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精神分析

残りの時間とか瀬尾夏美さんの活動とか。

ハーブティーをいれ、「たけのこの里」を数個食べ、ありんこを数匹やっつけ、おしゃれ着でもないが手洗いが必要な服の洗濯もして思い出話を書いていた。具体的なことは最小限で書くというより、どの部分を具体的に書くかを工夫するのは症例検討のための資料を書くときと同じ。この調子だといくらでも書けてしまう。書きながら構成が見えてくるまで続けようと思ったがまだ見えてこない。題名は先に決まったので私はそれについて書きたいのだろうと無意識に従う方向で筆も勝手に進んでくれたらいいがそんなことは起きないのでなんとかせねばならない。今日も2つのグループがあるので今のうちに進めねば。ネバネバばかりにしたのは自分。嫌ですわ。それにしても思い出話を書いていると亡くなった人の多いこと。10年ほど前までは私はあまり人の死に出会っていないなとか思っていたが今は身近だ。私も精神分析家になったとしても訓練分析家になるまでに実績をあげねばならずまたどんどん歳をとるだろう。日本の精神分析協会では訓練分析家として候補生を受け入れられるのは75歳までだ。そんなに時間は残されていない。そこまで生きているのかどうかもわからないが精神分析が日本に残るようにどうにかしないといけない。精神分析は高度に知的でお金のある人に対する治療であるというのはフロイトを読めばそうなのだが、お金の援助が出る国で一気に広まったのも事実。それは国にお金があるということなので結局お金の話である。日本はこんな小さい国なのにさらに狭い人間関係を維持する程度の「思いやり」しかないから書籍の世界の「ケア」が流行るのでは、と疑っている。地震から5ヶ月が経とうとしている能登はとても静かだそうだ、人がいなくて。家は崩壊しているのに「家が片付いていないから」と支援を遠慮するお年寄りもおられるそうだ。瀬尾夏美さんは静かな能登で手伝いを必要としていそうな方に声をかけ手伝い、ひどい状態のままの写真やそんななか世話されて咲いた薔薇の庭や美しい海岸の写真を撮っていた。それをSNSで発信されていたので別の配信番組も見てみたら現場の写真と共に現状を色々お話しくださっていた。現場に行かないとわからないことだらけだが瀬尾さんの話を伺うかぎり、とりあえず能登に人の声を増やすことが必要だと感じた。たしかに東日本大震災で郡山の避難所に行ったとき、多くの支援者が既に入っていたし音が途絶えることはあまりなかった。相馬の仮設住宅は静かだったが看護や福祉の専門家の声かけが生活に即していてかつ暖かくとても勉強になった。声かけと声を交わすことは大事。配信番組のメインは「原爆の図 丸木美術館」学芸員の岡村幸宣さんをゲストにお話を伺うというものだったが丸木夫妻が作品に込めたものなどを知ることができてとてもよかった。絵画ならではの闘い方というのがあるのだな。いろんなことはそんな単純ではないからこっちでは対立しているのにこっちでは共有する思いがあるとか色々だ。相手から搾取しようと傷つけようと自分の痛み以外はすべてなかったことにして、わかりやすさと温厚さでかさ増しした軽薄な言葉で物を書いたり配信したりする人と、それを「知性」として受け取って賞賛を欠かさない人というそこだけwin-winカップルいうのがよくある構図だから瀬尾夏美さんたちの活動は現実的で励まされた。今日もできることをしよう。