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精神分析

言葉、身体、音

シャワー。今は朝シャンって言わないのか。私自身、言わないが。言わないけど思い浮かべる自分世代の言葉ってある。今は朝シャン以外思いつかないが。「オイ!鬼太郎!」が思い浮かんだがそれは世代の言葉とは違う。この前若者が言っている言葉がわからなくてきいてみたらごく普通の省略だったんだけどそこ略す必要全くないじゃないかと思った。でもそのうちそっちがメインで使われる言葉になるかもしれないからね。なんて言葉だったか私はもう忘れちまってるけどね。

今日は素早く移動しなくては。嫌だなあ。もう「素早く」とか無理。今、iphoneが勝手に記録してる歩数を見てみた。結構歩いてるなあと思ったら「今年の平均歩数は昨年よりも少ないです」だって。一万歩超えてるのにね。毎日一万歩は歩いてるんだね。来月からは移動が減るからぐっと減るだろう。でも柔軟性と筋力高めるために基礎の基礎からみてメニュー組んでもらえる先生についたから身体メンテナンスはしていけるかな。身体硬すぎて笑われてるけどきついながら楽しい。こういうトレーニングの仕方もあるんだなあ、と新鮮。色々やってみるもんです。

お祭りに行きたい。能登にはたくさん有名なお祭りがあるんだよね。瀬尾夏美さんが東日本大震災の時と違って被災地がとても静かだと言っていたことが頭から離れない。東日本大震災のあと、南三陸にNPOで入ったときだったか、みんなで、私は小さい子を抱っこして、踊った記憶があるけどあれはお祭りではなかった。なんだったんだろう。子供たちが喧嘩で「死ね」といいあっているのが聞こえたときのなんともいえない空気も思い出す。「動かないんだけど」とボランティアさんが言いにきた。一緒に行ってみた。どこ?と思ったらすぐ足元に小さく小さくうずくまっている子がいた。びっくりした。ボランティアさんがどんな声かけをしても動かないという。大地に張り付いたみたいに動かないその子としばらく一緒にいた。「どうしようか」というとなんとなく動く気配があった。なんだか胸が締め付けられるような感じで小さな声で「抱っこ?」と聞くとしがみついてきた。それからずっと抱っこしていた。お祭りみたいな音楽がなってみんな踊り出して私たちも踊った。その子は腕の中でとても楽しそうに笑っていていつまででも抱っこしてるから大丈夫だよという気持ちになった。本当は全然大丈夫じゃないし、私はいつまでも抱っこできないし、私が抱っこしつづけたところで何も変わらない。それでも、という体験だった。あれから13年。あの子はどうしているだろう。能登にも音が、人が訪れますように。何ができるわけじゃないと思っていてもやらざるをえない何かがいけばあるというのが現状だろう。瀬尾夏美さんのSNSもぜひ追ってみてほしい。能登の写真や様子を知ることができる。そして今、東京のポレポレ東中野では『生きて、生きて、生きろ。』を上映している。今日 5/30(木)は出演者で精神科認定看護師の米倉一磨さんのトークイベントがあるという。相馬にボランティアに行ったときにお世話になった。彼らの実践は『災害看護と心のケア ――福島「なごみ」の挑戦』(岩波書店)という本になっている。彼の明るいリーダーシップにとても助けられたし皆さんに本当にお世話になった。私は一体何をしにいったのか、と思うけど仮設住宅の方にもたくさん笑わせてもらった。内容だけ取り出したら全然笑い話ではないけれど私たちはみんなよく笑った。北国の仮設住宅ならではの苦労さえ面白く話してくれた。もちろんケアマネさんしか会うことができない方もいらした。生存を確認するのに私たちは音を聞く。心臓に耳を押し当てたり、寝息に耳をすましたり、聞き慣れた声での返事を待ちつづけたりする。音が聞こえない街に普通の足音や普通の話し声が増えていきますように。