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精神分析

アンデスメロン/ルシア・ベルリン

小さなアンデスメロンを4分の1食べた。アンデスメロンはアンデスのメロンではなくて「安心ですメロン」なんだと聞いた。この年齢になればこれまでも同じことを聞いていそうだがまた(多分)驚いてしまった。だとしても(これもきっと前にも思ったのだろうけど)なんで「アンデス」?「アンシンメロン」とするよりははるかに魅力的ではあるが。にしてもなにが「安心」なのかしら。メロンと似てるけど安心して、きちんとメロンと同じ味だから、とか?

一番美味しそうなのは種のところ。ジュワッと泡立つように水分が集まって茶漉しに集めてスプーンでギュッと潰しながら濾してメロンジュースにしたいくらい。「こす」って漢字を二種類使ったのだけどわかりました?なんでこんなに似て非なる漢字を同じ意味に当てたのかしら。遊び?だとしたら楽しいな。もっとそういうの探したい。今日は朝からなんでなんでばかりだな。2歳児か。

職場の愚痴を話している大人に「なんでー」とタイミングよく入れたその人の娘の声を思い出した。あの時は笑った。私よりずっといい聞き手だ、あの子は。複雑そうだけど実は単純で大した理由もない大人の意地悪の話を理解できたわけではないだろう。それでもその「なんで」はそのタイミングによって核心をついていた。ほんとなんでこんなことするんだろうね、そして私たちはなんでこんなかわいいあなたを置いてこんな話をしてるんだろうね。私たちが顔を見合わせて笑うと彼女は「みてー」と今書いたばかりのぐるぐるがきをみせてくれた。一日に数えきれないほど言われる「みて」もこんなときは特別。母親である友人はさっきよりずっと明るい笑顔をみせてそれを受け取った。

今朝は『メンタルクリニックの社会学』を読みたいなと思いながらルシア・ベルリンの『すべての月、すべての年』(岸本佐和子訳、講談社)を手に取った。

「なんてこった」のルビは「ファック・ア・ダック」。メキシコからアメリカにきた若い母親である彼女がはじめて声に出した英語だ。

ルシア・ベルリンの『すべての月、すべての年』のなかの一編「ミヒート」を参照

ルシア・ベルリンの短編はぞんざいに積み上げられたような短文からなっていて積み上げられているのは主に暴力とケアだと感じる。メロンの種のところみたいに緻密で涙がいっぱい溜まっているような世界をじっと見つめつつも暴力的で不寛容な外界を当然の背景とし決して感傷に陥ることのない距離感のもと私たちのすぐ目の前に広げられる文字世界。そこは読者の衝動と抑圧のバランスも引き受けてくれるような安定感さえある。

『ミヒート』は診療所の看護師の視点が臨床家のリアリティと重なる短編だ。「ファック・ア・ダック」、字面では決して伝わらないあまりに悲しいこの言葉の響きを私も今日聞くのだろうか。

メンタルクリニックと診療所、ここで私の連想が繋がってこの本を先に手に取ったというわけか。無意識、委ねては気づくことの繰り返し。自分より先走ることなんて不可能なのだから今日も突然目の前を飛び始めた夏の蝶を追うようにのんびりいこう。にしてもなんで夏の蝶って案内人のように急に現れるのかな。また「なんで」といってしまった。答えも急がず慌てずそのうちわかればラッキーくらいな感じで行きましょうか。行ってらっしゃい。

作成者: aminooffice

臨床心理士/精神分析家候補生