿いは明るさを増していた。

地上にも頭上にも道路が交差し、そびえたつビルは夜通し様々な光を反射しつづけ、暗闇は遠くても夜はずっと向こうまで広がっていた。少し山のほうまでいけばむしろ空のほうを明るく感じるかもしれない。東京は狭い。

私たちはこの狭い世界でどうして惹かれあうのだろう。あるいは憎しみあうのだろう。

同じ景色に足を止める。iphoneで写真を撮る。私のカメラは誰かのカメラほどきれいに光を取り込むことはできない。私の目に映るよりさらに暗くそれらは映る。それでも私は撮り続ける。理由など考えたことはない。こういうところであえて言葉にするなら小さな感動を忘れたくないから、とか?書いたとたんに嘘っぽさがつきまとう表現を陳腐というのだろうか。

小さな関心を向け続ける。何が好き?何が嫌い?
どうして今この写真を撮ったの?

ありふれた質問かもしれない。でもそんなことを訊くことさえ躊躇する。本当のことをいってくれているだろうか。無理していないだろうか。だって私だって自分で答えては嘘っぽいとか言ってるのだから。

「どんな気持ち?」「あなたはどうしたいの?」

精神分析においてこれらの質問に答えることは容易ではない。意識的になにかをいったところでそれは本当だろうか、それは私の言葉だろうか、という問いがすぐに自分自身に向かう。無意識とともにあるというのはそういうことであり、精神分析家を「使うuse」のは、治療状況に複数の人物を置くことで、複数の思考を自分に許容するためだと私は思う。

誰かの写真では光のコントラストがはっきりと現れ、路上の小さな光たちは銀杏にもまとわりつき、深夜でも光の粒がまぶされたような輝きを保っていた。あったかい。優しい。あるいは自分には眩しすぎるという人もいるかもしれない。

「寒い!」とコートの前をしめたが夕方よりも寒さを感じなかった。多くの車や人を包み込んでいるうちに冷気もこの街になじんだのだろうか。

小さなことを感じ続ける。小さな関心を向け続ける。少しずつあなたと出会い、わたしと出会う。たとえそこが暗闇で寒くて寂しくてどうしようもなくても、そこからは見えない光の粒がそこにまぶされている可能性を捨てない。とりあえずこの冬を越せますように(寒がりにはつらすぎる季節!)。

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精神分析

初期不良

取り外しておいておいた自転車のライトが煌々とついていた。なぜ。誰も何もしていないはずなのに。なんで、と思って消そうとしたが消えない。ますますなんで?明るさと点滅で何パターンかに調整できる機能は正常。でもオンオフができない。勝手にオンされているだけでオフができない。よってオンもできない。長押しでできたはずなのに。しかもこれまだそんなに使っていない。

かなり明るいライトなのでついたりきえたりされるのは非常に困る。とりあえずみえないところにしまって仕事をした。

さっき時間ができたのでこれを購入した自転車屋さんへいったらお店の人も「あれ、ほんとだ」と消えないライトをいじり、「初期不良だと思うので」と新しいのに交換してくれた。

一応、購入時の領収書があるかときかれたから「あるかもしれないしないかもしれない」とほんとのことなんだけどえらく曖昧な返事をしてしまった。でもお店の人は落ち着いていた。今度は「購入時期ってわかりますか」ときかれた。「あー、このお店ができてちょっとした頃だったかと」とまたえらく曖昧なことをいてしまった。でも気持ちだけはなんとかできるだけ正確にこたえたいと焦っていた。そんなとき私は思い出した。そういえば私はここに自転車屋さんのことを書いた。慌てて過去にさかのぼる。

あった!「自転車と親子並行面接」という変な取り合わせの記事を書いていた。「2月18日頃!」といってから、ちょっと待てよ、この記事、自転車屋さんにいってからすぐに書いたのか?と思ったけど、忘れっぽい私がさかのぼって書くことは少ないからずれたとしても数日だろう。果たして果たして。あった。あっていた。「鍵と一緒に購入されました?」とPCから戻ってきた店員さんにきかれた。それも一瞬どうだったか、となったがそれはすぐに思い出した。「そうです!」ということでまだ新しい箱に入っているライトをいただいてきた。いい人だ。これは急についたり消えたりしませんように。そして、これを書いておくことでこの購入日も忘れませんように。

それにしてももうあれから8か月にもなるのか。もっと乗ってあげないとかわいそうだ、私の自転車、と思ったのに明るい時間にちょこっと乗るだけでたいして活躍の場を与えていない。持ち主として責任をもたねば。ライトももっと使ってればもっと早くになにか気づいたかもしれないものね。「初期不良」っていわれちゃったけど。なんかすまなかったね、と思ったのでした。

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精神分析

基盤と繋がり

CBTとか精神分析とかなんでも専門的な技法以前に共通してやることとしてマネージメントがあって、それがその後の展開にとって大切、といつも思う。

20年以上、様々な現場で臨床をしてきたが、基本の型みたいなものは身に付いていると思う。それを相手や状況に合わせてどうカスタマイズするか、はこれからもいちいち立ち止まりながら考えることになるだろう。

私の世代の心理士は、特定の技法のトレーニングをするというより分野、領域横断的に勉強してなんとか自分の臨床とそれらを接続してやってきている人が多いと思う。私は今は精神分析のトレーニングをしているけれど、これまでも今もその仲間関係に支えられていることが多い。

昨日もまだ効果研究が積み重ねられていない領域についてCBT専門の知り合いに連絡したらすぐに様々な資料を送ってくれた。そういう分野はたいていまだ英語文献しかないのだけれど自動翻訳でわかる明快な文献も多いので助かる。

こうやって困ったら「教えて」って言える信頼できる相手がいて、自分もいい加減教えてもらったらサクッと勉強するという流れができているのでなんとかなっているのだと思う。

結局いろんな人と繋がりがないと何事も難しい、というか人との繋がりのない臨床実践というのはない。


現在は特定の技法のトレーニングへのアクセスも簡単になっていて、日本語で学べる機会も多くて、それはとてもいいことだと思う。ただ、教える立場が増えてきて感じるのは、最初に書いた「マネージメント」など、思想や思考の仕方の違いがあっても共有されるような基盤がなかなか基盤として置かれにくいということ。

どうしても技法の違いや自分の求めている方向に話が行きがち。なのでまずは、その人がその人のいる場所でいつ何を誰とどのように感じているか、という視点に戻ることをお勧めしている。そして、特定の技法の知識だけではなく、環境面において概ね共有された言葉で説明できる事象のなかでその人がどういう立ち位置にいるか、ということを他者との関係性を含めて描写することも大切と伝える。患者と誰か、そして自分の繋がりや交流のありようを多面体において記述することの大切さは伝えていきたいと思う。


特にこのコロナ禍で私がずっと懸念していることは、症状を含め自分に生じている出来事を繊細に吟味しないと、そこにどうコロナが関わったかという部分が忘れられる可能性があるのではないかということ。私たちは強く心揺さぶられたことでも意外とすぐなかったかのように振る舞える。でも基盤の変化はその後に必ず影響してくると私は思う。特に精神分析は基盤というものを重要視してきたと思う。


コロナ以前とコロナ以降の違い、あるいはその期間に生じた変化がすごいスピードでかき消されるか、大雑把な言葉でひとくくりにされる様子を思い描くのは難しくない。震災について考えるなどすれば。

個人的にはコロナ後の症状や環境側の反応の揺り戻しを警戒している。繋がりがいつどのように切られるかわからない、そういう状況で過度に繋がろうとしたり、逆につながれないことに悩まなくなったり、この期間で徐々に生じた他者に向ける注意の質の変化を感じるから。私はたまたま精神分析を受けている間にこの事態になっているから自分自身の気持ちの揺れ動きにもいちいち注意を払う機会を持てた。

この一年半、意志と記憶に関する本をよく読んだと思う。それは多分私が自分にも生じている変化に対して意識的であろうとする無意識のせいだと思う。

焦っても急がない、先走らない、とりあえず何度も立ち止まる。自分がいる場所はたまたまという偶然の積み重ねでできているとしてもそこをマネージしていくのは自分であり、身近な他者との繋がりがそれを助けてくれる可能性には常にかけていいと思う。

今日も地道に。

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終わりのない仕事

なんだかひどく疲れる。見て見ぬふりをできるものもあればできないものもある。難しいのは見て見ぬふりができるのは最初からしっかり見ていない場合であって、二度見とかしちゃってきちんと目に入れてしまったら見て見ぬふりなどできなくなることだ。見て見ぬふり、というのは他の記憶とまぜこぜにしてなかったことにできる程度にしか見ない、ということではないか。もしそうできない場合は見て見ぬふりは失敗し、むしろしっかり見てみるまで気になってしょうがなくなってしまったりするのではないだろうか。

精神分析の訓練の間はものが書けない、と妙木先生がおっしゃっていた。どこかに書いてもいらしたと思う。これはとてもよくわかる。別に訓練が終わったら書けるかというとそうでもないだろうし、訓練中に書いている人だってもちろんいる。

でもおそらく妙木先生が言っているのはそういうことではない。ものすごく書ける彼でさえそういう状態に陥るのだ。

精神分析は自分の人生を差し出すような試みである。何かを形にする行為ではない。

吉川浩満さんが山本貴光さんとの共著「人文的、あまりに人文的』でロビン・G・コリングウッド『思索への旅ー自伝』を取り上げている。コリングウッドが提唱した「問答倫理学」は、命題や作品に接するときには、「誰それはこれをどんな問題に対する解答にしようとしたのか」と問うような態度のことらしい。

私はいつも通り精神分析という体験と結びつけて考えているわけだが奇遇なことに(?)コリングウッドは哲学をやる以前は考古学をやっていたそうだ。フロイトもまた考古学には強い関心を向けていた。

やっているのは常に問題の再構成だ。そして「問題」とは、精神分析でいえば現在の在り方であり、過去の出来事なのだろう。そしてそれを語るさまざまな症状を持った(人は誰でも症状を持つ)その人の身体と言葉、暫定的な私という存在が「解答」なのだろう。一体、私という暫定的な解答は今のところどんな問題を示しているのか。

もちろん精神分析ではこれは一人の作業ではなく精神分析家との作業として思考される。技法としてはそのはずだ。それをなすべく、精神分析家も一定の訓練を受けており、自分自身も精神分析家との間に自分を差し出した経験を持ち、それがどんな出来事か知っており、解体しそうな患者にそれと気付かせないように抱える腕を持っているはずだ、理論的には。

そしてそれもまた錯覚であり、幻想であることを知らせるのもまた精神分析なのだろう。終わりのない仕事だ、生きている限りは。

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精神分析と絶滅

吉川浩満『増補新版 理不尽な進化ー遺伝子と運のあいだ』(2021,ちくま文庫)を読んでいると「グールドよかったね」と親戚でもなんでもないのに思う。

語られること、読まれることで生き続ける、という意味ではグールドのような登場人物だけでなく、作者も作品もそうかもしれない。当人が願っているかどうかはともかく(むしろ大きなお世話である可能性すらあるがこれはこれで読者の営みなのでご容赦を)。


吉川さんがこの本で最初に登場させるラウプの3つのシナリオでもっとも有力と思われるシナリオ=「理不尽な絶滅」。詳細はぜひ本書をお読みいただきたいが、ここでは例によって「絶滅」から「精神分析」をちょっとだけ考える。自分に引き寄せて読む悪い癖だけど癖はなかなか直らない。

精神分析は語ってくれる人を持ちづらい誰かが自由連想を試み、治療者がそれを受け取ろうとする試みを続ける限りは生き残るだろう、と私は思っている。

精神分析を絶滅危惧種という人もいるし、実際そうなのかもしれない。が、精神分析そのものは特に実体ではないので、絶滅しようもないのでは、とも思う。もとよりそんな大きな集団でもない。

誰かに向けて自分を語る、その行為がなくならない限りはこの営みもまた細々と続いていくのではないだろうか。

それにしても、精神分析がどうというより、誰かに向けて自分を語ること、その場所が保たれること、この状況下ではまずはそれを願うべきかもしれない、とも今思った。

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不確かさと沈黙

ほんと言うだけなら簡単、と私も思われているに違いない。してもいない経験をまるでしたかのようにいうことには相当の注意を払っているつもりだが、経験をするということがどういうことかということも常に問い直される。

ひどく痛むのに「ここだよ」と痕すらみせることができない傷、もはやどこにも起源を見出せない痛み、精神分析は痕跡について特殊な理解を示してきた。一見因果論にみえるかもしれないそれは触れればそうでないとたやすく知ることになる。

これはこうだと決めることはできない。確定した途端にそれが錯覚だったと気づくような不確かさに触れ続ける体験は精神分析に独特のものだろう。どっちにもいけない場所で自分を感じ続けること、精神分析家になる訓練が必然的にもたらすはずのその痛みを十分に生きることであるとしたら「真の」精神分析家などいないのではないか。その懐疑とともにそこにいる以上はともかくも死んではいないということだろう。

饒舌な語り手の前に沈黙し、上書きされ累積する痛みに身を沈めること、判断を保留し、自分に閉じることで開かれること。いずれ、と願うばかりの毎日にもいつか、と思えるようなささやかな出来事が今日もありますように。

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5月4日

今日は5月4日、スターウォーズの日だそうだ。なんで?と思ったらすぐ調べられる時代だけどまあいいか。私は最近吉川浩満『理不尽な進化 遺伝子と運のあいだ 増補新版』(ちくま文庫)の紹介をするのにMay the Force be with youは使ったばかりだ。

さて5月4日、GW。いつもならどこかを旅しているはずだった。旅先での夜は早い。ほとんど店のない土地へ泊まるときは宿の夕食をいただく。その後、散歩に出たとしても真っ暗な道を何時間も歩く気も起きないのでなんとなく別の道を通って戻る。地方局のテレビを流しながら明日の天気を確認したり、一日をぼんやり振り返っているうちに眠ってしまい、空が白み始める頃にはすでに起きてからしばらくが経っている。

早朝から散歩に出るのは旅先での常だ。どの土地へ行っても朝はほとんど誰にも会わない。年末年始以外は。1月1日は朝9時くらいにのんびり初詣に行ったほうが人は少ない。すでに大量の人がそこへきた跡を目にしながらのんびり歩く。

色々な人から故郷の話を聞く。日本の全県を通過しさまざまな土地を旅してきた。話をききながら思い浮かぶ景色もそれなりにある。そのうちに家族の話になる。すると途端に景色が息づく。同じ業種であっても土地が違えば働き方は異なる。同じ父母と呼ばれる誰かから生まれた子供であっても育ち方はまるで違う。その人が語る土地や家族、育ちの歴史、そんな話を聞いているとその人の景色が色づきはじめ、わたしのこころも揺れる。

私が精神分析を信頼できるのは「なんらの一般的な原理や法則にも還元できない歴史的事象の細部にまなざしを注ぎ、些細な生物や忘れ去られた科学者と行った題材をその単独性において描き込んで」きたからだ。これは先述した吉川浩満『理不尽な進化 遺伝子と運のあいだ 増補新版』(ちくま文庫)p372-3にあるトルストイとグールドに対する記述でもある。

彼らについてはこの本を読んでいただくとして、ひとついえるのは、私が信頼するこのあり方は何者かになろうとすれば混乱を引き起こし過ちを犯しやすいということだろう。

「精神分析家」という特異な存在に向けられるまなざしを自分の中に見出すことはたやすい。私は引き裂かれずに生きていくことができるのだろうか。

とはいえ、私たちは生き残るために生きているのではないし、敗北や絶滅という事態が生じたとしてもそれは私たちの生をなんら意味づけない気もする。

May the Force be with you.

私の仕事は彼らのなかに、そして私のなかにあるそれを信頼することなのだろう。精神分析はコロナ禍であってもなくても身体的な接触はもたない。私たちは卵をあたためるようにそれに触れないまま相手を抱え、感じ続け、殻がつつかれればそれを助ける。それぞれのペースやリズムがある。ただその「それぞれ」はどうしても単独では生じえないのだ。あまりに人間的ななにかより自然としての人間の力、あの映画もこの本も私の今もそれについての再考という点でつながっている気がした。

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無力

人との「つながり」がいかに理不尽なものか、私はわりといつもそればかり考えているような気がします。コロナ禍では特にそうです。そのせいか何かと押しつけを嫌います、今は特にかもしれません。もうちょっとゆっくり考えさせてほしいと思うこともしばしばです。自分の押し付けがましさを棚に上げてと言われるかもしれないけれど、少なくとも私は治療者としてはそれに対しては意識的なほうだと思うのです、多分(自分のことは自分ではわからないのでまだ訓練中の立場です)。

ウィニコットという英国生まれの精神分析家がいます。

彼は『情緒発達の精神分析理論』という本で「交流することと交流しないこと」について書きました。

英語だとCommunicating and Not Communicating Leading to a Study of Certain Opposites (1963)

書名はThe Maturational Processes and the Facilitating Environment: Studies in the Theory of Emotional Developmentです。

ウィニコットは英語で読むことが大切だと思っているのでがんばって英語でも読んでいます。

冒頭にはKeatsがBenjamin Baileyに当てた手紙からの引用があります。

Every point of thought is the centre of an intellectual world (Keats)

ウィニコットもたくさん手紙を書く人だったそうです。そしてこの文章は私がこの論文で最も好きな箇所で再び繰り返されます。

I suggest that in health there is a core to the personality that corresponds to the true self of the split personality; I suggest that this core never communicates with the world of perceived objects, and that the individual person knows that it must never be communicated with or be influenced by external reality. This is my main point, the point of thought which is the centre of an intellectual world and of my paper. Although healthy persons communicate and enjoy communicating, the other fact is equally true, that each individual is an isolate, permanently non-communicating, permanently unknown, in fact unfound.

いつも考えていることの大半はこの文章に集約されている気さえします。ウィニコットが何を持って「健康」とするかはともかくいわゆる「普通」と言い換えてもいいかもしれません。

肝心なのはthe other fact以降です。an isolateである私たち(=私)、これを維持することは生きているということの本質をなしているように思います。

コロナ禍において断たれたつながりは私に改めてその理不尽さを知らしめました。コロナというウィルスは誰のせいでもなく広がりました。そしてそれに対する無力に耐えられなかった集団化した思考の行動化によって私たちは無力でいることさえ許可が必要になった気がします。それもまたひどい無力感の現れですが。

偽りの「つながり」や「連帯」がan isolateである私たちを、本来誰からも見つけられることのない不可視であるはずの私たちを剥き出しの状態にしたともいえるでしょう。

今はただこういう抽象的な言い方しかできません。もちろんこれは具体的な体験に裏打ちされている感覚です。しかし精神分析は渦中にあるものがいかに潜在性を帯びているかに驚かされてきたはずであり、その事後的な発露を待ち続けるような学問でもあると思います。

だから私は判断を最大限保留したいと思っています。それは思考や情緒が無駄に波立つことを抑えるためではなく、むしろ逆で、刻々と時は過ぎ、老いていく自分にはその時間を同質に引き延ばすことなどできないと感じながらその無力にとどまることが大切なように感じるからです。

それぞれの「孤立」が守られること、私のそれを私自身が裏切らないこと、不安な毎日が続きますがこの無力を抱え込みながら過ごすこと、まずはそこからと思っています。

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友人が好きな歴史小説を教えてくれた。早速Kindleで買って読み始めた。本に限ったことではないが、その世界全体を見渡そうにもそれは海を眺めるようなもので「ここからみた景色が好き」と連れて行ってくれる友人はありがたい。ありがとう。

一方、ただ海を眺めるときの様々な情緒の揺れや混じり合いは独特でほかの行為では得難く時折とてもそれを欲する。

歴史小説にあまり馴染みがないせいか、まずは登場人物の関係図が頭に出来上がるまでに時間がかかってしまった。まぁこれも歴史小説に限ったことではないが、私の場合。

時代ものと言えばいいのだろうか、私は藤沢周平を敬愛しておりいつも手元に置いている作品がある。以前、ここかどこかでそれについて書いた気がする。

同じ土地に生きていてもそれぞれの日常がある。それはごく当たり前のことだ。

藤沢周平の作品でもモチーフ自体が斬新だったり、いつも何か新しいことが起きるわけではない。どれもこれも小さなまちで寝起きしている男女の日常が描かれているだけ、といわれればそんな気もする。しかし、彼らは生きている。激情を、諦めを、嫉妬を、殺意を、愛しさを。

海が海でしかないように言葉にしてしまえばそれはそれでしかないのかもしれない。それでもそれは「それぞれ」のものでこころ模様ほど多様で複雑なものはない。

藤沢周平の流麗な文章は、めくれたりとじたりする「それぞれ」のこころのひだを私に体験させ沁み渡らせる。

歴史も海も人も全体をみわたそうとすれば途方に暮れる。

精神分析を体験している人はその途方もなさに唖然としたことがあるだろう。自分のこころなのにあまりに・・。

精神分析は、毎日のようにカウチで自由連想をすることを基本原則とした。だから今日、せめて明日、刻々と色合いを変える自分のこころの「今ここ」の描写を、ひとりでは難しいからふたりで、と考えた。

途方もない自分のこころの全体性あるいは潜在性を信じ、自分自身に丁寧に関わることでこんな困難よりは少しはましな生き方をしたい、そう願う人は少数かもしれない。なぜならその営み自体もまた困難を伴うから。

藤沢周平は、自分のこころの動きに押し潰されそうになりながら小さな理解と小さな諦念のもと悲しみと清々しさと共に小さな一歩を踏み出す「普通の」人たちを生き生きと描き出す。

傷つきや困難を伴わない関係性などおそらくないのだろう。

海を見たい。いずれいつかの週末に。少し足を伸ばせばいける場所にあるのだから。

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自転車と親子並行面接

オフィスのそばの自転車屋さんへ行った。学生時代に新宿で買ったマウンテンバイクもどき(マウンテンバイクなのかも)はもはや枠組以外残っていない。長い年月を経て様々な部品を交換しながらも原型を保っているこの自転車がちょっと愛しい。最近、ずっと乗っていなくてごめん。

枠組みは大切だ。

2020年、私が子どもと親御さんの心理療法を行っているクリニックのメンバーで本を編んだ。『こころに寄り添うということ 子どもと家族の成長を支える心理臨床』(金剛出版)という本だ。院長を中心とした日々の試行錯誤を仲間たちとこうして形にできたことは喜びだった。それぞれがそれぞれの技法でそれぞれの患者と実践を積み上げてきた痕跡がそこにあった。

私はそこで親子並行面接を取り上げた。「クリニックにおける心理療法の実際」の「第5章親子並行面接という協働」という論考である。社会人になってはじめて勤めた教育相談室時代からこの枠組みはずっと私の実践にある。多くの親子の「子担当」、あるいは「親担当」になり、私は先輩方と協働していた。慶應心理臨床セミナーに出始め、児童精神科医にスーパーヴィジョンを受け始めたのもその頃だ。まだ「親子並行面接」そのものを問うてはいなかった初期の初期。

その後、20年、実践を重ねるにつれ、この枠組みの意義について疑問を持つことが増えた。教育相談室をやめたあとも親子の心理療法を担当する場は持ち続け、この枠組みとはともにあった。今回論考を書くにあたり、テーマはあっさりと決まった。

昨日もここで、精神分析は、こころのなかに複数の人を住まわせる作業だと書いた。私は、集団をひとつのパーソナリティとみなすと同時に、個人のパーソナリティを複数の自己と対象からなる集団とみなす、というビオンのアイデアを援用し、親子並行面接という枠組みを見直してみた。

親子並行面接はこころの複数性に形を備えたものであり、それぞれが緩やかにつながりを維持することで、子どもと親のこころが安全に重なり合う場として空間的に機能する、というのが私の概ねの主張であり、論考ではそれを事例を用いて示した。

店には美しいフォルムのかっこいい自転車がたくさんあった。私の古ぼけた自転車も当時はそこそこ素敵でたくさん褒めてもらった。スクールカウンセラーをしていた学校の嘱託の先生は自転車乗りで、私の自転車を気に入ってくれてメンテナンスの仕方を色々教えてくれた。一緒に100キロ走ったこともある。若かったな、と今思ったが、彼は当時すでに還暦を過ぎていたわけで、若さの問題ではなさそうだ。

「これとっちゃっていいですか」若い店員さんの声に振り返る。手を黒くして作業してくれている。すでに本体のない台座を彼は指差していた。昔つけたスピードメーター、そのセンサー、最初につけたライト、2番目につけたライトなどなど。台座という痕跡が本体の記憶を蘇らせ、思い出を再生する。こんなに痕跡を残したままだったんだ。少し可笑しくなって笑いながら答えると店員さんもつられて笑った。

タイヤもサドルも当時とは違う。なのに見かけは当時のままだ。だいぶ黒ずんだけど。強固な枠組みは痕跡を抱え、私の年月を抱え、思い出を作ってくれた。私はこの自転車でとてもたくさんの場所を走った。昨日も自転車をとめては降りずに写真を撮った。曇り空の向こうに残る水色の空と夕焼けがきれいだった。

オフィスのある初台は昔住んだ街だ。当時とは街並みも変わった。商店街の名前は当時のままだ。あの頃から乗り続けているんだな。あれから何人の人と出会い、別れてきたのだろう。

これまで出会ってきた親子の多くはもうすでに別れているだろう、物理的には。当時子どもだった彼らはもうすでに子どもではないのだろう。当時すでに親だった彼らはきっといまだに親であり子どもでもあるのだろう。

私は教育相談室時代の仲間と今も緩やかにつながり、コロナ禍においても支えあった。私たちは彼らとの共通の思い出がある。いろんなことがあった。この論考も読んでくれた。まだ同じことを考え続けていることを褒めてもらった。論考に「協働」とつけたのはまさに彼ら彼女らとの仕事がそうだったからだ。

私たちは親子、あるいは大人と子どもという枠組みを維持したまま世代をつないでいく。緩やかに繋がりながら痕跡を残し、壊れたり、壊されたり、修復したり、捨てて新しくしたりを繰り返しながら日々を過ごしていく。この自転車ともいずれなんらかの事情で別れるのだろう。もう危ないからやめなさい、と言われまではメンテナンスを繰り返していろんな道を走りたいと思う。

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True Colors

Cyndi LauperのTrue Colors、思春期のあたたかな思い出だ。THE BLUE HEARTS「少年の詩」もあのカセットには入っていた。♪1.2.3.4 5つ数えてバスケットシューズがはけたよ♪

私はバスケ部だった。大好きでいつもそのことばかり考えている。バスケはそういうものだった。精神分析は今もずっとそうだ。これからは俳句もそうなっていくかもしれない。〆切までに出すのが精一杯だけど。

人が人を想う。言葉だけならすでに使い古されているかもしれない。私はチームスポーツが好きだ。組織での訓練にも大きな価値を見出している。喜びも悲しみも苦痛も絶望も希望も終わってみれば全て夢のようかもしれない。それでも生きている限り、それらは私たちのこころを彩り続ける。

そばにいてもわからない人のことを想う。電話越しでも伝わってくる人のことを想う。会えない距離の人のことを想う。明日会えるのに囚われてばかりの人のことを想う。

精神分析は複数の人をこころのなかに住まわせる仕事だと以前にも書いた。私はあなただったりあなたは私だったり彼や彼女が私やあなただったりする。あの時の場面、あの時の出来事が、今ここと交差して立ち現れる。

思春期はまだ幼い。それまでとは異なる性愛の世界の入り口で身体もこころも戸惑っている。私は何者なのか。それはこれから先も長い間あなたを悩ませるかもしれない。

問い直し、出会い直す。痛みも多い作業だ。それでも人は人を想う。想われた記憶がふと現れるとき、想う私も現れる。それがないならここで紡ぎ、編み出していく。

大切な曲がたくさん詰まったカセットテープをもらった。小さな几帳面な字で曲名が書かれていた。「シンディー・ローパー/True colors」。今はApple Musicで聴くこの曲も探せばあのカセットテープできけるだろう。

I see your true colors and that’s why I love you.

忙しない日常を今日もはじめよう。また思い出すことはできるだろうから。

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「その場での旅」

今日は雨に濡れた。乾燥に困っていたので雨自体はありがたかった。夕方の空はすっきりしていてピンクと紺の重なり合いがきれいだった。細い月も出ていた。

オンラインでの仕事が始まるまでに片付けがてら見つけた資料をパラパラしていた。10年前に受けた江川隆男さんの「ドゥルーズの哲学」の講義資料だ。

江川さんは修論をカントで書いたそうで、その頃はまだアカデミックにやれるほどドゥルーズは知られていなかったのだといっていた。

私は、重度の自閉症の方と過ごす仕事をしていた頃、ABAを学びたいと思ったが、当時はアメリカで活躍しているセラピストの通信教育くらいしか見つけられなかった。今だったら日本でもスーパーヴィジョンを受けながら学べる。

学問との出会いは時代が大きく絡んでいる。文学だってそうだ。先日久々にパラパラした(パラパラしてばかりだな)柄谷行人『意味という病』にもそんなことが書いてあった。古井由吉のことを。もうすぐ彼が死んで一年が経つ。

それにしても「意味という病」を「意味のない無意味」と書いてしまう。年代的に近いのは千葉雅也さんの方だからか。いや、違う。あれは『意味がない無意味』だ。ドゥルーズつながりではある。

江川さんはドゥルーズの哲学は、新しい対象について考える哲学ではなく、考えている自分自身を変えないとわからない哲学だと言ったらしい。私の記憶にはないが、私のマルジナリアにはそう書いてある。それって精神分析が必要ということでしょう、と私は思うけどきっとそういうことではなかったと思う。

それにしても私のマルジナリアは読めない字が多いな。片方の肺がないのにタバコをやめなかったとも書いてある。ドゥルーズは「自宅の窓から投身して死去」した。

「哲学は悲しませるのに役立つのだ。誰も悲しませず、誰も妨げない哲学など、哲学ではない。」ドゥルーズ『ニーチェと哲学』江川隆男訳。

私はこれを読んでいない。江川さんが引用していたのを引用した。この講義はとても難しくて、かっこいい引用が多かった記憶がある。そのときすでに受けていた國分さんの講義で「ドゥルーズ読めるかも」と思ったのとは大違いだった。でも江川さんはわざとそうしているとも言っていたし、素人の私にも残る言葉がたくさんあった。否定でみるのが多義性、肯定するのが一義性、とか。フロイトの「否定」論文を再読したくなった、今。

ドゥルーズは「その場での旅」と言った。これは「運動」が生じるための「条件」の話であり、そこには「不動の差異」が存在するということらしい。ベケットとカフカが例にあげられている。「意味がない無意味」も再読したい、今。

「今」と書いても「いずれ」と書いても取りかからない限り同じことなのだが、あえて書き分けたくなるくらいの心持ちの違いはある。「その場での旅」。染み入る。

まずは今ここでやるべきことを。

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春の句

春の句を10句作りました。

もう冬の句はしばらく作らないのね、と思って手元にためた1月の日めくりを眺めていたら苦手な冬が少し愛しくなりました。でもそれも多分少し遠ざかってくれたからいえることですね。

1月のベスト俳句は「手袋の左許りになりにける」かな。正岡子規の句。この句は1月13日(水)の日めくりにのった俳句です。私の手袋が手元に戻ってきてくれた日でした。俳句は実景を読むことでインパクトを与えるけど、実景にならなくてよかったです。

ちなみに今日2月12日(金)は「空ばかり春めく底の信濃かな」仲寒蝉

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『没後70年 吉田博展』はじまる。

没後70年 吉田博展』が上野の東京都美術館ではじまった。特設サイトだけでも訪れる価値があるが、やはり現物が見たい。今日の時点では事前予約不要だそうだ。

吉田博、1876年福岡県久留米市生まれ、1950年没。様々な土地を旅し、風景画を残している。ケンジントン宮殿でのダイアナ妃の写真で背後にみえる絵画が有名だろうか。

そしてご存知だろうか。フロイトの待合室にも吉田博の富士山が飾られていたのを。私もここを「精神分析という遊び」場のひとつにしている以上、フロイトの部屋みたいな感じで色々飾りたいが、技術がなくてひたすら「ブランク」のテンプレート(?)に書き込んでいる。まあ、ブランクスクリーンも精神分析っぽいからいいか。

フロイトの吉田博作品には最初ハテナがついていた。なぜならkiyoshi yoshidaの作品とあったから。このあたりのことは西見奈子『いかにして日本の精神分析は始まったか』に詳しく書かれている。フロイトが眺めていたのは吉田博の「山中湖」。同書に図版も載っている。山梨県側から見た富士山(これ、こだわる人はこだわる)。山中湖の静かな湖面に映る逆さ富士はやはり美しい。合宿で行ったな、山中湖。河口湖も大好きだ。

さて、これも同書に詳しいが、フロイトにこの作品を贈ったのは日本の精神分析最早期を支えた古澤平作。『フロイト最後の日記』1932年2月18日木曜のページには「古沢から富士山の贈り物」と書いてある。そして「この美しい絵を見ると、本当にいろいろ読んだものの、まだ実際に見ることを許されていない風景が、味わえます」とフロイトが1932年2月20日に古澤に宛てた手紙が紹介されている。吉田博の絵は現在ロンドンのフロイトミュージアムの食堂に掲げてあるそうだ。

ちなみにこの手紙の約一ヶ月後、フロイトは、費用面で悩んでいた古澤に規定の半額以下の分析料を提案する手紙をだしている。これらの手紙については北山修編著『フロイトと日本人 往復書簡と精神分析への抵抗』に詳しい。

吉田博も古澤平作も現場に出向いた人だった。北山先生もそうか。サンドラーやアイゼンクがいた場所へ行っている。でも北山先生の場合、いろんな現場が重なり合っていて「出向いた」という動詞がしっくりこない。西さんは資料を通じて日本の精神分析草創期に出向いた。

ところで、吉田博展のポスターには「美が、摺り重なる」とある。「摺り重なる」という言葉を聞いたのがはじめてだったのでインパクトがあった。版画というのは本当に魅力的だ。平面の微細な凹凸にさらなる深さを与え、再び平面に戻す。昨日読んだフロイトのグラディーヴァは版画ではない。浮き彫りだ。そしてフロイトのマジック・メモは、など色々思い浮かぶがとりあえず仕事にもどろう。

無事に展覧会に出向くことができますように。

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『グラディーヴァ』と手紙

グラディーヴァ ポンペイ空想物語 精神分析的解釈と表象分析の試み

前に書いたように『グラディーヴァ』にもいくつかの翻訳がある。種村訳はフロイトの『妄想と夢』論文とセットで種村氏と森本庸介氏の論考も読める。こちらはヴィルヘルム・イェンゼンの小説と訳者山本淳氏の表象分析のセット。

フロイトを読むときは時間が許す限り関連文献も読んでいる、というか読みたくなってしまう。このグラディーヴァ本のオリジナリティは、「『グラディーヴァ』をめぐる書簡」について書かれているところだ。作品と解釈をめぐり、イェンゼンと精神分析家が、あるいは精神分析家同士が交わした15通の手紙が取り上げられている。シュテーケルからイェンゼン、ユングからフロイト、フロイトからユング、イェンゼンからフロイト、フロイトからイェンゼン、といった具合に。

手紙というのはその内容だけではなくて、書かれ方、送られ方、受け取られ方などいくつかの側面から手紙の書き手についても教えてくれる。

置かれている立場、その人のペース、リズム、パーソナリティなどいろんなことが手紙には断片的に現れる。フロイトが出した手紙に淡白な返事を出すユングとか、フロイトを立てつつも苦言を呈するイェンゼンとか、せっかちですぐ反応がほしくなってしまうフロイトとか。

「応用精神分析」という用語はラカンによってその意味を変えたが、フロイトを読むときはフロイト自身のテキストとそれを取り囲む政治、社会、文化、思想などの文脈の双方を参照する必要があることは間違いない。

手紙はその双方の橋渡しをする。イタリアに強い思い入れがあるフロイトがイタリアから出した手紙は岡田温司『フロイトのイタリア 旅・芸術・精神分析』でも読めるはず(またもや発掘が必要)。

それにしてもなんでも分析対象にするものだ。今となっては、私たちが家族や身近な人を精神分析することは危険というのは共通認識だが、文学や芸術に対する分析ってどうなのだろう。危険ではないだろうけど、なんだか偉そうだよね、と思ったりもする。小さい時から文学に助けられてきたせいかもしれない。

私は大学生の時、夏目漱石の病跡学をやりたいと思っていたが、それも偉そうだったかも。夏目漱石は実家に全集があって、今でも文庫で持ち歩くことはよくあるほどに好きだから触れたかったのだとは思うけど。今だったらどうかな。精神分析は治療としてだけでいいかな。文学とは山本貴光さんの『文学問題(F+f)+』みたいに関われたらいいなと思うけど、あれはすごい本だからなぁ。私は人に対してあのようなエネルギーを注いではいるような気はするが。

またもやとりとめなく書いてしまった。朝のウォーミングアップ終了。身体も動かさないと。

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パーソナル

先日、久しぶりに新宿三丁目の方を歩いた。地下はよく歩くが地上は久しぶりだった。新宿東口から新宿三丁目にかけては10代後半から長い間遊び場だった。よく通ったカフェは二軒とも残っていた。当時いろんな話をした。シアターモリエールはしまっていた。改装中らしい。なくなっていなくてよかった。

昨年は別役実が亡くなった。チケットをとっていた新作公演が彼の病気療養のため演目変更になり、別の別役作品をみた。淡々とした不条理から生じるゾクっとする怖さとほかでは体験できない笑いは私の身体に心地よかった。彼の死がとても悲しかった。

最近出版された松木邦裕先生の『パーソナル精神分析事典』にも別役実が登場するのをご存知だろうか。意外な出会いに感激した。といってもビオンを信頼する松木先生がベケットに影響を受けた別役実と近づくのは自然なことだったのだろう。

松木先生のこの事典は事典というより本だなと私は思った。事典も本だろうけど。最初から読んでもいいと思う。私は最初、興味のある概念をパラパラしていたが冒頭から読んだら可笑しくて、本として読むことにした。多分、私でなくても読者は、これまでの松木先生の著書より軽妙な語り口で精神分析の難解な概念について学ぶことができるだろう。わからないならわからないなりについていけばそのうち実践を伴ってなんとなくわからなさの感触も変わってくるはずだ。私は概念も人もなんでも「あーあのときの」と何度も出会い直せばいいような気がしている。

ところで、この本のことを先生からお聞きした時、先生が「私説」とか「パーソナル」という言葉を使っておられるのが印象的だとお伝えしたのだが、実際そこにはわけがあった。それもこの本に書いてあった。多くの問いと答えを(そしてまた問いを)くださる先生からの学びを私も少しずつ伝えていけたらと思う。

それにしても、こころを「こころ」と平仮名で書いている場合じゃないくらい疲れてしまったとき、私は精神分析と出会っていなかったらこんなにこころを使う(精神を使う、って変な感じだから使えない)ことなんてあっただろうか、と考えることがある。精神分析は様々な他者をこころの中に住まわせる手法だ。そこには悲劇も喜劇も不条理もある。負担も喜びも憎しみもある。リスクもあるが生きがいもある。持ち堪えるとか生き延びるとかそういう言葉が使われるほどに結構ギリギリの体験を内包した拡張可能性を秘めた技法であり文化だ。書くだけなら簡単だがそれでも結構大変だ。生きるって大変だ。

「パーソナル」であること。この言葉自体何度も問われる必要があるのだろう。とりあえず今日、とりあえず明日、ベイビーステップでやっていこう。

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『グラデイーヴァ』

イェンゼンという名前のノーベル文学賞作家がいるのですね。こちらはW.あちらはJ. ドイツ人の名前なのですね。

フロイトが取り上げたことでとても有名になったというこの作品。でもシュテーケルやユングがこの本の紹介をフロイトにしたというのだから、すでにそれなりに話題だったのでしょうか。

昨日取り上げたフロイトの1906年の論文はこの小説(でいいのかな)を精神分析的に理解してみるというもので、前半はこの小説の要約に紙面が割かれます。フロイトはまずはこの話を読んでからこの論文を読むことを読者に願っていますが、今も手に入るのでしょうか。種村訳にはイェンゼンの小説とフロイトの論文の両方が載ってるはずですが、それも入手できるかどうか確認してみないといけません。私は持っていますがどこにあるか発掘しないといけません。

とはいえ、たとえフロイトの要約で省略された部分にこそ重要な部分があったとしても、フロイトの紹介の仕方はとても魅力的です。グラディーヴァのレリーフに魅せられた考古学者の主人公が、抑圧された欲望と近づいていく様子(内容はやっぱり読んでほしい)をいろんな気持ちになりながら観察する一読者の体験をフロイトはわかりやすく示してくれています。当然フロイトは『夢解釈』の技法を用いてこの小説を読んでいるので、合間合間で現代の精神分析では前提となった現象の説明を挟みます。もちろん現代でも、精神分析と馴染みのない読者にとっては「え!」という説明かもしれません。

一読者であれば、精神分析家は、というか、フロイトはそう読んだ、ということで全く構わないわけですが、精神分析とともに生きている立場としては、この後30年間、精神分析を科学たらしめようとしたフロイトが死ぬまで受け続けた批判と称賛の対象(「性」と「生」という欲動)について考えざるを得ません。

一方で、文学作品に対するこの同一化力(そんなものはないと昨日書いたばかりだけど)、そしてそこで緻密な思考を展開するフロイトはなんだか生き生きしていて読んでいてニコニコしてしまいました。私はフロイトがとても好きなんですね。

ソフォクレスのオイディプス王やシェークスピア作品を愛したフロイト、作品と作者、そして読者、この三者が織りなす無意識の交流。昨日、書いたようにこの論考は応用精神分析の始まりでもありました。「読む」「書く」という行為が、この小説において分析家の役割を担う女性の名前ツォーエ=「生命」を蘇らせたように、私たちもその行為を続けていくことは、精神分析が生命を保つためにもきっと必要なことなのでしょう(なので楽しくやりましょう、と読書会メンバーを密かに応援しています)。

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「W.イェンゼン『グラディーヴァ』における妄想と夢」1907

なんだか傘を持つのは久しぶりな気がする。

1月の東京は本当によく晴れた。

次世代を担う臨床家がやっているオンラインのフロイト読書会、次回は私がアドバイザー。

読むのはフロイト「W.イェンゼン『グラディーヴァ』における妄想と夢」1907年

Delusions and Dreams in Jensen’s “Gradiva” (1907)

1907年、この頃にフロイトはカール・グスタフ・ユング(1906年に論文集を送付)、マックス・アイティンゴン、カール・アブラハムと出会った。

グラディーヴァ、小説の主人公が熱烈に魅せられて古代レリーフのなかの女性。「歩き方」へのこだわりはとても興味深い。私もいくつかのエピソードを思い出す。

ユングがイェンゼンの小説をフロイトに紹介したことから始まったフロイトの文学研究と芸術論、これはapplied psychoanalysis(応用精神分析)のはじまりでもあった。

そういえばユング派の候補生ってユングの故郷チューリッヒにいくけど精神分析家候補生はもうそういう場所をもっていない。私は普段も旅するときもひたすら歩くが、私が精神分析に向かって、あるいは精神分析とともに歩いてきた仕方について少し考えた。

この小説の主人公は考古学者。彼の夢と「妄想」。考古学と精神分析、フロイトは文学作品に対しても優れて臨床的な観察力を発揮し、ここに類似性を見出した。

『夢解釈』で明らかにした不安夢の理解以外にも、フロイトは後年探求することになる現象にすでにここで触れている。精神病や倒錯に見られる現実の否認や自我の分裂など。

小此木啓吾先生の熱い語りも思い出すなあ。母を求める青年。小此木先生の同一化力(とはいわないが)はすごかった。

フロイトも面接室のカウチの足側の壁にグラディーヴァのレリーフのレプリカを掛けていたという。

Library of Congressのサイトを探ればいろんな写真も見られるかもだけどグラディーヴァのレリーフは普通に検索すればすぐ見つかる。

私がフロイトの何かを絵や写真で見たいときは鈴木晶『図説 フロイト 精神の考古学者』(河出書房新社)、ピエール・ババン『フロイト 無意識の扉を開く』(小此木啓吾監修、創元社)

フロイトのカウチに横になったら左側のグラディーヴァをぼんやり見ながらいろんなことを連想すると思う。カウチの横の壁には大きな絵がかかってるのだけど、私だったらカウチの横は小さい絵をかけるな。落ちてきたら嫌だし、圧力感じそう。でもフロイトの部屋はものすごくいろんなものがあるから、その一部なら気にならないか。私も賃貸じゃなかったら掛けたい絵がたくさんあるなあ。細々した思い出の品々はたくさん置いてるけど。

この論文もいくつか訳がでている。読書会は岩波書店『フロイト全集』を基盤にしている。今回私は種村季弘訳も参照。

グラディーヴァ/妄想と夢 – 平凡社

Quinodoz, Jean-Michel. Reading Freud (New Library of Psychoanalysis Teaching Series) (p.73).

日本語訳、ジャン−ミシェル・キノドス『フロイトを読む 年代順に紐解くフロイト著作』(福本修監訳、岩崎学術出版社)だとp.77〜も参照。

もっとこの論文について書こうと思ったけど面倒になってしまった。キノドスにも小此木先生の本にも色々書いてあるから私はまた今度にしよう。

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精神分析的心理療法とは

臨床心理士になって20年、様々な領域の職場で働きながら、毎週1回、同じ曜日、同じ時間に会う面接を続けてきました。今は、週1、2回、あるいは4回、患者さんやクライエントと、カウチあるいは対面で、自由連想の方法を使って行う面接がメインですが、当初は、固定枠を持てる職場は少なく、週一回固定枠では10ケースも持っていなかったように思います。ただ、少しでもそれを持てたことは本やセミナーで学んだことに実質を与えてくれました。

そして、そこを基盤にして細々と、限られた資源の中で、そこを環境として安全な場所にしていくこと、何が人のこころを揺らしたり脅かしたりするのか、ということを考え、何を提供し、何を控えるかなど、構造化、マネージメント、コンサルテーションの重要性に気づき、試行錯誤を重ねていきました。

30代になると、自分も週1日、2日の精神分析的心理療法を受け、スーパーヴィジョンを重ね、自分自身も多くのケースを担当するようになり、ようやく精神分析的心理療法ってこういうものなんだ、ということを実感できるようになりました。

さらに、精神分析家になるための訓練に入ってからは、そうやって少しずつわかってきた精神分析的心理療法を基礎づけている精神分析と直に触れるようになり、フロイトの症例にも精神分析を生み出した生の体験として出会い直し、開業し、実践を重ね、それらに通底する精神分析の普遍性を感じることができるようになってきました。

精神分析はとても長く、苦痛を伴う体験ですが、驚きの連続でもあります。それを「美しい」体験という人もいます。

このように精神分析を体験しながら精神分析や精神分析的な実践を行なうと、それらはこれまでよりもたしかな技法として手応えを持ち始めました。職人と同じで、訓練を受けている人の指導を受けながら見様見真似で行なってきたそれは、言葉にしてしまえばとてもシンプルなもののような気がしています。

以下はプライベートオフィスでの精神分析的心理療法をご希望の方に向けたご案内です。オフィスのWEBサイトにも載せています。https://www.amipa-office.com/cont1/main.html

たどり着くのはいつもシンプルなことなんですね(これも実感)。

ーこんな場合にー

人は誰でもなんらかの違和感や不自由さを抱えています。
それがあまり気にならない方もいれば、それらにとらわれて身動きが取れなくなっている方もおられるでしょう。

当オフィスでは、もしそのようなことでお困りの場合、ご自身のとらわれについて考え、変化をもたらしていく方法として精神分析的心理療法をご提案することがあります。

ーたとえばー

たとえば、いつも自分はこういう場面で失敗する、いつも自分はこういう人とうまくいかない、と頭ではわかっているのに苦しむばかりだったり、その結果、不安や抑うつなどの症状を呈したり、なんらかの不適応をおこしている場合、かりそめの励ましやその場しのぎの対処ではもうどうにもならないと感じていらっしゃる方も多いでしょう。

そのようなとらわれたこころの状態から自由になりたい、別の可能性を見出したいとお考えの方に精神分析的心理療法はお役に立つと思います。 

ー方法ー

この方法は、自分でもよくわからない自分のこころの一部と出会うために、こころの状態に耳を澄まし観察してみること、そして頭に浮かんできたことを特定の他者にむけて自由に言葉にしてみることを大切にします。 

ひとりではなく他者とともに、みなさんがより自分らしく生活していくためにそのような時間と場所をもつことはきっと本質的な変化と新しい出会いをもたらしてくれることでしょう。 

ーアドバイスは難しいー

同時に、この方法は、考え方や対処方法にいわゆる「正解」があるとは考えていないことを示してもいます。
そのため即効性のあるアドバイスを必要とされる方にはお役にたてないと思います。

アドバイスというものはとても難しく、「一般的にはこうかもしれない」ということはお伝えできても、単に個人の主観的な意見を押し付けてしまう危険性を孕んでいるように感じます。 

法律に反することなどはお互いのために禁止事項になりますが、生き方、考え方については誰かが答えを持っているわけではないと私は考えております。 

そのため、問題を整理したうえで一般論をお伝えすることはありますが、それ以上のアドバイス、ましてや「即効性のあるアドバイス」は難しいと思うのです。 

ー定期的で継続的な時間、少なくないお金を必要としますー

また、精神分析的心理療法の場合、ある程度長い期間、定期的で継続的な時間(週1日以上)を維持することが必要になるため、お受けになる方にも一定の時間を確保していただく必要があり、それに伴うお金も必要になります。

ー別の方法をご提案させていただくこともありますー 

このようにコストがかかるうえに、これまで知らなかった自分の一部と出会い、情緒的に触れ合うプロセスは決して楽ではないため、状況や状態によっては負担が大きく、ご希望されても始めないほうがよい場合もありうるでしょう。

そこで、ご自身の現在のこころの状態が必要としているものを明らかにするために、最初は見立てのための面接を数回行うことにしています。 

そのうえで精神分析あるいは精神分析的心理療法をご提案することもあれば、別の方法をご提案したり、別の機関をご紹介することもあります。

まずはそれぞれのお話によく耳を傾けることから始めたいと考えています。 

ー低料金での精神分析ー
週4日か5日、寝椅子に横になって行う精神分析をご希望の方は、
私は現在、精神分析家候補生ですので通常より低料金でお引き受けしております。

日本精神分析協会のHPもご参考になさってください。
http://www.jpas.jp/treatment.html

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精神分析とはなにか

精神分析ってなんだろう。ということについて色々考えます。今のところの考えは「精神分析と○○」シリーズ(なんとなくそんな感じで書いてきたこれまでの記事を集めただけだけど)としてオフィスのHPにまとめました。

先日、中公新書ラクレから出たばかりの『ゲンロン戦記』(東浩紀)を読んでいました。副題は、「知の観客」をつくる。私は東浩紀さんの本もそうですが、「ゲンロンカフェ」という開業哲学者、開業批評家としての彼の実践に関心を持って応援してきました。

東浩紀さんがいう「観光客」という概念は、精神分析を語るときにも重要です。

私はゲンロンや哲学の結構良い「観光客」であり「観客」だと思っています。彼らのことを人としてはよく知りませんが、私にとってそれは重要ではなく、彼らの思考や活動に触発され続けているものなので、その内側にいけなくてもずっと支えていきたい知がそこには存在するように思います。

ところで、そこにはいってみてはじめて「知らなかった!」と驚く景色があります。

東さんがチェルノブイリにいわば素人として降り立って知った、ガイドブックにはあったけどその姿を知らなかった景色、私も旅をするのでそのような驚きをたくさん体験してきました。

精神分析もまた、多くの「観光客」を持つ「知」のプラットフォームです。ここでいう「観光客」は、精神分析を受ける(単に「する」が正解かも)、という体験をするより、精神分析家の本を読んだり、ファンになったり、精神分析に触発されていろんなことを話し合ったり、そうやってゆるい繋がりを維持している人たちのことです。

そしてその人たちの存在こそが精神分析という文化を維持しているように私は思います。私がゲンロン友の会にはいったり、本やアーカイブを購入し、そこに触れ続け「観光客」であり続けることでその一端を担っていると感じるように。

精神分析家になるという選択をする人はそれほど多くないでしょう。哲学者になるという選択と同じです。内側での作業はひどく孤独なものですが「観光客」の存在が励みになります。私はそのマイナーな立場から彼らに注意を向けて精神分析という体験を少しずつ対話的な言葉にしていけたらいいなあと考えています。

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日本の精神分析家の本

日本の精神分析家の数は多くありません。国際精神分析学会(IPA)所属の分析家でいえば1学級ほどの人数で、訓練のための分析を提供する訓練分析家となると数えるほどしかいません。(日本精神分析協会HP参照 http://www.jpas.jp/ja/

だから精神分析なんて全然身近じゃない、かというとそうでもなく、精神分析家は意外と身近なのです。たとえば土居健郎先生、たとえば小此木啓吾先生、たとえば北山修先生、たとえば、、とあげていけば「あ、この人知ってる」という方は結構おられると思います。

精神分析家の先生方の発信力が強力、というか大変個性的なので、これまた少しずつですが、先生方の本について下記URLのブログでご紹介したいと思います。すでに書いたものもご関心があればどうぞご覧ください。

日本の精神分析家の本(妙木浩之先生)

日本の精神分析家の本(北山修先生、藤山直樹先生

精神分析の本

ちなみに私は、大好きだった合唱曲、「あの素晴らしい愛をもう一度」の作者が、この北山修先生だとは全く知りませんでした。

精神分析ってまだあるんだ、と言われることもありますが、精神分析は特殊な設定にみえて、というかそれゆえに、すごく生活に近く、先生方の本に出てくる人たちはみな、私たちが自分自身のなかにもみつけられる部分をお持ちです。あまり難しいことは考えず、できるだけ無意識にしたがって共有していけたらと思います。

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精神分析

保育園巡回というお仕事

若い保育士たちと対等に仕事を共にできるのは他職種だからだろう。

彼らは現場の切迫感でこちらと対峙する。みてもいないようなこと言うなよ、という迫力を感じることさえある。

違和感に敏感で、傷つきながらもそこに居続け、笑えない状況だとしても遊びと生活を絶え間なく提供する。そういう役割を毎日生きている。あるいは生きようとしている。保育士の仕事は過酷だ。

一方、外部から短時間、年に数回出向く私の役割はかなり限定的だ。というよりむしろ限定的であることを意識し、どこを切り取っていくかを観察によって短時間でアセスメントしていく必要がある。今は様々な保育園の形態や動きがわかるので集団力動も読みやすい。でもこの現場の事情に慣れるまでは苦労した。

限られた時間でおこなう支援は、見かけはのんびりと静かに、しかし実際は現場のスピード感を邪魔しないようやりとりをする必要がある。自分の持ち物と役割を自覚することが大事と感じる。

いくつかの中学校でスクールカウンセラーをしてきたが、保育園のスピード感は育児のそれであって、時間と空間を構造化するスキルは欠かせない。症状や障害のある子どもの行動観察、テストを取りにくい子どもに対する臨機応変な態度、15分間インテークで身につけた聞き方、何かしら役立つものをシンプルに言葉にする努力、などなどこれまで体験から学んできたことを総動員し、反応を確かめつつ、お互いに試行錯誤しながらなんとかやってきた。もう何年になるのだろう。

「先生がくる日はいつもと全然違う」

多くの巡回相談員が言われる言葉だ。

普段の姿を見せたい保育士が、小さな子どもの手を取って笑いながらそういえるような関係はいい。本質はそこではないと彼らはすでに知っている。

私をみて泣き出す0歳児に「人見知りするようになったんだよね」と優しく抱き上げて報告してくれる関係もあたたかい。

私たちは年に数回、合わせても数時間しか会わなくてもお互いの仕事を知っていく。

0歳児からの最初の数年間、子どもたちの成長はこちらの予想を裏切り続ける。大きく見れば本に書いてあるようなことが起きているだけと思われるかもしれない。でもここで起きていることは今ここの関係でしか見られないとても個別の現象だ。

毎年0歳児から5歳児まで新たな子どもたちを迎えながら、毎年毎日、同じように戸惑い、ときに荒ぶる気持ちを抑え、彼らの仕草に笑い、一緒に手をたたき、成長に驚き続ける。

数年も付き合っているとお互いの仕事が浸透しあって観察はさらに精緻になる。真剣な遊びのように共に仕事をする。その点では精神分析と同じだ、と私が思うのは、私の持ち物がそれだからだろう。

多くの人に、多くのことを習ってきた。習うより慣れよ、というより、習い、慣れる、をひたすら繰り返し、特定の文化に所属し、浸透するように型を身につける。0歳児の苦闘に戻ったような、その頃の視線や腕を思い出すような、そういう体験をこの年齢になっても積み重ねている。そこで得る得難い想いは小さな彼らのそれであり、若い彼らのそれとも重なり合うのだろう。

保育園に通い、子どもたちや保育士たちと「遊ぶ」ように仕事をする。保育園巡回はそういうお仕事なんだろう、私にとって。

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精神分析

歩きながら撮る

相変わらず歩きながら空ばかり撮ってる。

山手線を降りて人混みを縫いながらオフィスへ向かう。新宿パークタワーの三角の屋根が空を指している。モノクロの夕暮れに向かってぼんやり歩いていると、時々後ろの人がぶつかりながら追い抜いていく。さっきよりもっと端のほうをだらだら歩く。

文化服装学院のほうに出ると道が開ける。西新宿は東や南と比べると同じような色が多いが、この辺りは華やかだ。

さっきよりモノクロの夕暮れに近づいたが、グレーの雲の濃淡ははるか彼方まで続いている。少し圧倒された。あの明るい鱗雲はどこへいってしまったのだろう。美しい水色に規則正しく並ぶ白い雲たち。立冬を過ぎた頃から感染者数が増え始めたが、その頃はまだそんな空が見られた気がする。

外灯で少し不自然に輝いている銀杏を見上げる。銀杏にも個性があって、日当たりなど環境との相互作用で色づき方は異なるという。高層ビルが好き好きな高さで建つこの街の銀杏を見ているととても納得がいく。

店の窓はクリスマスの灯りが増えた。この時期、西新宿の高層ビルにはいつの間にか大きなクリスマスツリーが現れる。オフィスを構えてからは、毎年11月に東京オペラシティのサンクンガーデンでの設営場面を見るようになった。

20年以上前、できたばかりのオペラシティを通って家に帰っていた。あの頃、一階にはドーナツ型のソファがいくつかあって、この時期になるとその真ん中にサンタクロースが置かれていた。

西新宿からも多くのベンチが撤去された。居場所を減らすことで成立する美しさとはなんだろう。

色々な色、色々な形のコートがあるものだ。まだ大きなマフラーを巻いて身をすくめるように歩いている人は少ない。上着の前も開けたまま俯き加減に、あるいは賑やかにおしゃべりをしながら女性たちが通り過ぎる。数人は新宿駅へ続く地下道へ消えていった。

まだ肩パッドが流行っていた頃の私のコートはパッドを外してもかっちりした形を保っている。これパッドの意味あったのかなと思うこともある。このコートを着ると自分のシルエットが長方形になってしまいちょっと可笑しい。背の低い私には大きすぎるような気は最初からしていた。よって着こなせず、たまにしか着なかったからまだきれいだ。でもなぜか今年はこればかり着ている。年齢がこの形に追いついてきたのかもしれない。

前方からは仕事を終えたらしきスーツ姿の男性たちが横に広がったまま向かってきた。数年前の学会で同じ学派の先生方がこんな感じで歩いてきた場面を思い出した。オーシャンズ11みたいだ、と思ったんだ、そのとき。

今年はコロナで学会なくなったけど。

道で偶然出会った年配の女性とおしゃべりをした。とても80代には思えない身のこなしで前から歩いてきた彼女にすれ違いざまに気づいた。あまり体調がよくないらしい。人を蝕むものはコロナだけではない。

お金の問題についても考えていた。オフィス街では私が一生体験することがないであろう金額の話が飛び交う。お金も人を蝕む。誰でも座れるベンチが撤去されていくように。

こころをお金で語ったのも精神分析だが、フロイトはかなり切実な問題としてこれを扱った。

精神分析家になるためには訓練が必要である。国際精神分析協会(IPA)の基準と他の団体のそれでは異なる点があるが、なんにしてもそれに「なる」ためには精神分析を受ける体験が必須だ。長い歴史に支えられた組織で長期間、ある型を自分のものになるまで身に付け、かつその少し先を見据えるために鍛錬を積む。目には見えないが手応えのある環境として、存在として、自分を提供し、かつ自分の生活を維持していくために、莫大なお金と時間をさいて修行する。提供できる自分になるために。育てる自分になるために。それは痛みにしか感じられない場合もあるけれど、もしそうならその痛みを体験する自分にじっと注意を向ける。痛みを通じて学ぶことは多い。今大人気のアニメたちもそれを描き出している。もちろんそれらが光と闇で描き出すように、痛みが憎しみに変わり奪い取ることで満足を得る自分になる可能性だってあるだろう。憎しみに覆われた彼らが空を見上げている場面はあまり見ない。

もはや運みたいなものかもしれない。精神分析家候補生になるためには訓練分析家からの査定があるが、私はそれをなんとか通過してなんとか候補生としての生活を維持している。しかし、この「なんとか」とか「ギリギリ」の感覚はいつも付き纏う。いつ終わるかわからない日々であること、大切な人をいつ失うか全くわからない日常を生きていること、その不確実さだけがなんとなく私を奮い立たせ、持ちこたえさせる。

「希望」とかたやすくいう人をわたしは疑う。というか私は言わない、たやすくは。あえてそんなこといわなくても今日もなんとかやっている、私はそういう事実を大切にしたい。そこには静かな価値が眠っている。

明日にまた会える。多分。そしたらまた写真を撮ろう。

ところで、一ヶ月前に歩きながら撮ったのはこちら。季節はめぐる。

https://note.com/aminooffice/n/n38ce1485734e

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精神分析

simply listen.

誰もみていないのになんでだろう。なんとなく気が咎めて反射的に奇妙な小細工みたいなことすることあるよね、と話しながらゲラゲラ笑った。

「小細工」という言葉がそのときは妙におかしかった。自分に対して行う「小細工」。
どうして私たちはそのままいることが難しいのだろう。

精神分析のお約束は「自由連想」だけどそれがいかに不自由か、ということは分析を体験している人には強く実感されることだろう。
なんか知らず知らずのうちに小細工するの、自分の言葉に。
控えたり、すり替えたり、小さな声になったり、慣れていない言葉使ったり。

夢の中での冗談は笑えないと言ったのはフロイトだっただろうか。
おそらく「機知」論文の中でフロイトがそう言っている。
最近、現実でも笑えない話が多い。
というより笑ってすますことができなくなってる?以前だったら笑えた話も笑えなくなっているような気がする。

言葉ひとつ足りないくらいで 全部こわれてしまうような かよわい絆ばかりじゃないだろう
さあ見つけるんだ 僕たちのHOME♪

B’zのHOME。この部分、しょっちゅう口ずさんでしまう。

小さい頃、落語をラジオで聞いていた。一部、布張りのしっかりした箱に入ったカセットテープの全集は東京に持ってきて、今も私の部屋にある。

当時は何を言ってるのかよくわからなくて、でも大人たちが笑うのがおかしくて笑った。
実際音の揺れや動きやリズムは子供の私にも楽しかった。

今、私たちは言葉を音楽として聞けているだろうか。言葉の単一の意味ばかりに注目し、その多義性に心閉ざしていないだろうか。意味だけでなく、言葉が紡がれるときのなにか別のものを取りこぼしてはいないだろうか。

いつもそんなことを考えながら患者の言葉をただ聞く。simply listen.
フロイトが技法として書いた言葉だ。
シンプルな言葉は奥深いし、難しいし、ただ真似をするということをさせてくれない。
なのに響く。「だから」響くのか。


今、No music, No life.にかけた言葉を思いついたけど恥ずかしいから書かない。
どうしてこうやってサラサラ書いてると本当にどうしようもないことが浮かんできちゃんだろう。
自由連想って危険だから不自由になるのね、多分。

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精神分析

失敗

校正したのにまた間違うという失敗。

しかも何を間違ったのかわかるまでに結構時間がかかってしまった。

あーあ。どうしていつもこんななんでしょう。

英国の精神分析家のウィニコットは「失敗」という語を母親と乳児の関係で用いた。

赤ちゃんを産んだばかりのお母さんは我を忘れて赤ちゃんの世話に追われる。でも少しずつ「あれ?私誰だったっけ?」という感じでもとの自分を取り戻しはじめる。

これって精神分析を体験する人ならそのプロセスで分析家の身体を借りながら自分の赤ちゃん部分を世話している分析状況を思い起こすと思う。

それはともかく、ウィニコットはお母さんが赤ちゃんにぴったり適応している状態から離れることを「失敗」といった。

お母さんは神様のように万能ではなく、もとは小さな赤ちゃんだった人なので(わたしたちみんなそう)、当然この「失敗」は避けられない。人間である以上、本当には二人でひとつにはなれない以上、どうしても起きてしまうのだ。

赤ちゃんは泣き叫ぶようにお母さんの「失敗」を指摘し続けるけどそうしながら赤ちゃんの方も気付くことがある。

こうして目線を送れば、こうして声をだせば、このくらい待てば、お母さんやお父さんはみてくれる、きてくれるんだと。もちろんぼんやりと。無意識に。

母親の「失敗」が赤ちゃんに学ぶ機会を与えるのである。もちろんこの場合の「失敗」が傷つきになる可能性もあるわけだが、お母さんが自分のこころの揺れに無理なく付き合うことができれば、そうできる支えがあれば、きっとそれはウィニコットのいう必然的で必要でさえある「失敗」の範疇だろう。

まぁ、私が校正で失敗したのはウィニコット絡みなのでなんとなく書いてみたけどかなり大雑把です。あしからず。

今日の東京は弱い雨。失敗しては取り戻す。そんな毎日ですね。

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精神分析

環境

どうしても母親の気持ちを知りたい、執拗に、執拗に。

臨床場面ではそのような切実な想いにたくさん出会います。この場合、知りたい対象が実際に生きているか、そばにいるかは関係ありません。こころのなかで、こころと言わないならば記憶のなかで(どちらも現象としてしか捉えられないけど)生きている人に向けられた行き場をなくした強い思いというものが今ここに現れることがあるのです。

精神分析でいえばそれは患者と治療者の関係として現れ、それは転移と呼ばれています。

切り取られ、リピート再生されるように同じ場面、同じ状況が不思議と持ち込まれる臨床現場はすでに時空の歪みが生じているとも言えるでしょう。過去・現在・未来が動的に作用し合う可能性がそこにはあるようです。

ただそこにはとても強力にネガティブな感情も動いています。そのため精神分析家のウィニコットが当時の精神分析に欠けていたものとして描き出した「環境」がとても大切になります。

誰かと何かを知ろうとすることはリスクを伴います。多くの傷つきを反復的に体験します。だからそこには支えが絶対に必要なのです。安易に外的な第三者を導入するのではなく、二者を守る環境を治療者側が外的、内的、心的に準備する必要があるのです。それを可能にするのが訓練としての治療です。精神分析でいえば精神分析を受けることです。

今度、出る本の一章では精神分析ではなく、精神分析の知見を活用した理解をしながら行なった心理療法の症例をもとに、そんなことを書いてみました。何事にも準備が必要で、支えが必要だ、という一見当たり前のことを何度も思い出す体験をするのが臨床なのでしょう。私たちはすぐに相手との境界を曖昧にしてしまいがちだから。傷つきやすいのにそうしてしまうのは人間の本性でしょうか。

穏やかなお天気が続いていますね。良い一日をお過ごしください。

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自由

人は簡単に自由を奪われたような気がしてしまいます。奪えるような気もしているかもしれません。

そんなことできるはずないのに、と思ったり、そうかもなと思ったり。「自由」というなにものか定義しづらいものを相手にするのは大変です。

障害を持つ人がいう自由、捕らえられた人がいう自由、結婚した人がいう自由、子供を持ったいう人が自由、子供の自由、大人の自由、どれにも当てはまらない人がいう自由、いろんな自由は不自由さを抱え込んでいます。もう存在そのものがそうで、身体を持っていること、こころが動いてしまうこと、感覚が麻痺していてもそれを麻痺と知る脳を持っていること、これらは自由と不自由両方の基盤でどちらかだけを生み出すことはできないのでしょう。

逃れようのないものから離れようとするために人はいろんな防衛を発達させてきました。それでも逃れようはないのだけど。

フロイトが「不幸をありきたりの不幸に」と言ったのだって「幸せ」の定義が難しいから不幸一元論(そんな言葉はない)で言っただけではないでしょうか。

不自由一元論。ないものから始めること。ないことを前提にすること。そんなことはあり得ないと思いながら求め続けること。私は今のところそれを「自由」と呼んでいます。誰にも侵害されない願いのこと。

哲学者には叱られちゃうかもしれないけど。哲学者じゃない自由で遊んでいるだけだからご容赦願えたらと思います。

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冬眠

最近、出来事に対して中動態的な性格を与えることを試みていたらしい。

でも現実はやはり現実で、そんな無理をして乗り越えることではないと思った。

防衛として思考実験的に続けてしまうだろうけどこの概念の使い方としては間違っているのだろう。

積み重ねた小さな傷つきは無理になかったことにしなくていい。

それとともにどう過ごしていくのかについて考えるのはひどく苦痛だろうけど。

なかったことにはしない。小さい傷つきを大雑把にまとめあげない。

織物のように密に重なりあう糸の連なりに目を凝らす。

どこで絡まったのか、どこで切れたのか、もう紡ぎ直すことはできないのか。

誰かと一緒にゆっくりみなおす。

そうこうしているうちになにか別の感触で、生じつつある出来事を体験するかもしれない。

別、というだけでそれが苦痛を和らげるかはわからないけれど。

立冬を過ぎて本当に寒くなった。寒さでさえ辛いなら冬眠だってありだ。

ありさんいないねえ、ねんねしちゃったねえ、と保育園児も言っていた。彼らの小さな手はあたたかかった。

冬眠して果てない夢をみる。それこそ中動態っぽい。

適当なのは寒さのせい。たぶん。

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精神分析という文化

もし願うとしたら自分や大切な人たちが他でもないその人としてここにいられるように、そのための支えとともにいられますように。

精神分析が明らかにしたナルシシズムは、簡単にいえば現実を自分仕様にカスタマイズする性質のことだろう。それは変容を妨げる。良い悪いの話ではなく、逃れようのないそんな自分の性質に自分で抗うこと、フロイトのいう「抵抗」とは別の方向へ。

といってもフロイトは自我、超自我、エスとの関係でそれを記述したどまりでそんなに明確にしたわけでもないのか。

知られざる自分との出会いを可能にするものとして、精神分析は設定、技法に特殊な仕掛けを含ませ、その理論を発展させてきた。

そして、そのプロセスにおいて対象を限定しなくなり、多様性に開かれてきた。それでもいまだ「自己変容」というフロイトの言葉は謎のままである。変容とはなんだろう。

精神分析プロセスにおけるカタストロフィは患者だけのものではない。二人にみえる人が転移-逆転移関係においてこころを行ったり来たりさせながらそれ以上の関係を、あるいはそこを通底するものに触れていくプロセスは苦闘である、と私は思う。


そのプロセスはその人を他でもないその人として立ち上げるかもしれないし、再びナルシシズムの世界に安住することを選択させるかもしれないし、もっと別の形をとらせるかもしれない。

私は願う。とは、誰かが私を願ってくれることだと私は思う。ただそこにいることを。いずれそこに動きが加わって分節化して名がつくかもしれないし、何かのイメージにとどまるのかもしれないけど、私は願われている、という感覚をお互いがもてるとき、そこが変容可能性の場所になるのではないだろうか。

精神分析は過去に原因を求めているという大きな誤解は、体験なくしてとけるものとは思わない。ただ言えるのは、私たちは程度の差はあれ、いつだって何度だってなにかしらやり直そうとしているではないか、直線的な時間に逆らうまでもなく、過去とともに今ここにいるではないか。

精神分析はそこで二人でなにかをやることで存在が分節化するのを待っている。そんな治療文化なのではないだろうか、と私は思う。

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声を待つ

フロイトが使った「失錯行為」という言葉はドイツ語だとFehl=失敗とleistung=達成の組み合わせでできているという。意識的には失敗でも無意識的には達成、ということか。だとしたらいかにも精神分析らしい。

「最終的には失敗することで成功する」といったのは小児科医であり精神分析家であったウィニコットだ。

「なんにだって意味がある」と言われたら「それはそうですね」と思うし、「無というものが在る」とか言われれば「なるほど。そうもいえますね」と思う。しかし、こういう逆説にいちいち感動していた日々はもう遠い。

臨床場面ではそういう言葉はひとときの安堵をもたらすかもしれないが、使うタイミングによっては嘘っぽさすら含む。もちろん、二人が別れたあとに思い返すその瞬間が同じようにそうだとは限らないが。

言葉は単に多義的というよりも時間や場所によってその意味を変えていく。同じ言葉でも名のある人が言うのとそうでないのでは全く意味が異なったりもする。言葉の難しさと醍醐味だ。

ただ、もはや口にしたくない言葉というものもある。外傷の表現がそうだろう。多くの外傷場面が言葉にならず視覚的にフラッシュバックされるように、傷は言葉と距離をとる。逆説の豊かさはそこでは過剰な刺激になるかもしれない。そこで求められるのは沈黙でしかないかもしれない。

それでも、私たちの多くが言葉で生きていることに変わりはない。自分の言葉を編み出すこと、口封じをされたら別の場所から言葉を出すこと、本当に悲しいときに沈黙できること、そしてそれができる環境があること、赤ちゃんの切迫した泣き声を思い起こすこと。泣き声も言葉だ。

どうかその声が届きますように。その意味が伝わりやすように。

言葉を使うことは曖昧さに耐えることでもあり、決めつけに抗うことでもある。こころの声を待つ。いずれくるなんらかの判断に向かって。

『ゴドーを待ちながら』みたいな。

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徹底的に

渋柿よ徹底的に渋くなれ 山﨑十生

「徹底的に」っていいですね。私はすぐ焼酎につけちゃうけど。渋柿よ少しでいいから甘くなれ、と。全然俳句らしくないですね。言葉の置き方ひとつで見えてくる景色が全く変わってしまうのが俳句です。

ハロウィン南瓜無造作に置かれ 宇多喜代子

南瓜の置かれ方をこんな言葉の置き方で・・。いい句。いつの間にか過ぎていました、ハロウィン。

渋柿の渋って本当に辛いですよね。あ、「つらい」と読みます。お分かりだと思いますが。それにしても「辛くて辛い」というのはいいますが、「辛くて辛い」はいいませんね。言葉は不思議です。

フロイトは1905年『機知ーその無意識との関係』のなかで言葉遊びについて書いています。ご存知の『夢解釈』、当時は夢解釈よりも売れた『日常生活の精神病理学にむけて』に続く論文、というか単行本かな。

フロイト は言葉の音、文字、意味、イメージなどいろんなものをいろんな風にずらしたり置き換えたり重ねたり変形したりしていくのが趣味というか仕事だったのですが、この「機知」論文、機知ってジョークとか冗談って意味のここでも大真面目にそれをしています。

しばらく読んでいなかったので忘れていますが再読の機会を得ました。今回は、フランスの哲学者サラ・コフマンが書いた『人はなぜ笑うのか?フロイトと機知』も参照しながら読んでみようと思います。

フロイトがユダヤ人であったこと、その事実と影響を考えながら。

国も時代も異なれば、それを自分たち仕様にカスタマイズするのは普通のことだろう、という人がいます。でもそれをするにはやはりそれを、たとえば精神分析を、十分に体験しながら、情緒と思考が重なり合う身体を作り、イメージを更新させることが準備として必要だと私は思います。

ということを再読していた『戦争は女の顔をしていない』(岩波書店)を通じて感じました。戦争は体験してはならないものなので、こうして学ぶ必要があるのでしょう。

漫画版も出ましたがその前に本書を読まれるとよいかもしれません。文字なのに、それがこう連なると本をギュッと握り目を逸らしたくなる、そんな瞬間が訪れる描写がされているように思います。

徹底的に。学びのある局面ではこれしかない、そんな風に考えたのでした。

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『原子力時代における哲学』

國分功一郎は『暇と退屈の倫理学』で楽しむのにも訓練が必要だ、みたいなことをいっていた。違いのわかる人はそれ以前に学びがある。消費ではなく浪費家であれ、贅沢であれ、と「暇」という時間に価値を見出したのがあの本だったと思う。

昨年、國分さんは『原子力時代における哲学』(晶文社)いう本を出した。この本は精神分析に関するテクストとしても読めると私は思う。だから精神分析家の十川幸司とのトークイベントもあったのだろう。フランス現代思想にも造形の深いお二人の対話はさぞ面白かっただろうと思うが私はいっていないからわからない。

先に挙げた「暇倫」は精神分析の設定と繋がる。

私は、國分さんが当事者研究の文脈で使う「精神分析」には異なる感触を持つけど、この本で引用されるハイデガーの「放下」概念はまさに精神分析で生じていることだ。

國分さんはフロイトのナルシシズム概念を参照する。そして、原子力時代を生きる私たちは万能的に「贈与を受けない生」の実現、つまり「何ものにも依存しない完全に自立した状態」を欲望しているのかもしれない、原子力を悪魔としたら、それは人間のこのナルシシズムに付け入ってくる、という(不正確かもしれないから原著を読んで)。

その箇所も説得力はあるが、やはり私は「放下」という概念に魅力を感じた。精神分析プロセスにおける「待つこと」、私はそれを精神分析の本質だと思うからだ。と書くなり「本質」という言葉自体の危うさも感じるが。

「隠された意味に対して我々が開かれて、それを受け取るようになること」、國分さんがいうように精神分析はそこに対しては「大きな手助け」になるのである。

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責任

痴漢にあったという話を聞くのは全く珍しくない。これだけ被害の数が多いのは日本のどういう部分と関係しているのか、あるいは関係ないのか、ということを考え始めたところから先日「被害と加害の言葉」というタイトルで書いた。日本文化というものを組み込んで考えるには力量不足なので、とりあえず広辞苑、日本語シソーラスなどを調べ、言葉の面からなんとなく書いた。

ちなみにジーニアス英和辞典ではsexual molester,groper,sexual pervert,child molesterとあり、日本語の「痴漢」は意味の幅が広い、とあった。また仏和辞典のプチロワ4ではsatyreとあった。驚いた。それにしても最近、ギリシア・ローマ神話とよく出会うな。サテュロスは好色、酒好きな半人半獣の森の精である。フランスではこれが「痴漢」の訳だそうだ。また、英語でもフランス語でも例文には「電車(地下鉄)で痴漢にあう」とあった。どの国でも車内は被害の場となりやすいのか。公の場でもあるのに。

ちなみに日本の鉄道で痴漢が発生した時期については原武史が『鉄道ひとつばなし』(講談社現代新書)のなかで少し書いている。これは牧野雅子の『痴漢とはなにか 被害と冤罪をめぐる社会学』(エトセトラブックス)とは全く目的が異なる本だが、原の「当時の人々の手記を見ても、列車内で見知らぬ人どうしが会話することは珍しくなく、その習慣が通勤電車にも継承されていれば痴漢は発生しなかったはずである」という言葉は、牧野が痴漢取り締まりの担当警察官の言葉としてあげた「被害に遭いやすいのは、全体から受ける印象が、おとなしそうなタイプの人」というのと関係してくるだろう。ちなみに肌の露出と被害の相関は特にないそうである。

被害者がひとりの抵抗、ひとりの勇気で「声をあげる」のではなく、自然な会話が外からの一方的な侵入を防ぐ、そういう環境は本当に大切だ。無言の群衆のなかで声をあげる勇気を持て、なんて無責任なことは言えない。非対称的な関係自体がすでに言葉を奪ったり歪めたりしている可能性にも敏感である必要があるかもしれない。

さて、言葉には、その人だけの言葉、二者にしか通じない言葉、第三者に向けられた言葉という分類(北山修が書いているかも)があったり、オースティンの言語行為論など様々な視点があるが、専門用語を使った論考はきっと誰かが書いているだろう。だからとりあえず思考をめぐらす。

牧野の本で引用されていたフレーズには一定のレトリックがあった。そもそも痴漢を加害と思っていたら公の媒体で軽々しく語るなんてできないわけだが、公にして悪ふざけにしてしまうことで悪意のなさを示し、責任を問われないようにという意識的、無意識的な動機が働くのだろうか。

悪意のなさというのは実際本当に厄介で「そんなつもりはなかった」という言葉も嘘ばかりではなかろうと思うと、もう天を仰ぐしかないというような気持ちになる。一方で、牧野が書いているように冤罪のことになると急に我が事として心配しだすというのもまた不思議な話で、すでに起きている被害とまだ起きていないことは本来別次元で取り扱うべきものだと思うが、そうではないので書名にも「被害と冤罪」が並んでいるのだと思う。

また、被害者に被害者資格のようなものを想定し、いつのまにか被害者から個別性をはぎとり、被害者の言葉を奪っていくのもこれが暴力であるゆえんかもしれない。もちろんこれは女性と男性という二分法において生じていることではなく、男性の被害者に対するラベル貼りなども事例として思い浮かぶ。

「そんなつもりはない」「みんなやってる」という言葉に戻ろう。「つもり」とか「みんな」というのは空虚な言葉だ。みんなって誰。つもりって?個人の意思というのがいかに間違いやすいかはすでによく知られているだろう。

「つもり」はどうであれ、生じた出来事には責任が発生する。

とはいえ責任をどうやってとるか。これもまた難しい問題だ。大人が子供に「ごめんね」と言わせて仲直りさせるような形ではなく、自分で責任を引き受けることの困難さについても考える。もしかしたら加害者は今いる位置から一度降りてみる、ずれてみることが必要かもしれない。非対称であることを十分に意識するために被害者と同じ立場、子供と同じ目線に立つこと、つまり加害者も被害者である可能性を保持する事である。そこにも支援があるとよいと思う。

自分から自分を引き剥がす。それは結構大事なことのような気がしている。

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「ニンフの蹄」

『エコラリアス  言語の忘却について』ダニエル・ヘラー=ローゼン、関口涼子訳(みすず書房)、言語哲学の本である。

第十三章「ニンフの蹄」にはユピテルに見初められ愛人にすべく連れ去られた可愛いイオの話が載っている。ユピテルの妻、ユノーから隠すために雌牛に変えられてしまったイオ、それでもユノーの嫉妬から逃れることはできず監視され、助けを求めても牛の声しか出せず、腕を伸ばしたくてもその腕はすでになく、自らの声もおぞましくて聞くこともできなくなったイオ。

そのイオが父親イナコスにだけは自分が変身したことを告げることができた。イオが使ったのは蹄だ。イオというアルファベット2文字の名前だったことも幸運だった。I、O。

「変身が残らず完全なものになるためには、逆説的なようだが、まさに変身というその出来事を記す跡を保持していなければならないのだ。」(P140)

I、O、すでに雌牛であるイオの蹄はイオのものであり、「二つの文字は、あらゆる意味で、変身を「裏切るー露わにする」」(P141)。

この始まりの部分だけでも様々なことが連想されるがこの後も非常に興味深い「痕跡」に関する話が続く。

精神分析が夢を記憶痕跡としてその探究の素材とし、それを言語で扱おうと試みてきたことはその変容可能性を、潜在性を信じているからにほかならないだろう。

昨日書いた被害と加害の言葉とも繋げて考え続けている。

伊藤詩織さんがデータ(痕跡)をもとに戦っていることも考える。私たちひとりひとりがもつ痕跡を言葉にしていくこと、それによって初めて変容の可能性が生まれること、それをたやすく希望とはいえないけれど、そのことはこころに留めておきたいと思う。

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被害と加害の言葉について

その人が話す以上、その人だけの言葉だと思う。一方それは私の耳はそう聞いたというだけのことでもある。

被害者の言葉について考えていた。多弁で、巧みなレトリックを駆使する加害者にさらに傷を重ねていく被害者の姿を思う。

被害者は実名のまま孤立しやすく、特定できたはずの加害者はいつの間にか同じような姿を纏った人の集まりになり、膨らんでいく。言葉の暴力はあっという間に拡散され、被害者はさらに孤立を強いられる。

電車で男たちに取り囲まれて痴漢された女子高生の話を聞いたことがあるだろう。

誰もが傷つけ傷つけられて生きていく。その理不尽さだけでも語り尽くせないものがある。被害、加害関係は「してされて」の関係ではない。圧倒的な非対称がそこにはある。

私たちはみんな集団の一員である以上、常に集団力動のうちにあり反転しやすい世界を生きている。その人だけの言葉を発揮するには環境に守られることが本当に大事だけど、その環境を人が構成する以上、そこにも反転可能性が潜む。本当に安心できる場所なんてあるのだろうか。

『痴漢とはなにか 被害と冤罪をめぐる社会学』(エトセトラブックス)という本を読んだ。著者は、元警察官という職歴を持つ社会学、ジェンダー学の専門家。彼女自身の体験が書かれた部分はなんの説明もいらない説得力を持つが、それ以前に著者が豊富に引用するのは雑誌などに掲載されたフレーズだ。多くは痴漢について語る男性の言葉であり、有名な作家も多く登場する。この作家がこの話題になるとこんなに貧困な・・・とその想像力に、というかその想像力のなさに驚く場面も少なくない。

「痴漢行為が自然の欲求の発露であるとみなすことは、性「暴力」の矮小化」だと著者は書く。痴漢行為が罪として立件されるときも被疑者調書の作成に暗黙の因果性(自然の欲求の発露というような)が書き込まれてしまうことを知ると信じ難い気持ちになる一方、そういう発言には馴染みがあることも思い出す。

都合よく解釈され、カジュアルに、ゲーム感覚で加害が語られるとき、そのすり替えレトリックが被害者を幾重にも傷つける。シソーラスで「痴漢」と調べてもこの言葉が犯罪とゲームの意味を含み込んでいることがわかる。

被害と加害の関係をどう生きていくか。治療者としても考えるべき事柄だ。

匿名でSNSに書くことの暴力性が、実名で公の文書に書くこととは責任の引き受け方が異なることは明らかだろう。しかし、実名であっても集団化すればそれは匿名的になることもあるから単純ではない。

では治療場面は?二人だけの部屋で交わされる言葉、眼差し、レトリック、価値観について振り返る。

被疑者調書がステレオタイプ化してしまったら被害者の姿はさらに見えにくくなる。「若者よ怒れ」「女性はもっと怒るべき」という言葉も時代に応じて使われるが臨床はそれらとは馴染みの悪い個別性のもとに行われている。

怒るべきことがあれば治療者や指導者、良き仲間とのやりとりで振り返る。ひとつひとつの現象を単純化したり、集団化しない努力はしたい。

もしそういう言葉を控えることができたら「取調官によって供述が作られてしまう。被害者は痴漢行為に怒ってはいけない、恥ずかしがらなければならないとでもいうようである」という類の、個人の体験から離れた、なのに、ありがちな「価値」が臨床に持ち込まれることを回避できるかもしれない。その人だけの体験に向き直るような。

暴力と倒錯の間、ギリギリ子供の遊びっぽさで許容を強要する甘え、そういうものについても引き続き考えていきたいと思う。

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居場所

今日は新しい保育園へはじめて巡回する日です。本来だったら5月6月あたりに行く予定でした。関係をつなぐことは決して当たり前ではないということを知らされます。

私がしてきたことは、長い間ずっと好きで、信頼してきことに向かっていました。オフィスを訪れる方が私が大切にしてきたものを読み取ってくれるのをありがたく感じながら、今更ながら私にはこれ以外何もないな、と思いました。

いくつもの世界に生きることはできないからこそ居場所というのはとても大切だと思います。遊牧民のように移動する生活でも生きている場所が居場所になるように、俯いて歩く朝に小さな花を見つけて立ち止まるような、そんな瞬間を居場所と感じられたら素敵だなと思います。そのために必要なことを多くの患者さんから教えてもらってきたと思います。

ひとりではできないことをひとりでやろうとする無理をしないように、無理をさせないように、人間関係では必然的に生じてしまう傷を修復可能な状態に留めておく術についていつも考えていますが、それはとても難しくて、こんなことを考えること自体に無理があるのではないかというような気もしてしまいます。

身体全体で世界を受け止めている小さな子供たちが小さな花に気づき、まだ見えていない遠くの飛行機を見上げ、見知らぬ私に泣き、保育士に小さな手でしがみつく、そんなひとつひとつのことが彼らの居場所を作っていくように、何度でも最初の頃に戻れるなら、と思います。

精神分析は、二度の大戦を生き延びながら受け継がれてきました。耐えがたい痛みのなか、今はまだ見えていない場所を潜在空間とし、そこに希望を見出す、つまり錯覚を十分に体験しうる力を信じてきたのだと思います。

でももしその強さがなくても、とりあえず、なんとか今日のはじめの一歩を、というのも勇気かもしれません。良い一日でありますように。

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知らんけど

どうして「わかる」「わからない」を問題にしてしまうのだろう。

そんなのどっちだっていいじゃないか。

わかったりわからなかったり、ちょっとわかったり、わかったと思ったのにわかってなかったりする。それでいいじゃないか、と思う。

精神分析を「言葉遊び」だという人がいるけれど、多分そういう意味での「言葉遊び」ではない、わからないけど。

精神分析はプレイだと書いた。昨日。だから「遊び」でもいいけどそれだとわかってもらえない気がしちゃうんだ。わかるわからないじゃなくて、って書いたばかりだけど。精神分析は「する」もので「受ける」ものだから言葉を尽くしてどうなることでもないのだけど。

一応私の体験からいうならば演劇やスポーツのプレイかな、精神分析は。いろんな気持ち。生命の動き。言葉にならないものばかりを言葉にする営み。どちらかというと声に近い。意味はずっとずっとあと。かも。

わかる、わからないもずっとあと。かも。わからないけど。知らんけど、が近いのかな、関西弁だと。ラジオで聞いたんだ。いい言葉だなと思った。知らんけど。

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精神分析というプレイ

決めのセリフというと決め台詞と少しニュアンスが違いますね。決め台詞というと「出た!」という感じがするけど(多分それぞれに思い浮かぶ台詞は違うでしょう)決めの台詞というとなんだかもう少し個人に向けられた感じ。そんなことないかもしれないけどそんな気がしました。

精神分析はアセスメントのあと始まってしまうと認知行動療法(CBT)のようにパッケージがありません。なので、その先は個々の患者と治療者の言葉に委ねられていきます。

精神分析は、生きることと死ぬこと、あるいは愛と憎しみの瀬戸際、子どもの性と大人の性の瀬戸際で人のこころを描き出してきました。そこには俯瞰してみれば似たような、近づいてみればまるで違う世界が存在しています。そのため、お互いが使用する言葉も似ているようでまるで違ったりします。決め台詞は共有されないかもしれません。

日本の精神分析家の北山修先生がきたやまおさむとして紡ぐ歌詞と、彼が精神分析家として語る言葉の違いは多くの人に通じる例かもしれません。あえて例を出せばということで、いつも付け加えるように、患者と治療者の二人がその場、その時間に使用する言葉はひとつひとつ全く異なるはずです。

同じ言葉に潜む距離、それが実感されるまでには長い時間がかかります。また、大抵の治療はお金がかかりますが、精神分析はそういった長い時間に伴った多くのお金がかかります。これは、それで生活をしている専門家の時間を買っているから、といえばそうですし、その専門知を、その存在を守るため、といえばそうなのかもしれません。ただ、これらの説明は一面的というか、専門家の側に立った言い方のようにも感じます。もちろん患者はいつでも辞めることができますので、そんなことはしたくないよ、となればやめればいいわけですが。

でもどうでしょう。私たちはそんなにはっきりキッパリした存在でしょうか。むしろ精神分析を受けにくる方は、自分のこころの曖昧でぐちゃぐちゃした部分に困っている方ばかりではないでしょうか。

そういえばこれは北山先生も強調するところですし、お金のことも『心の消化と排出』(作品社)という本に書いてあります。夏のブックフェアで『居るのはつらいよ』(医学書院/シリーズ ケアをひらく)の東畑開人さんも選んでおられたのでご存知の方も多いかもしれません。

お金を払う、お金をもらう、ということについて私たちは普段そんなに意識的ではないかもしれません。私がよく知る心理職の間でも、同じ職種でこんなにお給料が違うのになんとなく理由をつけて済ませていることが多い印象があります。

親子の間でも子どもの側は親がどんなふうに自分にお金をかけているかについてあまりよく知らないでしょう。子どものうちは知る必要もないかもしれません。

子どもの精神分析的心理療法の場合、お金を払ってくださるのは保護者です。ということは、保護者が払わないと決めたら治療はそこで終わる場合もあるということです。そのときはじめてお金の問題が患者である子どもと治療者の間に切実な問題として立ち上がってくることがあります。私は、この局面がとても精神分析らしいと思っています。曖昧さを、どうにもならなさを、どうにかしようともがくふたりにこれまでとは異なる言葉が生まれてくるチャンスだから。切実な問題は二人を切り離しも近づかせたりもするのです。

さて、大人の精神分析の場合も、プロセスは少し異なりますが、時間とお金と言語という、形がありそうなのにあまりに曖昧で多義的なものに患者と治療者は出会っていきます。

もし訓練でこの部分が切り離されたらそれは精神分析ではないだろうと私は思います。セッションの頻度などの変数で比較する以前に。

長い期間、お金を払い続けたり、いただき続けたりするなかでお互いの生を繋ぎながら見えてくるのは、私たちがいかに曖昧なつながりを信じて生きているかということです。そしてそのつながりは関係性によって名前を変えます。それが繋がりになるか搾取になるか、今はこうでもいずれは別の言葉になるのか、こころも言葉も揺れ続けます。とても大変で切ないことです。

精神分析は転移ー逆転移という過去と現在が同期したり切断したりされる時空で行われるものなので、とにかくいろんなことが起きてしまうようです。これはお互いの真剣なプレイであって、「すること」以外には共有の可能性は低く、精神分析におけるふたりのあいだに決めのセリフは多分、ボルヘスのいうように身も蓋もないそれ自体ということになるのでは、というのが今のところの私の仮説です。

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記憶

フロイトは忘れたくても忘れられない人だったみたい。実際は多くのことを忘れているし、それが当然だろうけど。

夢、日常生活における間違いや「〜忘れ」と呼ばれるもの。

回想も連想も事実の想起ではない。でも事実の表現ではある。事実が私を作ってきたとするならほんとに大事だったのは事実それ自体ではなくてそれをどう体験したかにほかならない。

世界には、といわなくても私の周りにも悲しいこと、しんどいこと、耐えがたいことはたくさんあって、もうどうしようもない気持ちでもなんとか、なんとかやっている。そんな声は少なくない。

忘れたいことばかり。全部が錯覚で思い込みだったと思おうとしても、実際にそうだったとしても、忘れるということは不可能なことだ。

精神分析は記憶にまつわる学問だ。時間と空間という二分法に陥ることなく、私たちが生きる場所をそこに見出したのだと私は考えている。

英国の精神分析家、ウィニコットが「私たちの生きる場所」といい、「可能性空間」といったのもつまり、そこが精神分析の場所であるということだろう、と私は思う。

ひとりではない体験。その記憶。しかも生成され続けるそれとともにいること。辛くて長い作業だ、と何度でも言いたくなる。

なんとか、なんとか生きている。そんな毎日をどんな言葉で綴ろうか。

秋日和。日曜なのに制服のこどもたち。部活かな。今日は半袖でも大丈夫ね。良い一日でありますように。

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同時性

私は、精神分析家について何か書くとき「日本の」とか「今も実際に会える」とかあえて付け加えたくなります。それは「同時性」というのをとても大切に思うからです。同じ国に生まれて、同じ時代を生きて、同じ学問を愛して、同じ場所をともにするなんてとても特別なことのように思いませんか。

 たとえば私は、土居健郎先生とは同じ会場にいたことはあるけれど言葉を交わしたことはありませんし、土居先生の考え方やお人柄などはひとづてや本でしか聞いたことがありません。一方、小此木先生以降の東京の先生方にはご指導をいただいてもきましたし、日本精神分析協会の先生方は特に身近に感じています。だからといって土居先生は遠く感じるということではなく、実際にお会いできたことで遠くは感じないのです。

 私より若い世代の方にとって、小此木先生や土居先生は等しく遠いレジェンドのように感じられることもあるようですが、「実際に同時にここにいた」という事実、そして実際にその場で私が受けたインパクト、それは知らない相手に対して自分勝手に言葉を繰り出すことを難しくします。だから知ろうとする、対話を試みる。フロイトを読むのもそのためです。

 それに、過去の過ちを繰り返してならない、とばかりになされる試みがその過去にすでになされていたことを知ることもしばしばで、そんなときも知るのは自分の無知でしかありません。若いときにはそれこそ若さだからいいと思いますがもうそろそろそういうのはいいかな、という感じがしています。多分、またやるけど。

 同時というのは過去、現在、未来、という直線的な時間軸を超えていく概念だと私は思います。精神分析でいう「今ここ」が単純に「あのときそこで」と対比できないように、それは今より前も今より後も含みこむ生成されつつある時間なのだと思います。だから、私の中で生き続けている実際に同時にここにいた人たちをとても大切に思うのです。

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1939年9月23日

1939年9月23日、フロイトが死んだ。その生涯はあまりに有名だ。でも、未公開の資料がいくら公になったところで、フロイトについての本が何冊書かれたところで、彼や彼以降の精神分析家が患者のことを知ったようにフロイトが理解されることはなかった。精神分析の創始者である彼には自己分析という方法しかなかった。

先日、認知行動療法家の先生から本をご紹介いただいた。『認知行動療法という革命』という本だ。原題は、A History of the Behavioral Therapies: Founders’ Personal Historiesなので本当は「行動療法」の第一世代の個人史だが、翻訳は「認知行動療法」となっている。

錚々たる顔ぶれが集まったこの本は、新しい世代の行動療法家が技法ばかりで歴史を重視していないことに対する警鐘から始まるが、精神分析を専門とする私が興味があるのはやはり精神分析に対する彼らの態度である。

「精神分析から行動療法へのパラダイムシフト」という章もあるが、精神分析に対して最も明快な態度を示しているのは「社会的学習理論とセルフエフィカシー ─主流に逆らった取り組み」を書いたアルバート・バンデューラと「認知行動療法の台頭」を書いたアルバート・エリスだろう。特にエリスは精神分析実践をよく知ったうえで書いている。

もっとも精神分析に向けられる批判はいつの時代も実証性のなさなのだが、体験した人にとってはそれ以上にこれを退ける意味や理由があるのだろう。実際、実証性に関してはエリスの時代よりも効果研究が進んで、それなりのデータを持っている。一方、もし、体験が精神分析を遠ざけたとしてもそれも十分にありうることだろうと、精神分析を体験している私も思う。むしろ体験したからこそわかるのだ。

精神分析はそんなに希望にあふれていない、不幸を「ありきたりの不幸」に変えるかも、とフロイトが書いたことからもそれははっきりしている。そんなものをどう信じればいいのか、と言われれば、まあそうだよね、という気にもなる。

でも、私たちはそんな簡単に何かが修復されたり、改善されたり、正しくなったり、美しくなったりする世界に生きているだろうか、とも思う。

他の場所でも書いたが、実際、精神分析は、設定と技法以外は臨床で生じる驚きを説明するには十分ではない。そしてそれは精神分析にとっては当然のことである。無意識を扱うとはそういうことだ。したがって、比較対象にはなりにくい、と私は思う。エリスのように経験してそれを放棄するのもよくわかる。

対象の選択がその人の歴史性を示すように、私たちが何かを選択するということはそれほど意識的なものではない。精神分析を選択する人もいれば、認知行動療法を選択する人もいる。また、患者からみれば、その治療者の技法が何かよりも自分のニードを繊細に受けとってくれることのほうがずっと大切だろう。

フロイトはこの日付に死んだ。私たちはいまだに精神分析が精神分析らしいか、あるいは精神分析と認知行動療法はどちらが効果的か、という議論をしている。先人たちは丈夫な種を蒔いてくれた。改めて感謝したいと思う。

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一語文

移動時間に徒然なるままものを書き続けたら自分の本音がみえてくるだろうか。この時点ですでに何度か打ち間違えているがフロイト的にはこの失策行為のほうに本音をみるだろう。

二語分を話し始める前の子供は単語でいろんなことを教えてくれる。一語文ともいう。一語で文章になっているということ、そこに含まれる様々な情緒、それを受け取ろうとする主観、喃語がいれものを得て人を介して広がっていく。一語文というのは本当に意味深い。

もはや一語文で何かを伝えられるほどの何かを持っていないからかもしれないが、私は少し長い文章を使う、こうやって。指が動くままに。特に何も考えず立ち止まることもせず。

そして少し不安になる。その行き場のなさに。この言葉のいれもの、置き場はあるのだろうか。この場を一応そことしたとしても、主観と客観も能動も受動も区別を曖昧にしながら文章が組み立てられていくときにポロポロとこぼれ落ちていく意味や意味のなさは増える一方。

ひどく切迫した瞬間が訪れればそれらは一語文になるのだろうか。それとも言葉を失うのだろうか。

筒美京平が死んだ。誤嚥性肺炎だったという。昭和に浸透する歌を送り出した作曲家の最後の言葉ってどんなものだったのだろう。その人を思い出せば歌が流れるような、そんな人の言葉に最後もなにもないか。人は記憶する。

一と多を含みこむ二者の言葉を一語文として、それが本当に人との間に放たれるとき、それまでとは別の何かが始まってしまう。それはどうしようもないことだけれど、そのどうしようもなさに抗うかのように主観というものがあるのかもしれないけど、種のようなその一語文にひきこもってしまいたいときもあるかな。ただの可能性に戻ることはもう難しいから。ただのじゃなければわからないけど。

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自由連想

透明なものが好きだ。

大学のとき、ゼミで墨田区の硝子工房へ行った。ゼミで、といっても専攻である発達心理学とはなんら関係はない。たくさんのガラス製品ができるまでをみせていただき、柴又まで足を延ばし、みんなで大きな縁台に座って団子を食べた。

小学校の遠足の帰り、大型バスの小さなテレビにはいつも宇宙戦艦ヤマトか寅さんの映画が流れていた。学校に到着すれば、それが途中であろうとバスから降ろされる。そのことに特に未練を感じた覚えはない。バスの窓に見慣れた景色が現れたときには、すでに映画からこころが離れていたのかもしれない。

宇宙戦艦ヤマトは家でも何度もみた(そして泣いた)、寅さんはこのバスでの時間でしかみたことがないかもしれない。バスに酔いやすい私はいつも一番前の席でぐったりしながらこれをみていたが、密に心躍る時間だった。

柴又に行ったのは初めてだったと思う。江戸川の近く、たしかに風を感じた。みんなはそのあと、矢切の渡しに行ったが、当時、バイトに明け暮れていた私はここでみんなとお別れだった。今思えば、その日くらいバイトを休めばよかった。

その後、それぞれにいろんなことがあった。大きな出来事もあった。若い頃は今過ごしている時間の意味など考えたこともなかった。その後、何が起きるかなんて誰にもわからないなんていうのは今も同じなのだけれど。

その後、私の専門は精神分析になった。発達心理学は大切な基盤としてそれに貢献してくれている。フロイトは無意識は無時間だといった。そしてあまりある不断のそれを扱う設定として、休日以外の毎日、特定の時間を患者と過ごし、その対価で生活をしていた。フロイト自身の生活も非常にパンクチュアルだったという。このあり方を日本人的という人もいる。精神分析は日本人に馴染まなくはないだろう、ラカンは別の文脈でそうはいわなかったけれど。そう、日本人は確かにパンクチュアルかもしれない。私があの日、バイトに間に合うように急いで帰らねばと思ったように。

誕生日プレゼントに文庫本を開いたまま置いておける文庫サイズの透明なアクリル板をもらった。ほかのことをしながらでもパサっと閉じてしまわないし、ページをめくるときにいちいちそれを持ち上げる時間があるのもなんだか素敵だ。もちろん早く次へ、という気持ちを抑えきれないときはアクリル板を外して手に持ってしまうのだけど。

いまやアクリル板は刑務所のものでもなく、日常的に人と人とを隔てるものとなった。前にも書いたが是枝監督の『三度目の殺人』で使われるアクリル板は多くのものを映し出した。私もアクリル板越しに患者と会うとき、そこに映る自分や背景がこれまでとは異なるこころの風景を描くことがあると感じる。

文庫に重ねる透明なアクリル板は、立てるのはではなく重ねるものなので、ページをめくるときにこれまでとは少し異なる時間を体験させてくれるだけで、私と本を遠ざけない。

ガラス、画面、窓、川面、アクリル板、まるでフロイトのマジックメモWunderblockのようだ。透明な接触面越しの記憶を秘密が守られる場所で語るとき、その体験が別の姿で現れるように、限りはあるがあまりある不断の時間に身を委ねることは、不幸を「ありきたりの不幸」に変えていくのだろう。

そういえば私は以前にもこんなことを書いた気がする、と思って記憶を探った。谷川俊太郎さんの詩について書いたときだ。https://www.amipa-office.com/cont8/20.html

ああ、そうだ。本に重ねる透明なアクリル板、これには谷川俊太郎さんの書き下ろし三篇がついていた。紐解くように、自由連想のように、語れば重なるものなんだな。

「ありがとう」という詩は私の気持ちにぴったりだった。

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Fort-Da.

渋谷方面のホームは塾帰りの小学生で溢れている。久しぶりにみる光景だ。器用にマスクをずらし、傘をトントンと床に打ちつけながら「あいつ、本当にうるせえ」と悪口合戦をしていたかと思えばキャハハと別の話題で盛り上がっている。


時間通りにきた電車に乗り込むと、追いかけっこのまま駆け込んできた数人の男の子にぶつかられてつんのめった。ひとりの子が一瞬視線を走らせてまたダンゴになってぶったりぶたれたりしている。


身体の大きさもそれぞれだ。子供の頃にみていたドラマを思い出す。主人公は中肉中背の男の子だった気がする。ガキ大将という言葉は今も通じるだろうか。相変わらず駆け回っていた彼らを中年女性が一喝した。説得力のある声に誤魔化すような動きでなんとなく隣の車両に移った彼らは隣駅で降り、また声をあげながら走っていった。


電車を降りて濡れたタイルを慎重に踏みながら急ぐ。小さな段差も難しいらしい杖を持った老婦人にご家族だろうか、「私、下いくから先に行ってて」など声を掛け合っている。
今日の雨はなんというのだろう。霧雨でいいのだろうか。SNSには今夜は涼しいという言葉が並んでいたけれどあまりそうは感じない。

きっとこれは霧雨だ。遮断機が上がってから街灯の灯りを避けてシャッターを切った。あっという間に小さな水滴がつく。
都心には遮断機がない。


保育園にいくと子どもたちが駆け回っている。駆け寄ってくる子どもたちに遮断機を作ると笑顔がもっと大きくなる。なぜ腕を下ろすだけで遮断機とわかるのだろう。お散歩でも彼らは行ったり来たりする電車に何度でも同じように声をあげる。
行ったり来たり。Fort-Da.いずれはいったままに。残像と遊ぶように今日を明日へ。

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適応と適当

早朝が一番色々捗ります。今日は土曜日ですね。一日中雨かしら。

昨日は色々書いたまま眠ってしまい、内容は昨日仕様だったので消してしまいました。ほんと、画面からって消すのも消えるのも簡単。

でもたとえ私が文章を消したところで私の考えだからまた何かの形で出てくるでしょうし、たとえ私が姿を消したところで私が消えてしまうわけでもないので、何度でもやり直せますね。

でも現実に姿を消したとしたらどうでしょう。社会学者の中森さんの『失踪の社会学』を以前ご紹介しましたが、失踪とかで姿を消されたら辛いな。と、今、私が失踪される方であることを大前提として書いてしまいましたが、こういうのは注意が必要かもですね。「誰にでもありうること」、病気でも障害でも喪失でもなんでも。いや、なんでもはないか。

精神分析はその人のあり方全体を大切にしますが、それだってその人だけのこと、私たちだけのこと、誰にだって起きること、社会全体のこと、全てに関わることであって、単なる密室的なにかではありません。営まれる場はふたりだけのプライベート空間ですが。

精神分析では「適応」を特に目指さなくても治療の副産物として、いや違うな、「適応」というよりは、その人がその人らしさをある程度保ったまま、その場に適当に、ほどよくいられることができるようになります。それは精神分析が、固有のものを大切にすることのなかに社会を大切にすることを含みこんでいるからだと私は思っています。

静かな朝です。朝の暖かい飲み物がしっくりくる季節になりました。どうぞ良い一日をお過ごしください。