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精神分析

開業してまもなくだっただろうか、しばらくしてだろうか、いずれにしても5年ほど前に神経麻痺で右手の手首が上がらなくなった。うたた寝をして起きたら手首がだらんとしたままだった。寝ぼけながら混乱していたのだろう。シャワーを浴びた。ものすごく不便だということだけわかった。利き手だ。頭痛もひどかったのでどうしたらよいか病院へ電話したらすぐにくるようにと言われた。脳の異常ではなかった。それだけでとても安心した。血圧は異常に上がっていた。

私は落ち着きがなく怪我をしやすいので自分が怪我をしたときにオフィスまでどう辿り着くかのシミュレーションはなんどもしていた。いつの間にかそうするようになっていた。できるだけ楽に、と思ってのことだがその前に気をつけられる自分になるべきだろう、本来的には。

しかしまさか手首がこんなにだらんとなるとは・・と途方に暮れた。記録が書けない。お箸が持てない。混雑した電車で吊り革をつかめない。シャワーを上手に浴びられない。両利きになっておくべきだった。

ということを句友の句がずらっと並ぶページに鉛筆をあてながら思い出した。右手で追えなくなるかもしれないんだなと思って左手であててみた。景色が変わる。でもすぐにやめてこうしている。どうにかなるか、予防したところで防ぎようもないでしょ。切迫感がないとなかなか・・

うとうとしてしまった。あぶない。圧迫に気をつけないと。

何を思って書いていたんだっけ。忘れてしまった。

聞いたことに答えない、答えてないだけで嘘をついているわけじゃない、小さく情報を操作する、誤解を招くだろうけど嘘は言っていない、誰も傷つけたくない、ほしいものはほしい。そんな人でも深く愛情を向ける対象がいる。それらは全て両立する。人の気持ちがわからないというか分かりたくないのだろう、傷つけているとか気づきたくもないだろうし、優しい自分でいるために、といういつもの見立て。そんなことを考えながら橈骨神経麻痺のこと思い出して書き始めてうとうとしたんだっけ。まあいいか。

この句友はそういう人とは正反対だな。受賞の言葉があまりに素直に自分にも他者にも開かれていて余計な加工が全くされていなくてびっくりした。子育てと一人でされているお仕事で猛烈に忙しくて余計なことを考える暇がないのか、いやそういう問題ではないか。すごい人だ。読んだことのないタイプのいい文章だった。励まされた。

またうとうとしそう。素敵な気持ちのまま休みましょうね。

作成者: aminooffice

臨床心理士/精神分析家候補生