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精神分析

ジョーダン・ラカイ、泣く女

今朝はまずキウイ。これまだ酸っぱい。この前のはとってもいい硬さ?柔らかさ?どっち使っていいかわからないくらいちょうど良くて甘さも絶妙だったのに。まあ違う日に買ったのだから違うのは当たり前。一個一個違うのも当たり前。キウイ食べてハーブティーいれて柳樂光隆さんの最新のインタビュー記事にあったジョーダン・ラカイ(Jordan Rakei)を流してぼーっとネット見てたらこんな時間ではないか。何事か。今回もいいインタビューだった。少し前のカマシ・ワシントンも父親になったことでの変化について語っていたけど『虎に翼』のようなドラマがこれだけ支持される中、こういう父親になった人たちの声も拾っていきたい。耳を傾けてくれる相手は誰にでも必要だ。

「感情の面でいうと、自分の感情に向き合えるようになったと思う。以前は「妻や両親の前で感情的にならないように」とか自分をガードしていた。ところが子供ができると、そんな心配はしていられない。人生がより甘く優しく感じられるようになるんだ。それとともに僕の歌詞も変わった。「Flowers」は妻のことなんだ。一種のラブソング。そういう曲は書いたことがなかったけど、素直に感じていたことを書いてみた。世間からどう思われるかなんて関係ないって思えるようになったからね。子供が生まれたことで、自分がエゴが少し和らぎ、現実的になり、プロセスに対する偏見がなくなったんだよね。」

ジョーダン・ラカイのインタビュー 音楽家にとっての「成長」とは? ジョーダン・ラカイが語る人生とクリエイティブの再発見

それにしてもジョーダン・ラカイの声も曲も良すぎるな。最近聞いていなかった種類の音楽だ。ついきちんと聞いてしまって手が止まってしまう。意識すればこうやって書けるが。

朝ドラ『虎に翼』にすぐ泣いてよねさんに怒られてしまったり、みんなの時間を少し止める中山先輩という人が出てくる。「女はすぐ泣く」「泣けばいいと思って」みたいな、こういう登場人物を泣かせてきた人たちの言葉が聞こえてくるような感じだけどこのドラマでは弁護士になるまで残る女として描かれた。面白かったしすごくいいなと思った。私は仕事柄毎日いろんな涙と出会っている。泣くこと自体がものすごい意味を持っている場合もあればここでは言葉を出せば涙も出てしまうという場合もある。子どもの頃、あまりに多動と不器用で怪我が多かったのだけど全然泣かない子でミシンで指を縫って(?)しまって保健室に連れていかれたとき、男子たちが「あみが泣くぞ」とみんなで見にきた。私的には痛いし悲しいし情けないしで泣いている気分なんだけど彼らの期待している泣きは違ったのだろう。なーんだ、という感じで去っていった。いつも一緒にサッカーしたり家に遊びにいくような仲の良い男子たちだったけど今どうしているのか。一人はすごい見栄えのいい不良になって捕まったりしてその後もその日暮らしをしていたところまでは知っている。今は知らない。大人になって実家の方の商店街で声をかけられたときも見栄えの良さに誰?となったがすぐわかった。当時は呼び捨てだったのに「ちゃん」づけになっていた。大人だ。なのか?高校生のとき、私の友達に二股かけられてまいってたよね。キミの相談にのったあの喫茶店、もうなくなってたよ、というかあなたの方が地元に詳しいか。泣きたいときは好きに泣こうね。泣き方とかどうでもいいから。

今日もすでに日差しが強い。最近「すでに」を使いすぎだな。なんでだろ。「それはすでに提出した」とか言いたい。「すいません、ギリギリになります・・」しか言えない。まあ、がんばりましょ。