特別な太陽をみた。赤く染まり始めた空に真っ赤な太陽がのぼった。そのあと一気に透き通るような白になった。それはまるで魔法の鏡みたいでものすごい光で思わず友人を起こした。光はだんだん空を水色にしながら散っていきそろそろ朝なのだろう。真っ白な満月のような太陽。これから夜が来てしまうかと思った.
眠りたくない。朝が来てしまうから。そういう声をたくさんきいてきた。何度も何度もそういいながら何度も何度も薬や刃物で自分を傷つけながら。そんな日々を何年も繰り返しながら「ねてもねなくても来ちゃうんですけどね、朝。」というようになったりもする。
昨日まで「普通に」笑っていた人が二度と起きなかったり、自分では動かせない身体でひたすら死を願ったり、今日も目覚めてしまったと絶望し再び暗い布団に潜り込んだりいろんな境目の超えかた、越えようのなさがある。どれもこれも自分でコントロールしているのはごくわずかだろう。
「自分で!」とあるいはその言葉を獲得する前から大人の手を振り払うこどもたち。そっとサポートする手にもすぐに気づき、怒る。「バレたか」と大人同士笑い合う。「自分で!」といえて受け入れられること。豊かで大切な時期だ。
こんな特別な夜明けに出会いながらどこかでそれを血が滲んでいるようだと思った。内臓のような赤にも見えた。写真には映らないものたちに囲まれた生活を思う。
山内明美『痛みの〈東北〉論――記憶が歴史に変わるとき』 の文章を引く。
http://www.seidosha.co.jp/book/index.php?id=3914
東北で育った山内明美は石牟礼道子を訪ねる道中、水俣で子供の頃の遊び場や発声や発語を奪われた人たちについて書く。
「その震源でもっとも苦しんでいる人びとが、自ら声をあげられないこの理不尽な世界のあらゆるしわ寄せを、水俣は一身に引き受けてきた。水俣は、いまも抱え続けている。
うちが働かんば家内が立たんじゃもね。うちゃだんだん自分の体が世の中から、はなれてゆきよるような気がするとばい。握ることができん。自分の手でモノをしっかり握るちゅうことができん。うちゃじいちゃんの手どころか、大事なむすこば抱き寄せることがでけんごとなったばい。そらもう仕様もなかが、わが口を養う茶碗も抱えられん、箸も握られんとよ。足も地につけて歩きよる気のせん。宙に浮いとるごたる。心ぼそか。世の中から一人引き離されてゆきよるごたる。
くり返すが、海と暮らしてきた人びとは、充満する「無限」世界のなかで生きてきた。「世の中から一人引き離されてゆきよるごたる」と語るゆき女の心ぼそさは、わたしたちが理解できる範囲を超えた離散であるには違いない。だが、ここにひとの魂の深さを、誰だって読みとるに違いない。」
こう書いている隣で老夫婦がサプライズで誕生日を祝われていた。もう成人して海外で暮らす娘さんたちがいるらしい。祝う側の女性にも2歳になる娘さんがいるとききお二人は「びっくりした!」「えらいわね!」と声をかけた。
神様はいなくても誰かがいる。そう思えたらいいなと思った。