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子どもの精神分析の歴史を少し。

早朝は大きな雲が多かったけどどの雲も光をまとって明るかった。今日も東京はいいお天気らしい。それにしても肌寒くなってきた。

さて、今年11月、福岡で行なわれる精神分析学会第72回大会では、子どものセラピーも大人のセラピーもやってきた身として、そのシームレスな部分、というか、精神分析においてそれらは重なり合うものだということを確認してみたいと思っている。もちろん、子どもとの関わりには慣れや「うまさ」の違いもあるだろうし、固有の訓練や経験も必要になる。しかし、それは子どもと大人の精神分析が、まったく別の営みであるということとは違うと思うのである。

もし、精神分析家にそんなふうにいわれたら、精神分析を受けたりしたりしているのに?と思ってしまうかもしれない。実際は思わないけど。精神分析を受けたり、行ったりすることで、人の心の原初的な部分に触れているはずなのに、その対象を子どもか大人かで分けてしまうのはどうなのかしら、とは思う。

精神分析の歴史を振り返ってみると、精神分析の対象として、大人とは異なる存在である「子ども」に関する議論をおこした一人にアンナ・フロイトがいる。

フロイトの末娘であるアンナ・フロイトは、フロイト以降のウィーン学派を象徴する存在であり、ベルリン学派のカール・アブラハムの理論を継承したメラニー・クラインと並んで、児童精神分析の創始者として知られている。

1930年代、アンナ・フロイトは父フロイトの精神分析を自我心理学へと発展させた。その代表的な著作が『自我と防衛機制 The Ego and the Mechanisms of Defence』(1936)である。彼女はフロイトの自我の構造論的モデルと不安・防衛論に準拠しながら、防衛機制を体系化し、理論的な整合性を与えた(ここでのモデルは小此木啓吾の分類に準拠してみた)。

アンナの重要な貢献は、こうした防衛機制を心身の発達と結びつけて考えたことである。防衛機制は発達の過程に応じてその現れ方や働きを変えていく。アンナ・フロイトは、この発達的視点を精神分析に持ち込み、後に発生・発達論的自我心理学(小此木)と呼ばれる立場を発展させた。

つまり、アンナ・フロイトにとって子どもは、単に小さな大人ではなかった。子どもの心を理解するには、その子どもが発達のどの過程にあるのか、どのような自我の機能を獲得しているのか、現実の養育者にどの程度依存しているのか、といったことを考える必要があったのである。

このことは治療技法にも関わってくる。アンナ・フロイトは、子どもの自我が発達途上にあることや、現実の親との関係が継続していることを重視し、大人の精神分析をそのまま子どもに適用することはできない、と考えた。子どもの分析には、教育的な働きかけを含め、大人とは異なる配慮が必要になる。

一方、クラインは異なる方向から子どもの精神分析を切り開いた。クラインは、幼い子どもにも無意識的幻想や不安、対象との関係が存在し、転移が生じると考えた。そして、子どもの遊びを大人の自由連想に相当するものとして捉え、遊びを通して無意識を分析する技法を発展させた。

この二人の違いは、単なる技法上の違いではない。子どもの心をどのようなものとして捉え、何を精神分析の対象とするのかという、理論的な違いでもあった。

アンナ・フロイトが子どもの発達上の固有性を重視したのに対して、クラインは子どもと大人に共通する無意識的な心の働きを重視した、と大まかにはいえるだろう。もちろん、クラインが発達を無視したわけでも、アンナ・フロイトが無意識を軽視したわけでもない。

ここで考えたいのは、子どもと大人の違いを認めることと、子どもと大人の精神分析を別々のものとして考えることは、必ずしも同じではないということである。

たとえば、ウィニコットが精神分析において重視した「遊ぶこと」は、子どもだけのものではない。大人の分析においても、遊ぶことができるかどうか、あるいは遊ぶことが可能になるかどうかが重要な問題になる。

同じように、依存や退行、象徴化、対象との関係など、精神分析が扱ってきた心の働きは、子どもから大人へと年齢を重ねることで消えてしまうものではない。もちろん、その現れ方は変わるし、分析家がそれにどのように関わるかも異なるだろう。

しかし、そうした違いを認めたうえでなお、精神分析が対象としている心は、子どもと大人という区分によってきれいに切り分けられるものではないと思うのである。

むしろ、子どものセラピーをしているときに大人の分析で経験したことが役立つこともあれば、大人の分析をしているときに子どもとの仕事で経験したことが思い浮かぶこともある。そうした経験は、私にとってはごく自然なことである。

だから、子どもの精神分析と大人の精神分析を区別することの意味を、もう一度考えてみたい。違いがあることは確かだ。しかし、その違いは何によって生じているのか。そして、何が両者に共通しているのか。

精神分析の歴史のなかで子どもがどのように登場したのかを振り返ることは、精神分析がそもそも何を考え、何をしているのかを考え直す(ややこし)ことにもなるのではないだろうか。

フィリップ・アリエスの『〈子供〉の誕生――アンシァン・レジーム期の子供と家族生活』(原著 L’Enfant et la vie familiale sous l’Ancien Régime)は1960年刊行で、アンナたちより遅いが、歴史のなかで〈子ども〉がどのような存在として扱われてきたかという視点は、現代の精神分析がとりいれるべき視点でもあるだろう。

確認だが、児童精神分析の歴史は、アンナ・フロイトとメラニー・クラインから始まったわけではない。

よく知られているのは、ヘルミーネ・フーク=ヘルムート(Hermine Hug-Hellmuth, 1871–1924)だろう。アンナ・フロイトやクラインに先行して、子どもの遊びや夢、日常の行動などを通して、その心を精神分析的に理解しようとした人物である。ザビーナ・シュピールライン(1885–1942)も1913年には子どもの心についての研究を発表している。

以前ここで紹介した、Klara Naszkowska編の『Early Women Psychoanalysts: History, Biography, and Contemporary Relevance』(Routledge, 2024)を思い出す。この本は、精神分析のパイオニアでありながら、その貢献が十分に語られてこなかった女性たちを取り上げた一冊である。

フーク=ヘルムートはこの本には収録されていないが、Sabina Spielrein シュピールラインのほか、1920年代のウィーンで精神分析と教育に関わり、後に米国で児童分析を発展させたベアタ・「トラ」・ランク Beata “Tola” Rank(1886–1961)や、1910年にウィーン精神分析協会初の女性会員となり、母性や女性の権利について論じたマルガレーテ・ヒルファーディング Margarethe Hilferding(1871–1942)などは本書で取り上げられている。さらに、フランスではゾフィー・モルゲンシュテルン Sophie Morgenstern(1875–1940)が子どもの描画や象徴的な表現を用いた分析を展開していた。

フロイトを中心に組み立てられた精神分析史からは見えてこないことがたくさんある。こうした女性たちの仕事をたどると、子どもの精神分析もまた、異なる地域で積み重ねられた臨床的な試みのなかから発展してきたことに改めて思いを馳せることができる。

近年、改めて光が当てられつつあるこうした精神分析の歴史を参照することは、精神分析史が何を記録し、何を取りこぼしてきたのかを考えるためにも重要だろう。

彼らについて書き始めるとキリがないが、学会までに少しずつ書いてみてもいいかなと思っている。とりあえず今日をがんばりましょう。良い一日になりますように。

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エディス・ジェイコブソンとニック・ウォール

Early Women Psychoanalysts: History, Biography, and
Contemporary Relevance(Klara Naszkowska編、2024、Routledge)のことはすでに何度か書いた。雑誌の海外文献紹介で、本書をとりあげようと思ったが、あまり時間がなかったので別の本を紹介した。どちらにしても私は、そこにいたのに、語っていたはずなのに、なかったことにされている声、あるいはそうされることへの抵抗を大切に思っているので、紹介した本もフロイトの患者たちの回想録である。掲載されたらSNSでお知らせすると思う。


Early Women Psychoanalysts: History, Biography, and
Contemporary Relevanceについて、また少し書いておく。

編者Klara Naszkowskaが序文で明確にしているように、本書は、14人の初期女性精神分析家の個人的・職業的伝記を再構成するもので、ジェンダー、ユダヤ性、女性教育、政治、移民を反復するテーマとして、彼女たちの人生そのものが、第一次大戦、戦間期の反ユダヤ主義、大恐慌、第二次大戦、ショアによって「影響され、挑戦され、破壊された」事実を記述する。


Ⅳ部構成で、すべて冒頭に Beyond が付いている。「○○の妻」「○○の恋人」「女性分析家」「亡命者」「ホロコースト生存者/犠牲者」といった、カテゴリーによって一人の人生を回収してしまうことへの抵抗だろう。


第Ⅰ部Beyond Wife, Lover, Muse は、SpielreinをJungとの関係、Andreas-SaloméをNietzscheやRilkeとの関係、Beata RankをOtto Rankの妻という位置から解放する。第II部 Beyond Psychoanalyst は、分析家であることだけでなく、フェミニスト、マルクス主義者、社会活動家として読む。第III部 Beyond the Homeland は国民国家や精神分析の中心地から離れて移動を読む。そして第IV部 Beyond the Holocaust は、ホロコーストを忘れるのではなく、その人の人生をホロコーストだけによって語らない。This is not a Holocaust story.なのである。


推薦者たちの言葉にはneglected, marginalized, forgotten, ignored by males, Jewishness, antisemitism, Holocaust, trauma, memory, genderが繰り返し使われているようにみえる。読んでいてクラクラするような出来事が多いのもこれらの単語から想像できるだろう。

昨日は、イディス・ヤコブソン(→ジェイコブソン、(Edith Jacobson))の誕生日だったそうだ。ハルトマンに自己表象という概念を提案したのも彼女だ。エディス(イディスと迷う)はベルリンから戦火をさけてニューヨークにきたが、彼女がナチに逮捕された事件をご存じだろうか。


本書ではPartⅢ Beyond the Homelandの第8章ニック・ウォール(Nic Waal)Speaking in Tonguesの「ニック、アーネスト・ジョーンズ、そしてエディス・ヤコブソンの逮捕」という小見出しのもと、詳しく書かれているので、少し訳しておく。

“1935年、ニックは奨学金を得てイギリスへ渡り、英国精神分析研究所(British Institute for PsychoAnalysis)で働くことになった。到着して間もなく、アーネスト・ジョーンズ(Ernest Jones)から、彼女の友人のエディス・ヤコブソン(Edith Jacobson)が1935年10月24日にドイツでゲシュタポに逮捕されたことを知らされた。ヤコブソンは、フェニケル(Fenichel)の被分析者の一人としてベルリン精神分析協会(the BerlinSociety)に所属しており、ヴィルヘルム・ライヒ(Wilhelm Reich)の親しい友人でもあった。また彼女は、政治グループ「新たな始まり(Neu Beginnen)」の活動に関与しており、それが逮捕の背景にあった。彼女は大逆罪に問われ、拷問や、長期にわたる過酷な投獄に直面することになった。
逮捕から4日後、ヴィルヘルム・ライヒは、この緊急事態についてニックに手紙を書いた。ライヒの説明によれば、ゲシュタポはまず、ヤコブソンの左翼の患者の一人を逮捕していた。その患者はその後、自殺した。また、ライヒは、コペンハーゲンで彼らの双方と親交のあったデンマーク人作家エレン・シアステッド(Ellen Siersted)をベルリンに送り、ヤコブソンが法的な援助を得られるよう手配したこともニックに伝えた。さらにライヒは、イギリスの著名な公人たちのできるだけ多くと連絡を取るよう、ニックに強く求めた。

「私の名前を出して、[Bronistaw| Malinowski, [Henry] Havelock Ellis, [Max] Hodann, [Alexander Sutherland] Neill, [Ber-trand] Russell, Stella Browne, Mrs. Jameson (friend of Trygve Braatoy), and [Julian] Huxley.[ブロニスワフ・]マリノフスキー、[ヘンリー・]ハヴロック・エリス、[マックス・]ホダン、[アレクサンダー・サザーランド・]ニイル、[バートランド・]ラッセル、ステラ・ブラウン、ジェイムソン夫人(トリグヴェ・ブラートイの友人)、そして[ジュリアン・]ハクスリーと連絡を取ってください。[……]
肝心なのは、ゲシュタポがエディスを釈放しないとわかった場合に備えて、すべてを準備しておくことです。そうなれば、私たちは報道機関を通じて介入することができます。ジョーンズとIPAについては触れないでください。エディスを精神分析と結びつけてはなりません。」(Reich, 1935)”

なんと緊迫した事態であることか。精神分析はこういう文化をずっと生きてきた。多くの精神患者・分析家の死亡、亡命。戦時中、精神分析家たちは個人を救うのか、精神分析を救うのか、を考えなくてはならないほどに追い詰められていたこともエディスをめぐる動きからはみえてくる。フロイトは書物を焼かれても生き残り、書物もまた蘇ったが。本書もこうして、ようやく女性分析家たちの体験を立ち上げてくれている。


この章はSpeaking in Tonguesと名付けられているがどういう意味だろう。文字通りには、ニックが複数の言語・文化圏を横断したことと関係しているのだろうか。ニックは、ベルリンで精神分析を学び、ドイツ語圏の分析家たちと関わりをもち、ノルウェーへ戻り、さらにロンドンへ渡ったそうだから。


しかし、英辞郎をみると、speak in tongues は「主にキリスト教に関連して使われる表現。宗教的高揚状態にある人などが異言語を話すこと、または「外国語のようにも聞こえるが明確な意味のない不可思議な音声」を発すること。」とある。したがってこの章題には、「複数の言語を話す」以上に、まさにニックのような、いくつもの声・言語を媒介する人という含みがあるのかもしれない。祈りの意味もあるだろう。


Nic Waal : Speaking in Tongues ニック・ウォール――「異言を語る」とすれば、エディス救出のために奔走した彼女の生涯と重ねることができるだろうか。

本書では、SokolnickaやMorgensternについても、母国語、精神分析を受ける言語、臨床で用いる言語、論文を書く言語が交錯していたので「多言語」より「異言」のほうがしっくりくるか。この前、私は土居の「甘え」を「旅する言葉」と呼んだが移動の「移」を「異」とかけてもいいかもしれない。これは日本語話者の発想だが、精神分析はそうやって生き残ってきた。多くの犠牲を出しながら。

精神分析における戦争体験というとビオンの外傷的な体験が語られることが多い。しかし、女性分析家たちが戦争をどう生きたのかは、それほど語られてこなかった。当時も今も戦争はいたるところで人を殺している。


精神分析において「生き延びる」という言葉を簡単に使わないようにしているが、その言葉でしか表せないような事態も現実としてある。私は、精神分析はマイナーであることが大事なのだと思う。マイナーな言語と出会っていくマイナーな学問であり、文化として、地に足をつけた実践をしていきたい。そんなことも考えさせる一冊である。

東京は今日も雨。疲れが出てきた頃だと思う。私はそんな感じ。また一日なんとか過ごそう。どうぞよろしくお願いします。

紫陽花に絡みついてた。
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国際女性デー、本

著名人の訃報が相次ぎいろんな人がいろんなことを書いているのを目にした。私は「えっ」とはなるが「ショック!」とかはならない。大抵はその人自身というよりはその人が生み出したものに育てられたり共にあってくれたことに対するいろんな気持ちが一気に押し寄せてくるから「ショック!」となるのだろう。私もショックと言えばショックだが「!」がつく気持ちにはほとんどならない。自分の年齢がもう人生後半だからかもしれない。長生きする場合もあるだろうけど明らかに衰えたり不調をきたしはじめる身体は確実に死に向かっているという実感を私にもたらすので「ああ、こういう死に方もあるんだなあ」などぼんやり考えたりはする。

昨日は国際女性デーだった。最近ミモザをたくさん見かけていたのでもうすぐなんだなと思っていたけど昨日だった。特に意識していなかったがちょうど出たばかりの本がその日にふさわしかった。Relational Perspectives seriesから

“Early Women Psychoanalysts: History, Biography, and Contemporary Relevance”

この本は、ザビーナ・シュピールライン研究協会というのだろうか、The International Association for Spielrein Studiesのカンファレンスでの成果を本にしたものだ。

ザビーナ・シュピールライン(Sabina Spielrein 1885年11月7日-1942年8月12日)はロシアのユダヤ人の分析家である。映画『危険なメソッド』で描かれた通り、ユングの愛人であり共同研究者であったがその後フロイトと出会い精神分析家になった。フロイトの「死の欲動」概念にも影響を与えたと言われる非常に強い思考の持ち主である。最後はドイツ軍によって娘と共に殺された。この本はザビーナ・シュピールラインと同じく、初期の女性分析家たちに光を当てたものだがまったく知られていない人たちのことも書かれているのが興味深い。

序文で編者のKlara Naszkowskaは以下のように書いている。

”This book stems from my deep conviction that we can foster social and ethical change through taking responsibility for the past and through refocusing how we manage the education of it. ”

「この本は、過去に責任を持ち、その教育をどのように管理するかを再考することによって、社会的および倫理的な変化を促進できるという私の深い信念から生まれた。」

“Thou shall not be indifferent in the face of lies about history. Thou shall not be indifferent when the past is distorted for today’s political needs. Thou shall not be indifferent when any minority faces discrimination. […] Thou shall not be indifferent when any authority violates the existing social contract. […] Because if you are indifferent, you will not even notice it when upon your own heads, and upon the heads of your descendants, another Auschwitz falls from the sky. ”

時間がないので最後だけ訳す。2020年1月、アウシュビッツ強制収容所解放75周年記念の式典でアウシュビッツを生き延びたポーランド出身のマリアン・トゥルスキさん(Marian Turski, historian, journalist, and Shoah survivor)がしたスピーチの一部である。

「もしあなたが無関心であれば、自分自身や未来の子どもたちの頭上に、新たなアウシュビッツが空から降りかかってきてもそれに気づかないだろう。」

過酷な時代を患者として(精神分析家はみな患者である時期をもつ)、分析家として生きた女性たちの人生に触れること、しかもまだ語られ過ぎていない人たちのそれを知ることは価値あることだろう。少しずつ読んで学んでいこうと思う。

May every day be International Women’s Day.